特集 滋賀会館シネマホール復活

 前号に続いて「復活」です。大津の官庁街の一角にある滋賀会館の5階、週1本のペースで8年2カ月の間に計436本にのぼる世界各国の作品を上映し、一部からは高い評価を受けていたシネマホール。「平成14年度をもって閉鎖」の危機に直面しましたが、固定ファンからの要望によってこの6月から再び上映を再開します。
 新たに同ホールの運営主体となった滋賀会館シネマホールファンクラブの皆さんの会合の場に加わらせていただき、会館の誕生からすると半世紀に及ぼうとする映画上映の歴史と今後の方向などについてお話しいただきました。

▲表紙写真:滋賀会館の全景

● 表紙の言葉 ●

 左手前、道を越えると県庁正面にあたります。滋賀会館シネマホールは、中央館の5階にあり、写真中央の入り口からエレベーターで上がります。歩道橋を渡っていた高校生も入っていくかなと見ていたのですが、違いました

滋賀会館シネマホールファンクラブ会合

5月24日(土) 午後7時~  大津市・無国籍レストラン ふゅーちゃ2F

閉まると聞いて、もう真っ青になって。

中川(滋賀会館シネマホールファンクラブ代表) 本日は初めてお目にかかる方もおられますが、ファンクラブも30数人に増えました。本日の出席は15人ほどですが、だいたいメンツがそろってまいりました。改めまして私、代表の中川学と申します。

●シネマホールファンクラブの事務局を担当しております。いかに「公設民営」というのをやってくかということで日夜頭を悩ませております。よろしくお願いいたします。

▽(編集部)今日は中川さんにお頼みして、取材に参りました。一応、私も滋賀会館のシネマホールは2~3回、観に行ったことがあります。ビデオレンタルで観てしまってから、パンフレットだけ買いに行ったことも数回。「閉館」を残念に思っていたところ、皆さんのご活動を知りました。

岩根 彦根から参りました。サンライズ出版(小誌発行元)の岩根順子と申します。今日は昼間、今日ご出席のお一人と別件でお会いしていたもので、ついてきてしまいました。飛び入りでございます。

▽まずは、皆さん、滋賀会館シネマホールとの関わり、そして、なぜファンクラブに参加なさったのかといったところをお一人ずつお願いできますか?

●シネマホールは会員になってずっと観ており、そこがピンチということで、ちょっとでも支えられる側になれたらなということで参加しました。

●私は動機が不純でして、映画を観たからとかいうのではなくて、びわ湖ホールにやたら金をつぎ込んでるのに、こんな弱小の所を潰すというのに腹が立ったんですよ。それだけの話です。

●私は映画を作りたいんですが、映画も観たい。ついでに町も盛り上がればいいなというふうに思っています。

●中川さんとは2年ぐらいのおつきあいで、シネマホールファンクラブのホームページの運営とかもしてますので、機会があれば見てください。

●映画プラス滋賀会館自体の活性化もできたらなということで参加しました。

●水口から来ました。就職活動中の大学4回生です。時間だけはあるので何かしたいと思っています。

●自慢じゃないですが、一年365日毎日映画観てます。ただし、CSですけど(笑)。滋賀会館にもお世話になったということで。

● シネマホールの歴史は私の映画の歴史と重なっていまして、閉館というのでシネマホールで何本くらい観たかなと数えていたら、ちょうど100本ぐらいでした。なくなると聞いた時は、何もできない自分が歯がゆくてくやしかったんですけれども、復活ということでうれしく思っております。何か恩返しができたらなと思っております。

●もともと大阪の人間で、こちらに来て3年ぐらいなんですが、住んでるところから歩いて5分ぐらいのところに映画館があってすごくうれしかったです。中川さんもいうように、滋賀会館といっしょにこの町を盛り上げていければと思っています。

●バレエの「白鳥の湖」を滋賀会館で観たのは、この中では私だけじゃないかと思っております。大津の町家を考える会の会員でもあり、町の活性化に何かできればと思っております。

