新撰 淡海木間攫

其の四十七 横井金谷筆 山居図

右はローマ字の印章


 山居図は、深い谷間にひっそりと建つ庵の中で、静かな時を過ごす隠士の姿を描いたものです。背後の山々は高くそびえ、その間から滝水が流れ落ちています。世間の雑踏から逃れ、聞こえてくるのは滝の音と鳥の声ぐらい、文人たちが強くあこがれた理想郷ともいえる風景です。
 作者は、江戸時代後期の文人画家横井金谷(1761〜1832)。金谷といえば、自らが挿画入で綴った自伝『金谷上人御一代記』により、一躍有名になりましたが、ようやく作品が追いついてきたようです。金谷は、現在の草津市下笠町に生まれ、9歳で出家し、21歳の若さで京都北野の金谷山極楽寺の住職になりました。この頃から本格的に絵を描いたようで、寺の山号を画号とし、ほぼ生涯を通して絵に「金谷」と署名しています。一般に金谷は、与謝蕪村の門人として扱われていますが、直接師事したことはなかったようです。しかし、その画風を慕い、画題、画面構成など、多くを学んでいます。この山居図も蕪村画を参考にしたもので、細墨線を用いて、丁寧に描いています。岩や土坡の皺の表現などに、蕪村画の影響が顕著です。画中の墨書により、金谷38歳の時の作であることがわかります。金谷画初期の初々しさが残る優品です。
 ここで注目されるのは、「KINKOK」とローマ字で彫られた印章を使用していることです。金谷は『御一代記』の中で、長崎に旅行した時の様子として、オランダ人や船をスケッチしたり、外国語にも非常に興味を持ったことを書いており、何事にも好奇心旺盛な金谷が、自らを「KINKOK」と彫っても不思議ではなく、むしろ自然な感じがします。不思議といえば、数ある金谷画の中にあっても、この印を捺した作品は他には見つかっていません。
 金谷は生前、「余の画を評するのは宜しく死後に於いてすべし」と言いました。その時が来たようです。今日画家としてとみに注目されるようになった横井金谷です。

滋賀県立琵琶湖文化館学芸員 上野良信

●上野良信著『淡海文庫 横井金谷伝─放浪の画僧─』(サンライズ出版)が近日発行予定。

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