新撰 淡海木間攫

新撰淡海木間攫 其の九十 二挺天符櫓時計 伝彦根城槻御殿什物 

 マーチャントミュージアム 館長・キュレーター 廣部光信

二挺天符櫓時計 伝彦根城槻御殿什物

 江戸時代の時刻制度は現在とは異なり、不定時法といって、夜明けから日没までを6等分、日没から夜明けまでを6等分したものでした。つまり、同じ昼間の1刻(約2時間)でも、夏は長く、冬は短くなり、同時に夜間の1刻の長さも変化したのです。
 戦国時代に宣教師らによってもたらされた機械時計は常に一定のリズムを刻む定時法によるものでした。彼らの指導のもとに日本でも時計の製作が始まりますが、これを不定時法に合せるために考案されたのが、二挺天符と呼ばれるこの時計です。ゆっくりと時を刻む天符(振り子のような役割)と早く時を刻む天符が、朝夕で自動的に切り替わる画期的な装置がついているのです。

 この時計は、もともと彦根城の槻御殿にあったと伝えられます。明治13年(1880)に御殿の部材とともに拝領したとの書付があります。

 江戸時代に作られた時計を、和時計とか大名時計といいますが、本作は台の形から櫓時計と分類されます。櫓時計としては大型で、総高150㎝、機械高50㎝、機械幅19㎝の堂々としたものです。

 櫓部分は黒漆で仕上げられ、内部には動力となる鉛製のおもりがぶら下がりますが、木製枠に板ガラスがはめ込まれた、火屋と呼ばれる時計の被覆が残るのも貴重です。

 機械部分は真鍮製で、時刻だけでなく日付や六十干支も表示できるトリプルカレンダーになっています。また文字盤周りや外枠の扉にはトケイソウをモチーフとした美しい模様が毛彫りされており、井伊家の御殿を飾った「大名時計」と呼ぶにふさわしい華やかさがあります。

 日本で独自に発展したこうした和時計は、日本の精密機械工業のルーツといえ、大変優れた工芸品であり美術品であるといえるでしょう。

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