其の五十七 木造狛犬
MIHO MUSEUM 髙梨純次
神社の参道や社殿の前、左右に分かれて、にらみつけるように険しい表情で座っているのが狛犬、ということは、多くの方がご存知でしょう。神様をお守りする守護獣ということは、座っている場所や表情からもわかります。現在まつられている一般的な狛犬は、口を明けて咆哮する阿形像は獅子、口を閉じてにらみつける吽形像には頭上に角がある一角獣として狛犬、というように、獅子と狛犬が一対として配置されている例が多いのです。「獅子・狛犬」と、いちいち繰り返すこともわずらわしいということでしょうか、単に「狛犬」と呼んでいます(ここでも慣例に従って「狛犬」と呼びます)。
そもそも、獅子は基本的に、百獣の王ライオンに起源するとすれば、日本列島にライオンがいたわけではありませんから、これは、西方から伝来したものということになります。獅子が一対として祀られる事例は、インドや中国にありますから、その風習が渡来したものであると想像がつきます。しかし、そのうちの1体が、一角獣として祀られる事例は、平安時代にみられるようですが、果たして日本で生み出された形式なのかどうかも、今回MIHO MUSEUMの秋期展「獅子と狛犬」の論点の一つとなるでしょう。
滋賀県には、あまり知られてはいませんが、優れた狛犬像が伝えられています。全国的にみても、鎌倉時代を代表する狛犬として、この大宝神社に伝えられ、重要文化財に指定される像は秀逸です。細身で筋肉質の精悍な姿は、すべての魔を追い払い、神と神域を守護するにふさわしい形です。造形作品としての完成度も抜群で、優れた作者、おそらく仏像や神像を作っていた仏師のなかでも、高い技量の手になったものと思われます。大宝神社が鎮座する地には、鎌倉時代には延暦寺の庄園や、有力な門跡である青蓮院に関わる寺領などが確認されていますから、やはりこの優れた狛犬の造像には、延暦寺が呼び込む、高い技量の作者の洗練度がみてとれます。また、阿形の金箔、吽形の銀箔という色分けも、見所の一つでしょう。
栗東市綣・大宝神社
2軀 木造・彩色
像高:阿形47.3㎝
吽形46.7㎝
重要文化財 鎌倉時代