新撰 淡海木間攫

其の81 柴

 滋賀県立琵琶湖博物館 渡部圭一

柴

 リニューアルオープンした滋賀県立琵琶湖博物館の歴史展示室(B展示室)で、新たに展示される資料のひとつに「柴」があります。細い木の枝を丸く束ね、縄でしばっただけの簡単なつくりですが、過去の近江の人びとと自然環境との関わりをふりかえる上では、この柴の束は欠かせない存在です。
 柴とは植物の名前ではなく、山からとる燃料の種類をさす言葉です。おもにツツジの仲間やコナラなどの広葉樹の枝を、カマやナタで刈ってつくります。「おじいさんは山へシバ刈りに……」という昔話の定型句の正体のひとつが、こうした燃料用の柴であったことはあまり知られていません。
 写真の柴は、近江八幡市南津田町にすむ大正12年(1923)生まれの古老、西川新五良さんの手で、展示用に復原制作されたものです。あえて復原としたのは、柴のような日用の燃料は作製から消費までのライフサイクルがあまりに早く、いわゆる「民具」として今日に残される機会がないからです。
 津田内湖に面した南津田は、八幡山の西麓に広い共有山をもっていました。ところが聞き取りや古写真、また近世~近代の絵図や文書にさかのぼって調べると、この山には高い木はあまりなく、背丈ほどの高さの雑木が中心でした。柴をとる仕事は「シバシ」といい、秋の収穫の終わった人から山にいき、競って雑木を刈り取り、束を斜面の上から転がり落として運びました。
 新五良さんからの聞き取りによれば、高度経済成長期より前の南津田のふだんの燃料は、稲の藁、アカマツの落ち葉、そしてこの柴であったといいます。炭や薪(割り木)は貴重品で、割り木を使うのは正月用に搗くもち米を蒸すときくらい、あとは人が亡くなったときには火葬をする燃料として、山のアカマツを1本伐ることができた程度でした。
 「里山」の産物を代表する柴。そこには近江の森と人との関わりが凝縮されています。柴の形には地域ごとの違いもあり、その取り方や運び方もさまざまです。新装されたB展示室では、ジオラマや実物資料を駆使して、柴をめぐる人びとの営みを伝えています。

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