20年前の開館のときも展示された中路作品

──近江商人に関する古文書などが展示されている博物館と同じ建物に、日本画家の展示館ができたことは、素人目には意外な感じがするのですが。

上平 近江商人博物館自体は、平成8年4月、当時は合併前で神崎郡五個荘町だった頃に、「近江商人発祥の地・てんびんの里」のPRを兼ね、彼らの事績を顕彰する施設としてオープンしました。
 じつは、その開館のときも企画展示室のこけら落としとして、中路先生の作品の展示会をさせていただいたんです。

──開館以来のおつきあいなのですね。

上平 近江商人の社会的な貢献という場合、経済活動、商業活動が注目されますが、文化振興、芸術振興の面でも、非常に貢献が大きかったんです。

 明治以降の美術界でいえば、近江商人の家に生まれて日本画家になった野村文挙※1。幼少期に五個荘地域の商家の養子となって同郷の野村文挙から絵の手ほどきを受けた山元春挙※2。あるいは、五個荘の大商人である塚本定右衛門家に丁稚奉公に入り、その才能を認めた主人の援助を受けて日本画家になった邨松雲外※3。 

 金堂地区の外村与左衛門家は、いまも存続している総合繊維商社、外与の創業家にあたりますが、その10代与左衛門も、幕末期に活躍した文人画家の日根対山※4に絵を習っています。お宅を見せていただいたさい、絵具がいっぱい残されていました。

 湖東へやってきた文人画家が近江商人の本宅に逗留することもよくありましたし、近江商人の存在が、地域全体の文化力を押し上げていたのは確かだろうと思います。

──本来、近江商人と日本画家の結びつきは深かったわけですね。

上平 20年前の開館当初に、中路先生の作品を展示したのも、かつての近江商人のふるまいにならって、博物館が地域の人々に日本画に触れていただける機会を創出することが、一つの目的でした。

 そして、以降も毎年春の企画展は日本画展と決め、中路先生のご協力のもと、ご紹介していただいた現代日本画壇で活躍されている作家を毎年お一人ずつ紹介してきました。そちらもちょうど20年になります。

春季企画展「日本画展」

近江商人博物館で恒例となった春季企画展「日本画展」(写真は平成23年のようす)

──記念館の開館までの経緯をお教えいただけますか。

上平 まず、開館のきっかけは、中路先生から東近江市に、描かれてきた作品52点を寄贈いただけることになったことです。

 近江商人博物館の開館のさいにも、博物館に《朝靄》という作品1点をご寄贈いただいたのですが、その後は素描を数点集めさせていただいただけで、本画は所蔵していませんでした。

 中路先生は京都出身ですが、お母さんが東近江市五個荘木流町の生まれで、里帰りのさいにはよく連れてきてもらったそうなんです。あちこちで遊んだ記憶もある、ゆかりのある土地だと。

五個荘金堂町の町並

五個荘金堂町の町並。地区の主要部分は、寺院を中心に商家建築と農家建築が混在する景観が、湖東平野の伝統的な農村形態をとどめているとして、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている

 その時、目にした曲がりくねった小川や、田んぼ、榛の木などがすごく印象深くて、自分が作家になって題材に悩んだとき、母に連れていってもらった五個荘の風景を思い出したそうです。以降、描きたい風景を追い求めて、60年以上もの長い間、滋賀県の風景を描き続けてこられたんですね。

 自分にとっても、創作の原動力となるような場所であった東近江市に寄贈しますという、ありがたいお話で。

 ところが、それだけの作品を公開する施設が東近江市内には存在しなかったんです。そこで、近江商人博物館も入っている、てんびんの里文化学習センターの2階を改修して、先生の作品をいつでも見ていただける展示室をつくることになりました。

 その記念館のオープンが、開館20周年の年になったのは偶然なのですが、本当に記念すべき20周年になったと思います。

──近江商人博物館は、金堂の町並みの散策とワンセットで訪れる方が多いと思いますが、ちょうど中路先生の作品は、かつての五個荘の風景を幻視するような……。

上平 そう感じていただけると一番うれしいですね。私も展示しながら、近江商人が見た風景もこんなふうではないかと思いました。江戸時代、こういうところで近江商人たちが生まれ育ったんだなと、ビジュアルでも感じていただけるのではないでしょうか。そう思って見ると、当館にふさわしい作品だなと、改めて感じます。

近江商人博物館の新コーナー

──上平さんご自身は、日本美術は専門外の分野なのでは。

上平 それまでは古文書などの資料を相手にしてきましたので、正直、知識がまったくなくて(笑)。初めは自分が日本画という非常にデリケートな作品を取り扱うことに対して不安がすごくありました。

 日本画とは、日本の伝統的な岩絵具で描いた絵をさすというのも、展示会にたずさわるようになって初めて理解したほど、何も知らない中で、いろいろな方のご協力を得ながら、作家の先生に毎回教えてもらいながら、何とか形になってきたという感じですね。

──美術の方向から近江商人に接近することで、理解が深まる面もあるのでは。

上平 確かにそうですね。日本画の展示をする中で、江戸時代の近江商人の事績を追うさいに芸術文化、文芸などもふくめて見るようになると、本当にこの地域の近江商人たちは豊かな文化活動をしていたなと感じるようになりました。

──最後になりましたが、近江商人博物館の展示リニューアルを紹介いただけますか。

上平 近江商人博物館の展示替えとして、まず、以前は常設展示室内にあった「帳場体験」コーナーを、外光のあたる3階ロビーに移動しました。広々とした場所で、丁稚さんなどの衣装を着て写真撮影を楽しんでいただけます。

 常設展示室内には、2つのコーナーを新設しました。「近江商人の家訓」では、商人の心得として「陰徳善事」を説いた中井源左衛門家「金持商人一枚起請文」などのいくつかの家訓を展示し、「現代に活躍する近江商人系企業」では、近江商人にルーツをもち、現在もその理念を継承している企業として14社を紹介しています。

展示リニューアル

左「近江商人の家訓」:右手の「金持商人一枚起請文」(複製)は、さるゆかりの方からの寄贈/中「帳場体験コーナー」:大福帳などが置かれた商店の帳場を再現/右「現代に活躍する近江商人系企業」:紹介している企業の一つ、矢尾百貨店(埼玉県秩父市)を訪れた上平さんは、滋賀県から来たと告げると思わぬ厚遇を受けたそう

──続いて、リニューアル記念の「野口謙蔵」展についてお聞きします。(インタビュー3へ続く)


※1 野村文挙 (1854〜1911)日本画家。京都生まれ。父は五個荘出身の呉服商・野村宇兵衛。円山・四条派の写生画に近代的描法を加味した風景画を得意とした。

※2 山元春挙 (1871〜1933)日本画家。膳所(大津市)に生まれるが、幼少期に五個荘の小杉家の養子となる。野村文挙、森寛斎に師事。伝統的写生画に西洋画風を取り入れた独自の画風を確立。

※3 邨松雲外  (1870〜1938)日本画家。近江生まれ。奉公先の塚本家で絵の才能を認められ、森寛斎に師事。国内各地を旅行し、風景画を多く描いた。

※4 日根対山 (1813〜1869)文人画家。和泉(大阪府)生まれ。幕末に京都で活躍した。


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