新撰 淡海木間攫

其の五十 太陽の塔背面の「黒い太陽」

滋賀県教育委員会文化財保護課 畑中英二

近江化学陶器で制作されたタイルを敷きつめた「黒い太陽」(大阪府吹田市・万博記念公園)


 2011年、生誕100年を迎えた岡本太郎。没後10年以上経っているとは思えないほどの盛り上がりをみせたことは記憶に新しいところである。
 その中で、知られざる太郎と信楽の関係に光をあてたのが滋賀県立陶芸の森産業展示館にて行われた「岡本太郎と信楽展」であった。
 では、やきものの町である信楽と岡本太郎がどのような関係にあったのだろうか。
 実は、1970年の大阪万博の際につくられた太陽の塔の背面を彩る「黒い太陽」は、近江化学陶器でつくられた信楽焼なのである。それだけではなく、1964年の東京オリンピックの際につくられた国立代々木競技場の壁面を飾る「競う」「足」「手」などの陶板レリーフや1963年につくられて以降も人気を博して増産された「坐ることを拒否する椅子」をはじめとして太郎の陶作品の大半は信楽の近江化学陶器・大塚オーミ陶業・陶光菴でつくられていたのだ。
 これらの大半は、コレクターが秘蔵するようなものではなく、多くの人が自由に見、ふれることの出来るパブリックアートである。とりわけ大型の陶板レリーフは北海道から大分県まで、12件におよび、さまざまなところで信楽生まれの太郎作品に出逢うことが出来るのである。
 この展覧会を機に、知られざる太郎と信楽の関係を発掘したことにより、信楽の魅力を増やすこととなった。ただし、信楽という町で紡がれた歴史はことのほか深い。今後、「岡本太郎」以外の知られざる事実が発掘されるであろうことを心待ちにしていただきたい。

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