新撰淡海木間攫 其の六十六 日野祭礼之図 渡辺雪峰
近江日野商人ふるさと館 旧山中正吉邸
岡井健司
渡辺雪峰は、山梨県富士吉田出身の日本画家・書家。明治元年、幕末の志士新徴隊の一員であった父平作の次男として、山形県庄内で生まれました。明治6年(1873)、郷里の富士吉田に父とともに帰郷し、絵を嗜んだ父の影響を受けて幼少期から画業を志しました。画を渡辺小華、書を長三洲に学び、明治35年(1902)に東京へ出て日本文人画協会を主宰し画家としての地位を確立しました。山水画のうち文人画の系譜をひく南画を得意とし、明治・大正・昭和にわたって活躍、昭和24年(1949)、富士吉田の福源寺にて没しました。
本図は、箱裏書により、明治26年晩春に雪峰が湖東日野渓を訪れた折、偶然に綿向神社の祭典を見る機会を得、北浦雅契氏の求めに応じて描かれたものであることがわかります。
雪峰が目にした祭典は、日野町村井に鎮座する馬見岡綿向神社の春の例大祭・日野祭のことで、5月3日の本祭には、綿向神社と御旅所である雲雀野の間を3基の神輿や神子・神調社の行列が渡御し、16基ある曳山が巡行する湖東地方最大の春祭りです。
本図には、多くの見物人で賑わう祭りの日の御旅所の様子が、力強く大らかな筆致で活き活きと描かれています。図中を詳細に観察すると、御旅所に集結した曳山(現在、御旅所へは1基のみが巡行)、奉納が廃止されて久しいホイノボリ(和紙と竹で作った幟・図中央右)や、現在とはデザインの異なる神輿舁き・神調社の衣装が精緻に描き込まれるなど、古式の日野祭の様子をうかがい知ることができ、民俗資料としても価値の高い作品と言えるでしょう。
絵を所望した北浦氏とは、御旅所が位置する日野町上野田に本宅を構え、東京八王子にて酒造業を営んだ日野商人北浦権平氏のこと。江戸時代中期から明治の頃、多くの画人たちが日野商人の財力と文化力を頼って日野を訪れました。日野近郷の蒲生郡桜川村(東近江市)には山梨県甲府で酒造業を営んだ近江商人野口忠蔵家があり、当代当主の夫人は女流南画家として著名な野口小蘋でしたから、雪峰は野口家との縁を頼りに日野の地を訪れたのかもしれません。