 ▲1954年、開館当時の滋賀会館全景(県庁本館からの撮影と思われる)。背後に琵琶湖が望める(『県立滋賀会館報告書1』より)

●膳所に住んでいます。30数年前、その滋賀会館と教育会館で映画をやっていた頃、『父ちゃんの声が聞こえる』だとかの頃から観に来ています。この 20年ぐらいは週に1回は映画を見続けています。滋賀会館の上映作品も半分ぐらいは観て来たので、今回閉まると聞いて、もう真っ青になって。復活すれば、遠くへ観に行く必要もないので家計も助かることと思っています(笑)。

●私は近江八幡から来ました。八幡でライブをやったりとかいろいろやってます。映画も好きで、子供の頃から滋賀会館にも来ていました。新聞で閉館と知った時には、八幡で立ち上げたろかとも考えたぐらいだったんですが、中川さんらがやられるということで、ぜひお手伝いしたいと思ってまいりました。

●石山から来ました。ちょっと前に京都朝日シネマ(京都朝日会館2F)が閉まる(2003年1月29日に閉館)というニュースがあり、滋賀会館もというので「困った、困った」と言ってたら、中川さんがこういうことをやってくださったのでお手伝いしたいと思いました。

僕らの世代やと、滋賀会館というと「学校で映画を観に行く所」

▽記事用に順序だてて会話を進めさせてください。滋賀会館が開館したのが、49年前、昭和29年(1954)6月15日ですね。1階に1000席余りの大ホールがあって…。

中川 今でもあるよ。昔、あっちで映画を観たことのある人は「えらい滋賀会館、小そなったな」て言わはる(笑)。

岩根 ○○大会とかあると会場になる。

中川 年間50日ぐらいは稼働しているそうです。

岩根 滋賀県下で何かイベントを開催する場所というとほとんどあそこしかなかったんです。私の小学生時代、昭和30年前後ですね。今だったらびわ湖ホールでやるような県の大セレモニーなんかを、滋賀会館の大ホールでやってたんです。

中川 昨日も歌ってらした人がいた、あの「滋賀県民の歌」。

岩根 ヒラノミネユク シロイクモ…。

●ウルワシノシガ アカルキシガ…。

中川 僕、それ知らんわ。その県民の歌を開館の時に動員されて歌ったという方がおられるんですよ。小学生ぐらいで。

▽資料によると、開館の式典の午後の部で「滋賀県民の歌」発表が大ホールで行われたそうです。その後、先ほどお一人が自己紹介で言われたように、ロシアというかソ連のバレエ団による公演などの場となってます。

●俺、滋賀会館で矢沢永吉、見たことあるよ。 一同 え(笑)。

●昭和何年ごろやろ? 20いくつのとき。キャロルの頃ではなくて、解散してからやわ。1回調べてみて。

中川 あの中に結婚式場もあった。レストランとホテルも琵琶湖ホテルの経営で。

▽利用件数が一番多かった昭和38年(1963)で年間180組の方が式をあげておられます。

●それは知らなかった。

●私はあの中に県立図書館があったのは知ってます。記憶にあるかないかの頃なんですけど。

中川 あなた、それは若いわ。

▽昭和55年に文化ゾーンの方に新しい県立図書館の建物ができて移転しました。開館の頃に戻ると、大ホールで最初に上映された劇映画が『風と共に去りぬ』。戦後始まった1階の大ホールで観た映画というのは覚えてますか?

●『沈黙の世界』、『海底二万哩』。

岩根 知ってます。知ってます。

中川 社長一番盛り上がってますがな。

▽昭和37年には、大ホールに70ミリの映写装置がついて、京都にもない、西日本最大の映写設備といわれたそうです。

●今、映画というとビスタサイズと横が長めのシネマスコープっていうやつがあるじゃないですか。シネマスコープは特殊なレンズで左右を圧縮して撮って、映写のとき元に戻すんだけど、70ミリというのは本当にフィルム自体が大きい。『アラビアのロレンス』とかがそれで…。

●画面3つを同時に映すシネラマもあって。

●『ベン・ハー』の時は、ほんまに…。

●映画にお金をかけてもそれだけ人が入ったんでしょう。テレビがまだそれほどでもなかったから。

▽そのテレビの普及と平行して映画の興行はダメになっていくわけですが。その大ホールでの映画上映というのはいつまで続いたんですか?

