新撰 淡海木間攫

新撰 淡海木間攫

2008年 4月 1日

其の九 虫生野(むしょの)火山灰

火山灰

 いきなり私事で恐縮ですが、先日祖母が亡くなりました。その通夜や葬式の席で立てる線香立てのなかのものを私は砂か灰だと思っていましたが、よく見るとそれは火山灰でした。これって昔から火山灰を使っていたのでしょうかね?

 私は「火山灰」というものを研究してきました。火山灰というと九州の方はよくご存じの物だと思います。滋賀県の方はあまりご存じじゃないかもしれませんが、現在でも活動している火山の近くに住んでいる方にとって、これって本当にやっかいな物なんですよね。それだけじゃなくて、火山灰は、大規模な噴火があると上空1万メートルあたりにまで吹き上げられるから、飛行機の航路近くで大規模な噴火が起こると、飛行機のエンジンに入ったりして大変なんです。このために活動しそうな火山はいつも噴火しないか? 大丈夫か? と見張られています。

 こうやって書いていくと、まるで私は現在噴火している火山を研究しているようで、何でそんな奴が琵琶湖博物館におるんじゃ?と思われるかもしれませんが、私がやっているのは地層中にある火山灰です。そう、古琵琶湖層にある火山灰です。400万年ほど前から現在までに続く地層の中にも多くの火山灰が入っています。地層中の火山灰を見ながら、まだ人が住んでいなかった頃の日本でもずっと火山が噴火していたのだなぁ、なんて思いを巡らせたりはしませんが、こんなにたくさんの火山灰はいったいどこからきたのかなぁ?とよく考えます。これらはほとんどわかっていませんが、その内のいくつかは九州だとか岐阜県の北部から来たと言われている物もあります。タイトルにある虫生野火山灰はまだどこから来たかよくわかっていませんが、これからの研究しだいです。

 この虫生野火山灰は昔、磨きズナ(現在のクレンザーのようなもの)として地域の人に利用されていたと聞きます。実際、虫生野火山灰だけでなく、火山灰が磨きズナとして利用されていた例はいくつか見つかっています。文頭のほうで述べた線香立てのものといい、磨きズナといい、火山が近くにない地域であっても、日本人にとって火山灰は身近な存在だったようですね。

A展示室学芸員 里口 保文

2008年 3月 1日

其の八 ムギツク

ムギツク

 成魚の全長は15cm。鼻先から尾ビレの二股部にかけ、体側に黒色の一本線が入り、おしゃれな印象を与える魚です。分布は、福井県、滋賀県、三重県以西の本州と四国の一部、九州北部です。比較的広域に分布する魚ですが、主に河川の中・下流域に生息し、琵琶湖にはまったくといってよいほど棲んでいません。県内でも分布に妙な偏りがあり、大戸川、瀬田川に多く、野洲川、日野川、愛知川と北進しているような分布傾向を持っています。京都側は由良川まで分布しているのですが、上流部でわずかな距離しか隔てていない支流の針畑川を持つ安曇川でも、まだ生息が確認されていません。

ムギツクを印象づける黒色縦帯は、幼魚ほど鮮明で、大型魚では不鮮明になります。特に幼魚では全身が橙色を帯びるため、まるで熱帯魚のようなあでやかさがあります。しかし、底生で臆病な性格のため、静かな環境で飼育しないと隠れがちで、美しさのわりに鑑賞向きでない魚です。この性格は幼魚・成魚で変わりがなく、成魚では、体が大きい分だけ物陰に隠れる速度や力が大きく、驚いた弾みで体をぶつけ鱗を落とすことが度々あります。また、わずかな隙間に大勢が殺到し、頭を隠しても尾部が丸出しになって、まるで針山のようになることもあり、滑稽でもあります。そんなわけで、飼育すると体に生傷の絶えない魚ですが、病気には強く、傷口からの細菌感染症などにもあまりかからない魚です。生息環境が、水質や水量などの自然変動の大きな場所であることが多く、そのため体質的に丈夫にできているのかも知れません。

 雑食性で、石の表面の藻類や付着動物を主食とするのですが、口が上向きについているため、逆立ちをするような格好で摂食している姿をよく見ます。方言名の一つ、ノリコズキはそんな姿を指したもののようです。口が小さめのため、クチボソの方言名も持っていますが、これは関東でのモツゴの方言名と同じ名前です。

