新撰 淡海木間攫

新撰 淡海木間攫

2008年 8月 1日

其の十四 まつりの道具「銅鐸(どうたく)」

銅鐸

「銅鐸」。小学校の歴史の教科書にも登場し、最近の新聞紙上やテレビでもたびたび取り上げられることの多い名前ですから、皆さん一度くらいは耳にされたことがあるでしょう。(39個の銅鐸がまとまって出土した島根県の加茂岩倉(かもいわくら)遺跡は、まだ記憶に新しいでしょう。)また、形もお寺の釣鐘に非常によく似ていますから、吊り下げて鳴らして使われたのではないかと容易に想像できるでしょう。

 では、銅鐸はいつの時代に、何に使われたものなのでしょうか。銅鐸は、弥生時代にまつりの道具として使われた青銅製のカネです。山や丘の斜面に穴を掘って埋められた状態で見つかる場合が多いのですが、最近の調査ではムラに近い所からも見つかっています。故意に埋められた理由や、多量に埋める理由はよくわかっていませんが、一つの解釈として稲作の豊作を願ったり、豊作への感謝のまつりの道具として使われ、必要のない時は土の中に埋めて保管したのではないかと考えられています。最初は、鳴らして音を「聞く」カネでしたが、新しくなると目で「見る」カネとなり、大型化し、飾り立てられました。中には、絵画銅鐸と呼ばれる当時の生活や動物の描かれたものもあります。

 銅鐸は、畿内地方を中心に全国で約480個余り見つかっていますが、滋賀県も出土例の多い地域です(34例)。特に野洲町大岩山(おおいわやま)遺跡では、二四個の銅鐸が山の斜面から隣接して見つかっています。この地域は、畿内地方の東の入口ともいうべき位置に相当することから、悪しきものを排除することを願って多量の銅鐸を埋めたのではないかとの解釈もあります。

 このような、土の中から発見される昔の資料を考古資料と呼びます。基本的には発掘調査によって発見されますが、偶然工事中などに見つかる場合もあります。これらは、文献によって知られている史実を裏付ける場合もあれば、文字からでは知り得ない全く新たな史実をも如実に伝えてくれます。ひとつの考古資料から事実を決定することは簡単ではありませんが、逆に様々な想像や解釈ができるのが考古学のおもしろさとも言えます。

安土城考古博物館 学芸課主任 吉田 秀則

2008年 7月 1日

其の十三 大津市街にあったビワコオオナマズの産卵場

ナマズの産卵場

 琵琶湖在来の魚類の中で最大のビワコオオナマズ。大きいものは全長1.3m、体重20kgを超える。私は1988年以来この魚の産卵生態を調査している。意外と思われるかも知れないが、この魚の産卵場は、かつて大津市街に2カ所あった。梅雨時期に大雨があるとオオナマズが出現し、真夜中に産卵をくり返していた。しかし、いずれも私とごく少数の友人しか知らないままに、2カ所ともここ5、6年でダメになってしまった。ここでは、そのうちの1カ所について産卵場がダメになった過程を紹介しよう。

 理由は至って簡単、そう鋭い読者はもうすでにお気づきのように「人が環境を変えた」からである。その産卵場は琵琶湖の最南端、瀬田川と琵琶湖の境界部で、ずいぶん昔に人為的に造成された岩場であった。そこは私が観察を始めた当初、1989年6月3日の深夜に発見した場所だ。一般の方が見られたら、「へぇ~、こんな場所で」と思われるような環境である。そこは湖の中心部からやや入り組んだ場所で、おのずと水の入れ替わりが悪く、ビニールやら空き缶が散乱している。私の目からも決して好適な環境とは思われなかった。しかし、降雨があって、湖の水位が上がるとちゃんとオオナマズが姿を現すのである。湖岸道路のすぐ横に位置していたから、真夜中であろうとすぐそばを車がビュンビュンと行き交っている。ナマズの産卵する水音もしばしばかき消された。そんな場所である。この産卵場では最も多いときに20個体ほどのオオナマズが出現していた。