●昭和40年代かな? ディズニーの『101匹わんちゃん』とかはあった。

中川 まわりに映画館が増えてきて、大津で中町に2つあって、全部で民間の映画館が4つぐらいあったんです。そこに公立のものがあると民業圧迫といわれたんですよ。昭和40年代に常設館はやめたけれど、完全に閉まったわけではなかった。

▽資料では、昭和43年(1968)に貸館事業の需要が増えたのと、映画の入場者数が減ったために「一般向け映画事業を縮小」となってます。それまでは、普通のロードショーですか? 時期はずれでなく。

中川 そうです。洋画のロードショー。民間で邦画、東宝・大映・松竹のをやると。教育会館と滋賀会館、同時にやってたと思うけどな。行った記憶があります。

●子供の頃の思い出としては、教育会館前にポスターが貼り出されてあった。

●私は昭和36年生まれで、途中京都に出ていたこともありますが、大津生まれなので学校から見に行った覚えはありますね。大ホールへ。

▽資料では、昭和30年の12月、ディズニーの『ファンタジア』を上映しており、「午前中学童団体鑑賞」とあります。これがずっと続いていたわけですね。それは学校全部でですか?

●学年全部で。その辺、記憶が定かではないんですが。

●公害の映画を観た気がしますわ。

▽やっぱり教育映画っぽいやつですか?

●僕らの世代やと、滋賀会館というと「学校で映画を見に行く所」というイメージが強いと思いますね。

中川 この刷り込みは強いと思いますね。

▽それもある世代まで?

●今でも学校来ますよ。子供がぞろぞろと歩いてるのよく見ますよ。

中川 高校ん時でも授業さぼって映画観にいったりしてて。

●大黒座へ遊びにぼくら行くと看板描いてはってね。そっから、子供やと入れたんですよ(笑)。

●商店街の中に2つあったんですか?

●今、マンションになってるとこと、今、飲み屋さんになってる丸屋町の……。有楽座は市場の方に。

●芝居小屋があったんですよ。札の辻に。ぼくら小さい時はチョチョーッと入り込んで。

●それは大衆演劇みたいな?

岩根 昭和30年代まではどこにでもあったんですよ。芝居小屋が。そこがいっしょに映画館もやってはった

県庁職員の中にもファンは非常に多かったそうですよ。

●一時、映画館が滋賀県内にまったくなかった時期がありませんでした?

中川 平成6年に教育会館(民間の会社が興行主)が閉館して、なくなっちゃったから、滋賀会館でのほぼ毎日の上映が始まったんです。

▽それは、県民なりの要望からだったんでしょうか?

●特にそんな組織だった動きがあったわけではないと思います。聞いた話だと、前の稲葉稔知事が非常に映画好きであったと。

一同 はーっ。

●最初の言い出しっぺが知事かどうかはわからないですけど、そういう話が出てきた時にイニシアチブをとられたというように聞いてます。

▽他県にはないものだったんですか?

●公立の常設の映画館というのはなかったはずです。

▽ 映画興行の流れを振り返っておきますと、全国的に1970年代に入場者数が落ち込んで洋画がほとんど輸入されなくなったわけですね。1980年代半ば、既存の大きな映画館などがなくなる一方で、西武セゾングループなどが東京都内のあちこちに小さめの映画館をつくって、ヨーロッパをはじめいろんな国の、しかも新旧両方の映画を配給するようになる。これがいわゆるミニシアターです。日本の若手監督の作品も混じるようになって、質的にもハリウッドの超大作なんかより優れているという評価が定着した。
 これらは、都内など全国でも数カ所でしか観られなかったわけですが、なぜか「滋賀会館でもやってるぞ」と。作品選びとかはどうなってたんですか?

