新撰 淡海木間攫

其の五十五 近江鉄道高宮─八日市間路線地図

愛荘町立歴史文化博物館 三井義勝

「近江鉄道高宮─八日市間路線地図」(部分)㈶近江商人郷土館蔵


 明治27年(1894)7月26日、近江鉄道株式会社は仮免状が下付されたのと同時に路線用地と停車場用地買上のための仮測量に着手したといわれている。
 高宮―八日市間の路線については、明治26年(1893)11月15日付け、逓信大臣宛の「近江鉄道株式会社創立願」に「別紙図面ニ記スル如ク官線彦根停車場ヲ起点トナシ高宮愛知川八日市桜川日野水口ノ各地ヲ経テ」(傍点加筆)とあるように、愛知川(愛知川村)を経由することが明記されていた。
 近江鉄道創業期に取締役として奔走した四代小林吟右衛門の鉄道関係史料のなかに、高宮から八日市に至る路線と停車場を検討したとみられる地図がある(近江鉄道高宮─八日市間路線地図)。東方位を天とする画面には、縦に3本の河川(北から犬上川・宇曽川・愛知川)と横に2本の街道(東から中山道・朝鮮人街道)を強調して表しているほか、中山道以東の愛知郡とその周辺の村々や大字の位置などが描かれている。また、図中には中山道の東側を並行する路線と5カ所の停車場が書き込まれており、路線は愛知川村を経由する計画路線と同村を経由しない2本が引かれている。
 愛知川村を経由しない路線は、「高宮」と記された停車場よりさらに東側に記された楕円形の印を起点とする。これは高宮停車場の候補地を意味するのだろうか。この印から南の西甲良村(甲良町)内や豊郷村(豊郷町)大字雨降野を通過、さらに秦川村・八木荘村・豊国村といった現在の愛荘町東部の村々を横断し、愛知川を渡って旭村(東近江市)大字奥に至る。停車場の印は大字雨降野と秦川村大字深草との間、そして豊国村大字東円堂と同村大字苅間の間の2カ所に記されている。
 この路線地図には作成年やタイトルが記されていないため詳細については不明である。しかし、路線用地の測量や買上時に作成されたと仮定すると、2本の路線が引かれた背景として中山道近辺の用地買上が容易に進まなかった事情などを推測することができる。

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