 1995~1996年は琵琶湖博物館のオープンに向けて、私自身がたいへん忙しくなったこと、また私の興味が次第に田んぼのナマズに向けられるようになったこともあって、オオナマズのことはたいへん気にかかっていたのだが、しばしその観察から遠ざかっていた。そして1997年の6月夜(もちろん、その前日に大雨があった)、久方ぶりにこの産卵場を訪れて、その変わりように私はしばし愕然としてしまった。オオナマズが現れるはずであったその場所は、工事用の浮きフェンスで囲い込まれ、土砂が搬入されて埋め立ての真っ最中だったのだ。思わず、私は「ごめんなさい!」と叫んでいた。もちろんオオナマズに対してである。うかつにも、その場所は、大津市が以前から推進していた『なぎさ公園』の一画であったのだ。私は、その夜は明け方まで眠れず、悔しさでベッドの中で寝返りばかりうっていた。今年もこの場所へ行ってみたが、1尾のオオナマズも見ることができなかった。私たちは、いつの日かこの産卵場を復活させなければならない。

琵琶湖博物館 専門学芸員 前畑 政善

2008年 6月 1日

其の十二 田んぼの中の林

田圃の中の林

 初めてこの林を見たときには、妙な違和感がありました。林というものは山の斜面にあると頭の中で思い込んでいたからです。もう20年近くも前のことです。見上げるような大きなケヤキとエノキ、ムクノキが頭をだしていて、その下には常緑樹が入っています。そしてその林は周りを田んぼに囲まれていたのです。

 当時、平野部の開発が始まる前には、そこにはどういう森があり、景観であったのかを考えていました。昔の森の跡が残っていそうな場所を考えて、地図帳で調べて、初めて八日市の駅に降りました。駅から愛知川の方に歩きだしてしばらくすると、そういう林のかたまりが幾つも田んぼの中に見えてきました。そして向こうには愛知川の堤防にそって林が続いていました。

 そういう景色を見ていると、私の頭の中では田んぼや人家は消えてしまって、その堤防の両側にある林と、ポツリポツリと田んぼの中にある小さな単位の林とがつながって、全体が一つの森であった時代があったのではないかと思えたのです。昔は川はしっかりとした堤防があったわけではなく、自由に流れ、その両側には小高い自然堤防ができ、その上にはケヤキやエノキなどの林ができます。そしてやがて林の中には常緑樹が入ってきます。時には川が氾濫して、林の様子が変わってしまうこともあったでしょう。けれど長期的に見れば川の周囲は同じような林に取り囲まれていたと思います。

 やがて人がしっかりした堤防を作り、川の両側の林は堤防の強化のために残し、また薪を取るために残して、周囲は田んぼにするために開発していったと思われます。そしてポツリと残されたもとの林の断片が今も田んぼの中に残っているのではないかと思うのです。

 最近、建部の森として行政と住民とで愛知川の川辺林をどう保全していくかが議論されています。おそらくその続きであったと思える断片のような林にも注目したいものです。

琵琶湖博物館 総括学芸員 布谷 知夫

2008年 5月 1日

其の十一 清流のシンボル「ハリヨ」

ハリヨ

 みなさんは「ハリヨ」という名前の魚を聞いたことがありますか。ハリヨは7~8cmほどの大きさで、その名のとおり背中や腹にトゲのある淡水魚です。かつては滋賀県の湧水地帯にごく普通に見られ、「ハリンチョ」「ハリキン」「ハリンサバ」などと呼ばれ親しまれていました。しかし、最近は湧水地の減少などのため生息数が少なくなっています。

 ハリヨは鳥のように、巣を作る魚としても知られています。春から秋の繁殖期になると雄は縄張りを持ち、そのしるしとしてあごから腹部にかけて鮮やかな朱紅色になります。そして水草や落ち葉の切れ端を集めて作った、「かまくら」を押しつぶしたような巣の中に、おなかの大きな雌を次々と導いて産卵させます。巣が卵でいっぱいになると、雄は稚魚が泳ぎ出すまで、巣にきれいな水を送り込んだり、外敵を追い払ったりつきっきりで世話をします。

 この魚はどこにでも住めるわけではありません。生息の条件は水温が夏になっても20℃以上にならず、水流が安定し穏やかであることが必要です。これらの条件を満たす場所は平野部にある湧水地帯に限定され、ハリヨは湧水とは切っても切れない関係にあるといえます。

 現在の滋賀県内の生息地は、米原町醒井を流れる地蔵川など、わかっているだけで10数カ所ですが、中には枯れた湧水をポンプで汲みあげなければいけないところ、水源の水溜まりだけに細々と生息しているところもあり、滋賀県でハリヨが生きていく環境は、たいへん厳しい状況です。最近は地元の自治会などが保護活動を始めるところもあり、清流のシンボルとして関心を持たれるようになってきました。絶滅の危機にあるハリヨと言う小魚を守ることは、さまざまな魚の住みやすい川と清らかな水を守ることにもつながるのです。

琵琶湖博物館交流センター 桑村 邦彦

2008年 4月 1日

其の九 虫生野(むしょの)火山灰

火山灰

 いきなり私事で恐縮ですが、先日祖母が亡くなりました。その通夜や葬式の席で立てる線香立てのなかのものを私は砂か灰だと思っていましたが、よく見るとそれは火山灰でした。これって昔から火山灰を使っていたのでしょうかね?

