新撰 淡海木間攫

其の四十一 雛(ヒナ)のいるイヌワシの巣

雛のいるイヌワシの巣

 今から約30年前、その当時、滋賀県にイヌワシが生息しているとは誰も知らなかった。野鳥を観察する者にとって、イヌワシは「高山の幻の鳥」以外の何者でもなかった。

 長野県のアルプス以外の東中国山地の氷ノ山(鳥取県と兵庫県の県境にあり、標高1510m)にもイヌワシが生息していることを知った私は、その近くの鳥取大学に入学することを決めた。1973年5月5日、生まれて初めてイヌワシの姿を見た。真っ青な青空を切り裂くように流れる漆黒の流体。それがイヌワシだった。あくまでも力強く無駄のない飛翔、生態が未知であることに衝動を覚え、イヌワシを観察するために中国山地に通う日々が続いた。

 もしかして、滋賀県にもイヌワシは生息しているかもしれない。3年近く中国山地でイヌワシを観察して、そう思った。なぜなら、同じような環境は滋賀県の山岳地帯にもあるからだ。5万分の1の地図を穴が開くほど見つめ、イヌワシがいる確率の最も高い場所を絞り込んだ。1976年3月24日、快晴。鈴鹿山脈の奥深い山中を腰まである積雪をラッセルし、見晴らしの聞く尾根にたどり着いた。そして13:00、ついに三角形をした黒い流体が尾根上を流れるのを発見。これが、滋賀県で初めてのイヌワシの生息確認の瞬間だった。

 しかし、滋賀県でイヌワシが繁殖していることを確認するのには時間がかかった。その年に抱卵中の巣が見つかったものの、雛は孵化しなかった。翌年もこのペアは繁殖には成功しなかった。何とか雛を育てていることを証明したい。地図をたよりに新たなペアを探した。そして、ついに1978年5月7日、雛のいる巣を発見。

 調査を進めていくうちに、イヌワシの生息地に住む人の中には、イヌワシという名前は知らなくてもイヌワシの存在を知っている人がいることがわかった。またイヌワシがよく止まる岩には天狗岩という名前がついているし、天狗伝説が各地にあることもわかった。イヌワシは漢字で書くと「狗鷲」。琵琶湖の源流である滋賀県の森林には、古くからイヌワシが棲み、人々は山岳地帯の守護神や超能力を持つ生き物として、イヌワシを見つめ続けてきたのだ。

アジア猛禽類ネットワーク 山崎 亨

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