●それは文化振興事業団というより、RCSさん。

中川 今までのシネマホールの作品の選定というのはあくまでRCSがやってる。RCSの僕とよく似た顔をした佐藤英明さんは、非常に優秀な方で、いい作品を引っ張ってきたり、組み合わせるのが上手なんです。ただ、上映の仕方については、いくつか制約があって、1作品1週間で、どんなに当たってもそれ以上は続けないとか。

▽それはもったいない話ですね。

中川 ちょっと変わったことをしようとすると稟議を回さなければならない。監督の舞台挨拶とか。藤山直美主演の『顔』がヒットした時、あれは大津セブンシネマと同時にやってたんやけど、それでも客入ったんですよ。で、阪本順治監督がセブンシネマに来てるから、「滋賀会館にも行きたい」と言ったそうなんですけど、急に来てもらうと困るとお断りしたと。

岩根 その辺は小回り効かなさそう。

▽県庁職員の方は、もうベストな立地というか、すぐ目の前なのに。

岩根 仕事の上ではなかなか語りませんが、県庁職員の中にもファンは非常に多かったそうですよ。今回の閉鎖の話が出た時も悲しんでる人が大勢いたと聞きます。

 逆に、映画が好きではない人にとってはまったく理解できないことではあるんですよ、「あんなマニアックな一部の人にしか還元できないようなことに税金をつぎ込むのは、もったいない」と。その場にちょっとでもわかる人がいるとまた全然違うのかも知れないですけどね。

中川 「 公 」みたいなことで全部カバーしようというのはたいへんやから。

●最近で言えば『ハリーポッター』だとかお客さんが入る映画はほっといても観られるけど、そうじゃない映画はなかなか観られなかった。

●その点、京都の朝日シネマよかったのにね。残念だった。

●私は水口で大学が彦根なんで、ビバシティの中に映画館あるんですけど、水口にも同じようなシネコンができたんで、やってる映画は同じようなのなんですね。

中川 そういうわけで、皆さんのご援助、ご支援によって非常にスムーズに行っています。6月4日から上映再開ということになりました。週休2日で5日間の上映ということで、オフシアターなんですけどね。
 これまでの経過を説明しておきますと、今年1月11日の新聞滋賀版に「県が14年度いっぱいでシネマホールの閉鎖を検討している」という内容の記事が掲載されました。これに対して、同月17日に私が代表になりました「滋賀会館シネマホール映画事業存続を求める県民有志」、10人ほどの集まりが事業団理事長宛に存続要望書を提出しました。そこで理事長さんに「協議の場をつくる」という約束をしていただきました。この時に問題にしたのは、情報開示がなされていないということでした。いきなり「閉まる」と新聞で知ったんです。2月上旬に経過の説明が事業団側からありました。この運営実績からいかに集客が悪いか、赤字がかさむかということを縷々説明いただきました。
 けれど、これを見て、私の感じたのはまったく逆で「全然数字変わってない。入場者数はむしろ伸びてるやんか」と(笑)。平成11年には一度落ちてますが、また翌年回復してます。

▽調べたところによると、持ち出し(赤字分)は300万円ほどだったんだそうですね。年間通じて。県の事業でその程度だったらすごい健全経営じゃないですか。

中川 入場者数は平均すると1回の上映に20人ぐらい。

●私は2人ってときありました(笑)。

▽自分ともう一人だけ?

●さすがに自分だけってのはない。

中川 なぜか、ゼロってことはないそうです。それで県側としては、(予算が切られたので)プランは立てられない。民間の方で何かプランがあれば支援も可能だと。それならというので、平行して京都のRCSさんと協議をしました。その時点で、事業団側から「シネマホールという名称と上映コンセプトは残したい」という意向が出ました。
 そこから第2段階に入り、3月23日の協議で、県民、事業者、公共施設の三者運営の事業存続で合意に至りました。4月16日に入り口の所の看板をあげて、RCSさんからチャレンジ上映をやってみようと提案があり、4月25日から5月18日まで3日間ずつ3作品を「復活再生プロジェクト上映」ということで上映したわけです。
 復活再生上映の動員数は良好でした。『たそがれ清兵衛』の第1回目には132名。翌日には179名とか3日目には175名、最終上映作品の『猟奇的な彼女』も133名入った日があります。