 私は「火山灰」というものを研究してきました。火山灰というと九州の方はよくご存じの物だと思います。滋賀県の方はあまりご存じじゃないかもしれませんが、現在でも活動している火山の近くに住んでいる方にとって、これって本当にやっかいな物なんですよね。それだけじゃなくて、火山灰は、大規模な噴火があると上空1万メートルあたりにまで吹き上げられるから、飛行機の航路近くで大規模な噴火が起こると、飛行機のエンジンに入ったりして大変なんです。このために活動しそうな火山はいつも噴火しないか? 大丈夫か? と見張られています。

 こうやって書いていくと、まるで私は現在噴火している火山を研究しているようで、何でそんな奴が琵琶湖博物館におるんじゃ?と思われるかもしれませんが、私がやっているのは地層中にある火山灰です。そう、古琵琶湖層にある火山灰です。400万年ほど前から現在までに続く地層の中にも多くの火山灰が入っています。地層中の火山灰を見ながら、まだ人が住んでいなかった頃の日本でもずっと火山が噴火していたのだなぁ、なんて思いを巡らせたりはしませんが、こんなにたくさんの火山灰はいったいどこからきたのかなぁ?とよく考えます。これらはほとんどわかっていませんが、その内のいくつかは九州だとか岐阜県の北部から来たと言われている物もあります。タイトルにある虫生野火山灰はまだどこから来たかよくわかっていませんが、これからの研究しだいです。

 この虫生野火山灰は昔、磨きズナ(現在のクレンザーのようなもの)として地域の人に利用されていたと聞きます。実際、虫生野火山灰だけでなく、火山灰が磨きズナとして利用されていた例はいくつか見つかっています。文頭のほうで述べた線香立てのものといい、磨きズナといい、火山が近くにない地域であっても、日本人にとって火山灰は身近な存在だったようですね。

A展示室学芸員 里口 保文

2008年 3月 1日

其の八 ムギツク

ムギツク

 成魚の全長は15cm。鼻先から尾ビレの二股部にかけ、体側に黒色の一本線が入り、おしゃれな印象を与える魚です。分布は、福井県、滋賀県、三重県以西の本州と四国の一部、九州北部です。比較的広域に分布する魚ですが、主に河川の中・下流域に生息し、琵琶湖にはまったくといってよいほど棲んでいません。県内でも分布に妙な偏りがあり、大戸川、瀬田川に多く、野洲川、日野川、愛知川と北進しているような分布傾向を持っています。京都側は由良川まで分布しているのですが、上流部でわずかな距離しか隔てていない支流の針畑川を持つ安曇川でも、まだ生息が確認されていません。

ムギツクを印象づける黒色縦帯は、幼魚ほど鮮明で、大型魚では不鮮明になります。特に幼魚では全身が橙色を帯びるため、まるで熱帯魚のようなあでやかさがあります。しかし、底生で臆病な性格のため、静かな環境で飼育しないと隠れがちで、美しさのわりに鑑賞向きでない魚です。この性格は幼魚・成魚で変わりがなく、成魚では、体が大きい分だけ物陰に隠れる速度や力が大きく、驚いた弾みで体をぶつけ鱗を落とすことが度々あります。また、わずかな隙間に大勢が殺到し、頭を隠しても尾部が丸出しになって、まるで針山のようになることもあり、滑稽でもあります。そんなわけで、飼育すると体に生傷の絶えない魚ですが、病気には強く、傷口からの細菌感染症などにもあまりかからない魚です。生息環境が、水質や水量などの自然変動の大きな場所であることが多く、そのため体質的に丈夫にできているのかも知れません。

