近江旅支度
2010年 7月 30日

中山道から彦根城下への道

 百々に立つ道標で分岐した彦根道(朝鮮人街道)は佐和山の切り通しと呼ばれる道を越えて彦根の城下にはいりました。現在では佐和山トンネルが貫通し、旧道は国道に遮断されていますが、山を越え古沢町に続いていました。大正時代に鳥居本から彦根の女学校に通学していた人の話では、常に履き物(当時のことでわら草履であったと思われる)を余分に携行していたと聞きます。また帰宅が遅くなったり、雪が降った時には、当家の下男が送り迎えをしたとのことです。トンネルが開通していちばん喜んだのは、鳥居本を顧客としていた彦根側の麓の商人であったという話も伝わります。
 それはともかく、この切り通しは戦国時代に佐和山城太鼓丸の防御施設であった切り通しを利用したとの説があり、その後井伊直孝の時代に整備され、元和年間(1615~24)に彦根城下町の整備と並行して鳥居本の施設が整う過程で道路が整備されたようです。
 中山道と城下を結ぶ脇街道は、鳥居本宿から切通峠を越え、外船道を通り、現在のキャッスルホテル近くの切通口御門に入り、一方高宮からは大堀町の分岐を示す道標から東沼波をとおり七曲がりを通過し高宮口御門(現在のあさひ銀行)に入ります。現在の中央町には、城下町の宿駅機能をもった伝馬町があり、脇街道は、国内の幹線道路と城下町を結ぶバイパスの機能を果たしていました。

 

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