サンライズ出版からのお知らせ

2021年 6月 29日

京都新聞で丁野永正著『古代近江の英雄 天智天皇と秦田来津』が紹介されました

 
▼秦田来津の生涯 小説に/湖東地域出身 日本書紀にも描かれた武人/東近江・郷土史家出版「地元の英雄知って」
 
 近江・湖東地域(現在の愛荘町付近)の出身で7世紀に朝廷に仕え、白村江の戦いで戦死した豪族秦田来津(はたたくつ)の生涯を描いた小説「天智天皇と秦田来津」を、郷土史家の丁野永正さん(78)=東近江市建部瓦屋寺町=が自費出版した。「地元の英雄を多くの人に知ってほしい」としている。……(京都新聞2021/06/29)
 

2021年 6月 25日

中日新聞で丁野永正著『古代近江の英雄 天智天皇と秦田来津』が紹介されました

 
▼古代勇士「秦田来津」描く/愛荘出身、天智天皇に近侍/東近江の丁野さん出版
 
……秦田来津は七世紀前半、交易により豪族に登り詰めて古代の湖東一円を支配した朴市秦(えちはた)氏の一族に生まれた。戦術にたけ、二十歳前後で中央政権の宮廷警護の役職に就き、天智天皇から重用された。白村江の戦いで四十歳前後で戦死し、日本書紀に記録がある。……【問】丁野さん=090-8980-8034(中日新聞2021/06/25
 

2021年 6月 23日

産経新聞で小笠原好彦著『古代近江の三都 大津宮・紫香楽宮(甲賀宮)・保良宮の謎を解く』が紹介されました

 
▼平城京の陪都「保良宮(ほらのみや)」/孝謙上皇、景勝の地で道鏡と関係深める/大津市
 
 奈良時代後期に、淳仁天皇(733~765年)が平城京とは別に近江(滋賀県)に設けた都(陪都(ばいと))があった。「保良宮(ほらのみや)」。遷都から、わずか半年余りで廃都となり、未完のまま姿を消した古代の都の所在地や実体について、同時代の建物跡などが出土している石山国分遺跡(滋賀県大津市)に役所や住宅(京)、天皇や孝謙上皇が居住する御在所(内裏、宮)は少し離れた別の台地上にあったとする説を、小笠原好彦・滋賀大名誉教授が打ち出し、注目を集めている。近著「古代近江の三都」(サンライズ出版刊)で詳述しているが、保良宮の消滅は、僧・道鏡をめぐる天皇と上皇の反目が原因だったという。……(産経新聞夕刊2021/0616)
 
▼わずか半年で廃都 孝謙上皇と淳仁天皇の暗闘に消えた宮都(産経ニュース2021/06/21
 
古代近江の三都 大津宮・紫香楽宮(甲賀宮)・保良宮の謎を解く
ISBN978-4-88325-715-7
 

2021年 6月 17日

朝日新聞で中井均編著『近江の陣屋を訪ねて』が紹介されました

 
▼プチ城下町の魅力 再発見
 
 滋賀県の城といえば井伊家35万石の彦根城。堂々たる天守を備え、国宝にも指定されている。一方、江戸時代に存在した藩の中には、居城を持つことを許されなかった大名も多かった。
 
 そうした大名が、住居や、藩の庁舎として建てた「自分の城」が陣屋だ。
 
 県内には、かつて七つの陣屋があった。本書では、それらの成り立ちや地域に残された遺構を、104ページにわたって紹介している。……(朝日新聞2021/06/17)
 

 

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