10分、20分とズルズル延ばしていけばええんやし(笑)。

中川 ただし、復活再生上映の成績は、あくまで瞬間最大風速だろうと思ってます。映画だけで売っていこうとするとなかなか難しいのではないか。ある時は立ち見が出て、ある時はガラガラという可能性もある。じゃ、何をしていったらいいかということになるのですが…。

●今、ちょっとこっちで話してたんですが、映画だけでなくて、映画と何か、トークショーとか、音楽会とか、とコラボレートしたい。

●私が今まで観た中で一番好きな映画は『ナビィの恋』なんですけど、沖縄を舞台にした。だから、リクエストとしては同じ監督の『ホテル・ハイビスカス』を次は上映してもらいたい。草津のシネマハウスでは『ナビィの恋』上映の後で、監督のトークショーがあったんですね。そういうのをやってもらいたいです。映画だけじゃなくて、イベント的な。

中川 わかりました。これからは稟議書が回ることはないと思うんで(笑)。また、ホームページの掲示板にいろいろ書き込みしてください。リクエストなどは。じゃ、次は、いつも前の席で泣いたり笑ったりしていた○○さん。

●監督さんをよんだり、講演会みたいなのもあると、面白いかなと。

●あっちこっちにシネコンがありますが、それとは違う、何かをやって。

中川 もっと基本的なことからいうと、今の状態というのは、たまたま滋賀会館という建物の5階にあるけれども、外から見たら何もないという状態なわけです。じつは、「県庁側に看板を立ててはいけない」という決まりがあるんだそうで。

一同 へぇー。あそー。

中川 要するに県の施設に看板類はダメ、「琵琶湖ルール」の看板というのは例外であって、基本的にないんだということです。南西側からも見えるように大きく「シネマ」とでも書けば、よくわかるんですが、できないんです。

●今だに、あんな所で映画をやっているなんて知らない人が圧倒的に多い。

中川 それは地元でもいっぱいやあるよ。

▽それは大津以外でだったらもっと知らないですよ。

中川 また、映画を見終わって「さあ、どこか行こうか」ということになっても、お茶する所もなかなかないと。それも何とか打開したい。地下街は皆さん知っておられますか?

岩根 平和亭。安くておいしい。

中川 500円分食べると50円の券とウーロン茶がついてくる(笑)。けれど、今日なんか、土曜日は半ドンやいうんで大半の店は2時半で閉まってしまう。だから、シネマホールだけでなくて、会館全体も視野に入れた何かができないか。

岩根 観た後の余韻をどこかで味わいたいでしょ。そういう場がね、お茶とお菓子だけでもいいんですよ。

▽問題点として、駐車場がないので車で来ることができないとか、あがってなかったんですか?

中川 それはしょうがない部分があって。町なかやしね。

▽土日は県庁の駐車場を開放するとか?

中川 そうすると、管理者を雇うことになるし。むしろ、最初から町なかだから車は入れないという考え方でいいと思う。

▽電車で来いと?

岩根 それはね、大津のエゴやと思う。

中川 いや、エゴじゃないですよ。そもそも大津は車を入れすぎなぐらいでしょう。どこかで車から降りて、電車に乗り換えてもらって来るというのが、町の普通の姿やから。

●やっぱ県庁を開けたらええんやと思うけどな。富山の県庁は開放しとるもん。やろうと思えば簡単なことです。

中川 まぁ、徐々に徐々にですわ。何もかも一遍にはできんし、夜9時半には終わらなくてはいけない映画館だから。

▽あれは何十年も前に決まった使用時間の規定がそのまんまになってるんですね。

中川 いきなりは無理なんで。10分、20分とズルズル延ばしていけばええんやし(笑)。それも徐々にですよ。そりゃ、最後にはレイトショーやオールナイトやろうと思うけどね(笑)。

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