新撰 淡海木間攫

新撰淡海木間攫 其の七十二 ヤンソン「日本・蝦夷図」

(公財)日本習字教育財団 観峰館 寺前公基

 当館は、教育資料として、西洋古地図コレクションを所蔵しています。平成28年には、栗東歴史民俗博物館との共催で「琵琶湖誕生─日本・世界が見聞した琵琶湖─」を開催し、古地図に描かれる琵琶湖に注目した稀少な展覧会となりました。
 ご紹介する地図は、オランダ・アムステルダムの地図作者ヤン・ヤンソン(1588~1664)が作った日本・蝦夷図の代表的な地図です。ヤンソンは、アムステルダムにおいて出版を生業としていた地図作家です。ヤンソンは、1650年に『世界地図帳』を出版し、後世に「最初の海図地図帳」として高い評価を得ることになる優れた人物でした。
 本図は、同じくヤンソン編著『新地図帳』(1658年)に収載されたものです。その構図は、著名なゲラルドゥス・メルカトルの世界地図帳『アトラス』を受け継いだ、メルカトル=ホンディウス版の日本地図を元にしています。特筆すべきは、フリース(?~1647)の蝦夷地探検の成果を忠実に生かしたことで、初めて北海道の一部が描かれた地図の一つとして知られています。しかし、朝鮮半島を「半島」ではなく「島(INSVLA)」として描き、また縮尺を大きくしたために地名がずれてしまい、江戸が東北地方にまで移動するなど、不備がみられます。そしてテイセラ版世界地図の影響からか、四国を「Tokoesi」、九州を「Cikoko」と表記するなど、地名にも誤りがみられ、17世紀半ばのヨーロッパのアジア地理認識の限界を示しているといえるでしょう。
 とはいえ、九州、四国、中国地方、関西地方と、非常に多くの地名が記されており、特に太平洋、瀬戸内海の地名は、その位置関係が正しく把握されています。近畿地方に目を向けると、京(Meaco)の南方に小さく、琵琶湖らしき湖が描かれています。当時の地図に描かれる琵琶湖は2種に分かれ、瀬戸内海からの延長上の海と認識しているものと、本図のように京都の南方の湖としているものがあります。ともに、豊臣秀吉による、巨椋池や大坂へと続く淀川の整備が影響を与えたと考えられます。この後、琵琶湖は京の東方に位置する湖として認識され、「鮭の多くとれる湖」などとも表記されますが、それは17世紀末頃になってからのことです。

古地図コレクションの詳細は、中川敦之・寺前公基共著『琵琶湖ブックレット9 ヘン!?な琵琶湖(仮)』(平成30年9月発行予定)にまとめられていますので、あわせてご参照ください。

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