新撰 淡海木間攫

其の二十二 古写真を読み解く―湖岸風景

湖岸風景

 大津市の風景は、昭和30年代後半から急激な変化を見せています。その要因としては、湖岸の埋め立てや湖西線の開通、住宅開発、流通革命以降の大型店舗の進出、道路網の整備などを挙げることができるでしょう。

 なかでも、著しく変貌を遂げたのは、浜大津一帯の湖岸でした。掲載した写真は、戦時中に撮影された、現社会教育会館付近の風景です。この建物は、昭和9年(1934)の建築になり、当初は大津市役所の一部と商工会議所が同居する施設で、3階のホールは、公会堂としても使用されていました。そして戦後、占領軍の指示により、昭和22年5月3日の新憲法施行の日、全国に先駆けて、大津公民館が開館しますが、そのとき使用されたのが、この建物だったのです。

 この建物は今も健在で、かつての位置にそのまま建っていますが(浜大津一丁目4―1)、建物の向かって右手に伸びる、枕木の付いた線路(当時は国鉄・江若鉄道供用)の外側が、すぐ湖であったことが、写真でお分かりでしょうか。この湖岸は、昭和20年代中頃から、湖岸道路のために埋め立てられましたが、さらに平成3年度には、大規模な埋め立てが実施されています。現在、同方向から写真をとれば、湖岸道路の向こうに、浜大津アーカスが見え、さらにその向こうに、新しい大津港に停泊している琵琶湖汽船の船舶が写ることでしょう。そして、今年度、湖岸道路をまたぐ陸橋の工事が始まっています。現在撮影された写真も、やがて歴史の一コマとなるはずです。たんに古写真を収集、整理するだけでなく、現状写真も、未来に渡って定期的に撮影していくことが、今後は必要となるのでしょう。それらの試みを、現在、大津市歴史博物館で開催している企画展「写された大津の20世紀」のなかで行っています。なお展示は、6月10日(日)までです。

 

大津市歴史博物館 学芸員 樋爪 修

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