C展示室(水族展示)主任学芸員 秋山 廣光

2008年 2月 1日

其の六 クセノキプリスの咽頭歯

咽頭歯

 クセノキプリス、舌をかみそうな、聞いたことがない言葉です。これは、あるコイ科魚類の名前です。日本にはいない魚ですが、中国ではふつうに見られる魚です。この魚は、今の琵琶湖には見られませんが、古琵琶湖の時代(鮮新・更新世:500万年前から)やそれ以前(中新世:2500万年~500万年前)の日本列島では、淡水魚類相の中心的な存在でした。この魚がどうして日本列島や琵琶湖から滅んでしまったのだろうか、いろいろ考えてみました。

クセノキプリス この魚は、顎や歯が変わっています。下顎が短く、口が下について、口の縁が爪のように硬く角質化しています。この口で、水底の苔を剥がしとります。そして、何本も並んだ薄い咽頭歯ですり潰します。この魚は、浅い湖やゆっくりと流れる大河に適応しています。この魚は、前期中新世という時代に、ユーラシア大陸の東の縁に沿ってできた地溝帯(大地の裂け目)の湖で、誕生しました。この湖は将来、日本海になる湖でした。それ以来、日本列島の淡水系は、大陸的な環境が続いていました。古琵琶湖は、今の琵琶湖のように深い湖ではありません。どちらかというと、雨季には水位がm近く上昇し、そこらじゅうが湖のようになり、乾季には湖が小さく小さくなりました。

 それが、琵琶湖が誕生する万年前頃から、山地の隆起と盆地の沈降が激しくなりました。琵琶湖は、広く深い湖になってゆきます。琵琶湖の兄弟の湖であった、瀬戸内の湖沼群は、内海になったり、陸地になって消えてゆきます。河川は、短く急流になりました。このような淡水の環境では、同じような食性をもつアユが、幅をきかせてきました。その結果、クセノキプリイスは日本列島から姿を消したのです。

 それが今までの私の考えでした。しかし、この魚が琵琶湖にすんでいたことが明らかになったのです。今から約5000年前の縄文時代の貝塚の中から、この魚の咽頭歯を見つけたのです。この魚は、地殻の変動による環境の激変やアユとの闘いに生き残り、つい最近まで琵琶湖に生息していたのです。この魚は、縄文時代以降の人類の活動、沿岸域の環境の改変などによって絶滅したのではないでしょうか。

A展示室総括学芸員 中島 経夫

2008年 1月 1日

其の一 セッケイカワゲラ

セッケイカワゲラ

採集地 これからの季節、滋賀県北部の山々は厚い雪におおわれます。チョウやトンボなど春から秋に飛び回っていた虫たちのほとんどは、とっくに姿を見せなくなっていますが、虫の中にはこういう寒い季節をわざわざ選んで現れ、元気に動き回る変わり者がいます。

 その一つがセッケイカワゲラなど雪上カワゲラ類で、スキー場わきの川べりの雪の上などでアリのような真っ黒い虫が歩き回っているのがそうです。

 セッケイカワゲラの幼虫は谷川にすみ、秋から冬に育って、成虫は冬に雪の上で羽化します。ふつう昆虫の成虫には翅がありますが、セッケイカワゲラの場合は成虫に「羽化」しても翅が生えません。翅があっても寒くてとても飛べないので退化してしまったのだろう、と言われています。

 陽の当たる暖かい日には、たくさんのセッケイカワゲラの成虫が、雪の上をいっせいに同じ方向を向いて歩くのが見られることがあります。この方向を決めるのに虫たちは太陽の方向を目印にしているらしいのです(幸島さん・日高さんの研究)。雪の上を一直線に歩いている虫を太陽からさえぎり、代わりに鏡で逆方向から日光を当てると虫はだまされて逆向きに歩くそうです。

雪上カワゲラ類にはこの他にもたくさんの種があり、滋賀県だけでも数十種いるらしいのですが、ほとんど誰も調べていないのでよくわかりません。これから新種もたくさん見つかるでしょう。よく調べてみれば、琵琶湖へ流れ込む谷川の環境についていろいろなことを教えてくれそうな虫です。

C展示室担当学芸員 内田臣一

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