新撰 淡海木間攫

其の二十四 河内のゴー(牛玉宝印ごおうほういん)

牛玉宝印

 滋賀県の湖北地域では、一月から三月にかけて五穀豊穣・村内安全を祈願して、餅をつき、お鏡や餅花をこしらえ、村の寺社に奉納するオコナイという村をあげての行事が繰り広げられる。これに、主人公というべきトウヤが四っ足の動物を食べないなどの精進潔斎(しょうじんけっさい)、神仏に供えるための特別 の食事(特殊神饌)などが垣間見られ、まさに民俗の宝庫というべき行事内容を誇っている。

 ここで紹介するゴーは、オコナイの際、村の人たちに配布された護符(ごふ)である。正式の呼称は、牛玉宝印といい、牛の腸・肝・胆に生じる結石を、すりつぶして朱とあわせ印を捺したもので厄除けの護符として社寺から発行された。畿内の大社寺では現在も修正会(しゅしょうえ)・修二会(しゅにえ)などで参詣者が牛玉 宝印をいただいたり、額に朱をもらって帰途につく。

 オコナイが改正されるまでは、坂田郡山東町河内でも同様に、トウワタシ(次のトウシュへ当番をひきわたす式)の際にゴーの先に墨を塗り、次のトウシュの額に捺していた。ゴーは、オコナイのトウヤがこれを作り、本日に拝殿へ供えたのち、村の人たちにわたしていた。ゴーは大切に持ち帰り、四月の末から五月の初めにかけて、水苗代(みずなわしろ)の際、水口に立て、害虫防除の護符とした。ゴーの木は、元来は河内の川岸にはえている柳であった。

 河内のゴーは、修正会・修二会などに登場する牛玉宝印と同様の物である。ただし立てられるように木に挟んだり、神霊の籠る特別の木である柳を選んでいる。柳は実りの象徴である餅花の材料にもよく使われている。この河内の例から判るように寺社から出される以外の護符が、民間ではどのような形態をとるのか。これを詳細に検討することで民俗の変遷のパターンを把握すると同時に、村のひとたちの、護符へ期待する祈りの姿が浮かび上がってくる。

市立長浜城歴史博物館 学芸員 中島誠

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