新撰 淡海木間攫

其の四十八 コウモリのおっぱい

多賀町立博物館学芸員 阿部勇治

モモジロコウモリの乳頭


 夏の夕暮れ時、たそがれの街でふと顔を上げると忙しく飛び回る黒い影が目に飛び込んできた。コウモリたちが、エサの昆虫を追いかけているのだ。気に留めなければツバメが飛んでいるのと大して違っては見えないが、彼らはれっきとした哺乳類である。翼にはちゃんと5本の指の骨が備わっており、頭には立派な耳介もある。そして、「赤ちゃんを産んで母乳で育てる」という哺乳類ならではの習性が、彼らにも受け継がれている。
 6月~8月にかけて、コウモリたちは出産と子育ての季節を迎える。彼らの多くは洞窟や木の洞をねぐらにしており、毎年この時期になるとメスたちは決まった場所へ集まってきて子どもを産む。生まれたばかりの子どもは毛のない丸裸の状態で、目は見えず飛ぶこともできない(キクガシラコウモリの仲間は、成長が進み毛の生えた子どもを産む)。子どもの数は種によって異なるが、大半は1回の出産で1頭、多くても2頭が普通だ。ネズミなど他の小型哺乳類では10頭近く産む者も少なくないので、この数はとりわけ少ないように感じられるだろう。でも、妊娠中もエサを求めて飛び回らなければならないという宿命を背負っていることを考えると、むやみに子どもの数を増やせない事情に納得がゆく。「子どもの数に合わせて」という理由なのだろうか。コウモリの多くは左右の脇腹に1つずつ合計2つの“おっぱい”を持っている。授乳中のコウモリのおっぱいは、その迫力はともかくとして乳頭の周りの毛が抜け立派に自己主張している。コウモリの母乳は、人間のそれと比べ乳糖が少なく脂肪や蛋白質が多い。生まれた子どもはわずか40日ほどで自立するが、栄養価の高い母乳が短期間での著しい成長を支えているのだろう。
 子育て中でも、母親は夜になるとエサを食べに子どものもとから離れてねぐらの外へ飛び立ってゆく。残される子どもたちは数百~数千頭にもなるが、母親はわが子の声をちゃんと聞き分けてそこへ帰ってくるというのだから驚くばかりだ。さらに、コウモリの母子は、時に信じられないような行動を見せることがある。モモジロコウモリの集団を調査中、体に巨大なイボのようなものを付けている個体が目にとまった。目を凝らしてよく見ると、乳首に吸いついた子どもをぶら下げて母親が飛び回っていたのだ。子どもの体重は母親の半分近くもあり、飛翔による空気抵抗を含めると小さな乳首にはものすごい力が加わっていることになる。ぶら下がっている子どもの吸いつく力も相当なものだ。
 コウモリの知覚している世界も身体的な能力も人間とはまったく異なるのだし、こうした行動は本能に従っているだけと割り切って考えることもできる。しかし、コウモリの母と子の間には、人間の親子にも負けない強い絆があるように思えてならない。夏の夕暮れ時、もしコウモリを見かけることがあったら、子どもを育てながら一生懸命に生きているお母さんコウモリのことをぜひ思い出してほしい。

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