新撰 淡海木間攫

其の四十九 水底の株

滋賀県立大学名誉教授 林 博通

下坂浜町沖で発見された株(上端は資料採取のため切断している)


 これは一見どこにでも見かける何の変哲もない小さな木の株です。「いったい、これに何の意味があるというのだ」と思われる方も多いでしょう。ところが、この株には過去の人たちの生活に重大な影響を与えた歴史が秘められているのです。
 この株は長浜港のすぐ南にある、下坂浜町の沖合118m、水深2m(標高82・37m)の湖底で見つかったスギの株で、今でも湖底にしっかりと根を張ったまま立っています。
 元は陸上に生えていたはずの木が、なぜ現在湖底にあるのでしょう。スギは水につかるとすぐに枯死します。放射性炭素年代測定でこの木の枯死した年代を割り出すと、西暦1470年頃から1660年頃の間であることが判明しました。琵琶湖の水位は坂本城など湖岸に築かれた「水城」の石垣などの調査や膳所藩の水位記録などから、15世紀以降今日まで標高84m代~85m前半代だったことがわかり、現在とほぼ同じ高さでした。とすると、この木の生えていた土地は湖底に陥没したことを意味するのです。
 では、なぜ118mもの沖合の土地が沈んだのでしょう。その原因は大地震によるものとしか考えられません。枯死した年代ころ近江国で起きた大地震を調べると三つほどありますが、長浜に甚大な被害を及ぼした大地震は天正13年(1586)長浜城下を襲った地震で、震源地は岐阜県中北部、マグニチュードは7・8と推定されるものです。記録によると、長浜城下の家屋はことごとく潰れ、城主山内一豊の娘も圧死したと伝えられます。口伝では湖岸にあった集落も沈んで、人々は北北東にある地福寺町に逃れ、その人たちは「水あがり組」と呼ばれて、現在もその子孫たちは地福寺町に住んでいます。
 一帯の湖底に地震で陥没した痕跡はあるのでしょうか。滋賀県立大学・京都大学防災研究所・大阪市立大学が共同で調査したところ、湖岸や湖底の地盤には大地震の液状化にともなう地すべり(側方流動)の痕跡が広範に存在することが判明しました。
 この何の変哲もない水底の株は、天正13年の大地震の悲劇を、いま私たちに語りかける貴重な「証人」なのです。

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