新撰 淡海木間攫

新撰淡海木間攫 其の六十八 絵絣の見本

大津市歴史博物館副館長 和田光生
絵絣の見本/図柄は異なるが、織りあげられた木綿絣/柄の見本とともに販売された綛糸

 田上郷土史料館には、衣生活資料が多数収蔵されています。なかでも女性が腰に巻いていた「三幅前垂れ」(7ページ写真)は、さまざまな絵絣で織られており、華やかな印象を与えます。絵柄は、年齢によって使い分けていたそうで、若者は大柄で一幅に1列で4つほどの絵柄が見られる「四ツ絣」、高齢になるほど小柄となり「十六絣」など、年齢に合わせて使い分けていました。
 古くは綛糸を数か所しばって藍染した「ククリ絣」が織られていたようです。そのころは十字や井形など簡単な図柄だったようですが、明治時代後期以降に絵絣が拡がるようになります。もちろん自家製で絵絣を織り出すことは難しく、絵絣糸を購入して織っていました。田上地方には、湖東から絣糸を売りに来ていたようです。麻絣が盛んだった湖東地方の技術を生かし、木綿絣用の糸を作成し、販売に来たのです。手機で織るので、緯絣ばかりでした。
 絣糸は綛にして売られますが、それがどのような模様の糸か見ただけではわかりません。そこで糸と一緒に織り上がりの図案を添えて販売されていました。織る時は、この図案を見ながら織り上げたのです。田上郷土史料館には、織り上げた三幅前垂れやその端切れなどとともに織り上がり見本の図案も収集されています(7ページ左下写真)。絵絣は、紺地に白で絵柄を表す黒絣と白を地として、紺で絵柄を表現する白絣があり、上田上牧町では白絣が好まれました。
 三幅前垂れなど伝統的な服装も、戦後大きく変貌し、その多くは廃棄され、資料として残ることも稀でした。田上郷土史料館は、こうした失われやすい衣生活資料を意識して収集し、その調査研究も重ねてこられました。絵絣の問題も、田村博望氏の「郡田新蔵創案の板締絣」(『民俗文化』第381号、平成7年、滋賀民俗学会)でまとめられています。

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