2005年 8月 27日

秀吉を支えた武将 田中吉政

田中.jpg 田中吉政画像

「功名が辻」放映関連本の第1作『秀吉を支えた武将 田中吉政』がようやく校了に近づいてきた。
一般にはあまり知られていないが、田中吉政は、秀吉の日本改造計画を推進し、『功名が辻』の主役「山内一豊」と同輩で、近世の扉を開いた一人といえる。

長浜城歴史博物館から始まり、愛知県岡崎市立美術博物館、福岡県柳川古文書館へと「田中吉政とその時代」と題する企画展が巡回する。

サブタイトルが「近畿・東海・九州をつなぐ戦国史」と名づけ、企画・編集には各館の学芸員のみなさんの熱い思いが詰め込まれた。さらに、この時代を語る第一人者の小和田哲男氏の寄稿が花を添える。

400年以上前に吉政がおこなった数々の土木事業は、それぞれの任地でいまや観光資源や暮らしの根幹を支えてい施設として今に生きている。
吉政は、秀吉が天下を掌握後、直ちに秀次の重臣として八幡の城下町の建設に着手し、いまや近江八幡の最大の観光スポットである八幡堀を開削している。地元にいながらまったくその業績を知らなかっただけに、この出版を機会に吉政に光が当たることを願う。

八幡での城下町建設が終わると、岡崎城主として矢作川の堤防や橋梁工事を行い、関が原合戦後には柳川32万余石の大名になった。ここでは、北原白秋のメロディーが流れる水郷や有明海の築堤工事を行った。とくに土木工事にその行政手腕を発揮した吉政であった。

戦国歴史ファンには、関が原合戦後、敗走する三成を捕らえた人物としてよく知られているという。戦国武将らしく、その面構えには、数々の勇壮な戦いの歴史を伝える傷が残る。まさに吉政らあっての秀吉と思えてきている。企画展は9月10日から長浜城歴史博物館で始まる。

かつて、吉政は、滋賀県高島市田中の出身とされてきたが、出身地はどうやら北近江らしい。詳細は読後のお楽しみとしよう。

『秀吉を支えた武将 田中吉政―近畿・東海・九州をつなぐ戦国史』は9月12日発売

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