 雑食性で、石の表面の藻類や付着動物を主食とするのですが、口が上向きについているため、逆立ちをするような格好で摂食している姿をよく見ます。方言名の一つ、ノリコズキはそんな姿を指したもののようです。口が小さめのため、クチボソの方言名も持っていますが、これは関東でのモツゴの方言名と同じ名前です。

C展示室(水族展示)主任学芸員 秋山 廣光

2008年 2月 1日

其の六 クセノキプリスの咽頭歯

咽頭歯

 クセノキプリス、舌をかみそうな、聞いたことがない言葉です。これは、あるコイ科魚類の名前です。日本にはいない魚ですが、中国ではふつうに見られる魚です。この魚は、今の琵琶湖には見られませんが、古琵琶湖の時代(鮮新・更新世:500万年前から)やそれ以前(中新世:2500万年~500万年前)の日本列島では、淡水魚類相の中心的な存在でした。この魚がどうして日本列島や琵琶湖から滅んでしまったのだろうか、いろいろ考えてみました。

クセノキプリス この魚は、顎や歯が変わっています。下顎が短く、口が下について、口の縁が爪のように硬く角質化しています。この口で、水底の苔を剥がしとります。そして、何本も並んだ薄い咽頭歯ですり潰します。この魚は、浅い湖やゆっくりと流れる大河に適応しています。この魚は、前期中新世という時代に、ユーラシア大陸の東の縁に沿ってできた地溝帯(大地の裂け目)の湖で、誕生しました。この湖は将来、日本海になる湖でした。それ以来、日本列島の淡水系は、大陸的な環境が続いていました。古琵琶湖は、今の琵琶湖のように深い湖ではありません。どちらかというと、雨季には水位がm近く上昇し、そこらじゅうが湖のようになり、乾季には湖が小さく小さくなりました。

 それが、琵琶湖が誕生する万年前頃から、山地の隆起と盆地の沈降が激しくなりました。琵琶湖は、広く深い湖になってゆきます。琵琶湖の兄弟の湖であった、瀬戸内の湖沼群は、内海になったり、陸地になって消えてゆきます。河川は、短く急流になりました。このような淡水の環境では、同じような食性をもつアユが、幅をきかせてきました。その結果、クセノキプリイスは日本列島から姿を消したのです。

 それが今までの私の考えでした。しかし、この魚が琵琶湖にすんでいたことが明らかになったのです。今から約5000年前の縄文時代の貝塚の中から、この魚の咽頭歯を見つけたのです。この魚は、地殻の変動による環境の激変やアユとの闘いに生き残り、つい最近まで琵琶湖に生息していたのです。この魚は、縄文時代以降の人類の活動、沿岸域の環境の改変などによって絶滅したのではないでしょうか。

A展示室総括学芸員 中島 経夫

2008年 1月 1日

其の一 セッケイカワゲラ

セッケイカワゲラ

採集地 これからの季節、滋賀県北部の山々は厚い雪におおわれます。チョウやトンボなど春から秋に飛び回っていた虫たちのほとんどは、とっくに姿を見せなくなっていますが、虫の中にはこういう寒い季節をわざわざ選んで現れ、元気に動き回る変わり者がいます。

 その一つがセッケイカワゲラなど雪上カワゲラ類で、スキー場わきの川べりの雪の上などでアリのような真っ黒い虫が歩き回っているのがそうです。

 セッケイカワゲラの幼虫は谷川にすみ、秋から冬に育って、成虫は冬に雪の上で羽化します。ふつう昆虫の成虫には翅がありますが、セッケイカワゲラの場合は成虫に「羽化」しても翅が生えません。翅があっても寒くてとても飛べないので退化してしまったのだろう、と言われています。

 陽の当たる暖かい日には、たくさんのセッケイカワゲラの成虫が、雪の上をいっせいに同じ方向を向いて歩くのが見られることがあります。この方向を決めるのに虫たちは太陽の方向を目印にしているらしいのです(幸島さん・日高さんの研究)。雪の上を一直線に歩いている虫を太陽からさえぎり、代わりに鏡で逆方向から日光を当てると虫はだまされて逆向きに歩くそうです。

雪上カワゲラ類にはこの他にもたくさんの種があり、滋賀県だけでも数十種いるらしいのですが、ほとんど誰も調べていないのでよくわかりません。これから新種もたくさん見つかるでしょう。よく調べてみれば、琵琶湖へ流れ込む谷川の環境についていろいろなことを教えてくれそうな虫です。

C展示室担当学芸員 内田臣一

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