1時間でわかる家康と近江
A5判 80ページ 並製
ISBN978-4-88325-787-4 C0021
奥付の初版発行年月:2023年02月
書店発売日:2023年02月28日
在庫あり
徳川家康の天下取りには、近江人脈との葛藤と協調があって、初めて実現したと見るべきだろう。ここでは、家康と互角に戦う近江人脈の優秀性を指摘したいところだ。ただ、それにも増して重要なのは、近江が京・大坂を含むの東の玄関という位置にあったことである。この地理的要因がなければ、近江人脈の成長もないし、日本の東西交通の要として守りを固める必要もなかっただろう。交通や流通の拠点である近江国を制しない限り、家康は天下を取ることが出来なかったのである。(終章より抜粋)
序章 徳川家康の生涯
1章 越前攻めから姉川合戦
2章 国友鉄砲と家康
3章 「神君伊賀越え」をめぐって
4章 関ヶ原合戦と徳川家康
終章 家康に立ち向かった近江人脈
天下平定を遂げた家康の人生の中にはいくつもの大きな危機的状況があった。とりわけ、九死に一生を得たといわれる越前攻めからの退却、本能寺の変後の「神君伊賀越え」は、家康の運命を大きく変えた。さらに家康の天下取りを阻んだものが近江人脈である。その第一ステップが関ヶ原合戦であり秀吉家臣・石田三成であり、その後大阪の陣では全国統治を下第二ステップの前に立ちはだかったのが近江出身の浅井長政遺児の淀であった。京・大坂の東の玄関といえる近江に地理的要因による。交通や流通の拠点である近江国を制しない限り、家康は天下を取ることができなかった。
昭和36年10月、東京都世田谷区生まれ。昭和61年3月、明治大学大学院文学研究科(史学専攻)博士前期(修士)課程修了。専攻は、日本中世史・近世史。特に、国宝「菅浦文書」や、戦国大名浅井氏に関する研究を行なう。昭和61年4月から市立長浜城歴史博物館に学芸員、平成26年4月から、長浜市長浜城歴史博物館館長を3年間勤める。市民協働部次長を経て、平成30年4月から学芸専門監。令和4年3月退職。現在は淡海歴史研究所所長。
著書に『テクノクラート小堀遠州』『近江が生んだ知将 石田三成』『浅井長政と姉川合戦』『湖の城・舟・湊 琵琶湖が創った近江の歴史』いづれもサンライズ出版がある。平成23年NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」では、時代考証スタッフをつとめた。
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