新撰 淡海木間攫

其の四十五 廃少菩提寺閻魔像

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 この閻魔さんは「血噴き地蔵」と呼ばれています。江戸時代に土砂流でうつ伏せに倒されていた石を石屋さんが、これはよい石だと思って割ったところ、帰ってから肩が痛くなって、石から血が流れている夢を見ました。翌朝早く、石を見に行ってひっくり返してみたところ石像が彫ってあったといういわれによるものです。

 地蔵菩薩は子供を救うとか災難を救うという意味で彫られます。また、地獄に送るとか極楽へ導くためにいろいろ諭され、修行を助けられるのが閻魔さんですが、地蔵さんの化身が閻魔さんです。

 閻魔さんは、ほとんどが絵に描いてあるか木彫りです。石彫りは国内にほとんどなく珍しいものです。右側3分の1は別石で修復されています。いわれのように石を割ってしまったので、残る部分に合うように彫ったものですが、修復に用いた石の質も厚さも元の物とは異なり、近くで見ると時代の違いがはっきりとわかります。これらは離れないようにくさびが打ってあり、裏には穴が開いていて、鉄の股釘を差し込めるようにしてあります。

 写真の右側の像は、合掌している僧形、左側が阿弥陀仏です。下の段には、右側に錫杖と宝珠を持った地蔵、左側は袈裟を斜めにかけ数珠を持った僧形です。全体の形として将棋の駒形というのは珍しいものです。

 下段中央には
  浄西院秀阿弥陀仏行大徳宗舜  敬白

と彫られています。裏に「延長二年甲申」(西暦では924年)とあったそうですが、今は読めません。

 在所の一番下の村を寺村町といいますが、ここの人たち、特にお婆さんたちが掃除や花を供えたりしています。毎年、菩提寺の四つの寺が協力して、年番で小学生たちに白い象の姿をした甘茶の山車を引かせて花祭りの行事を行い、供養しています。

 閻魔像の辺り一円は、花崗岩の土砂が流れ込んでいて今はなだらかな傾斜になっていますが、元は平坦地だったところです。これは、古絵図に示されているように少菩提寺の施設があったということで、閻魔像より上の方にも多くの平坦地が残っています。

儀平塾主宰 鈴木儀平

●この文章は、生前の鈴木さんの講義を録音したテープから起こしたものです。

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