特集リアルセンゴク


北近江一豊・千代博覧会フィナーレ協賛イベントとして、「リアル センゴク―戦国合戦の真実と虚構を語る―」が長浜市で開かれました。

戦国史や城郭の研究者も舌を巻くマンガ『センゴク』について、作者と研究者が語り合ったもようを紹介します。

(協力/講談社ヤングマガジン編集部・長浜城歴史博物館)

[表紙写真]

宮下英樹著『センゴク』第1~11巻。サイン会で小社Fが宮下先生に信長を描いていただきました。ちなみに第11巻表紙にも載っている斉藤龍興は、講談社の編集担当者Tさんがモデルだとか。確かによく似ておられます。取材ご協力に感謝。



11月25日(土)午後1時30分~ 臨湖(長浜勤労者総合福祉センター)多目的ホールにて



司会 太田浩司さん

〈戦国史研究家〉

(市立長浜城歴史博物館館長補佐)



中井 均さん

〈城郭研究家〉

(米原市教育委員会文化スポーツ振興課課長)



宮下英樹さん

〈マンガ家〉


戦国ものをリアルにいこうと

太田 中国版や台湾版、韓国版も出版されるなど、話題の『センゴク』ですが、前作の相撲マンガと比べて反響はいかがですか。

宮下 個人的にはどちらも好きなんですが、前作『ヤマト猛る!』は売れなかったですね(笑)。『センゴク』ではマンガファンより歴史ファンがついてくれたのが予想外でした。

太田 中井さんは『センゴク』を読むきっかけは。

中井 同じ職場でマンガ好きの人に「秀吉の指は6本あったんですか※1」と聞かれたんですが、実はぼく知らなくて「そんなことないやろ」と読みはじめたんです。

第4巻には、近江と美濃の国境にある長比(たけくらべ)城の堀秀村という若い殿様や、樋口直房という老いた重臣が出てきて「境目の城」の城づくりまで描かれています。これはふつうのマンガ家じゃない、ここまで詳しく調べるとは相当な歴史好きだろうと、それからこの作品の虜になりました。

太田 宮下さん、堀や樋口といったマイナーな人をどうして知ったんですか、滋賀県の人でも知らないのに(笑)。いろいろ調べてるうちに?

宮下 そうですね。すると人物像が浮かんできたんです。幼い城主と彼をサポートする老人、そして彼らを引き抜く木下藤吉郎…。ドラマチックですよね。

太田 戦国時代を描こうとしたきっかけは。

宮下 前作が売れなかったのが大きい(笑)。小学生の頃からゲームで信長などの武将には親しんでいたので、戦国ものはいつかは描きたいと思ってました。これが売れないともう次はないと、最後のチャンスと思って挑戦したんです。

担当編集者との打ち合わせではいろんな案が出ました。ぼくはファンタジーを交えたヤマトタケルの時代も描きたかったんですが、編集さんとお互いに興味のある題材が戦国時代だったんで、今回は戦国ものをリアルにいこうと。

太田 中井さんの専門は考古学ですが、城郭研究が先ですか?

中井 城が先です。小学校6年生からだから。中学生のときは日曜日になると関西の城に行って写真を撮ったりしていました。

当時、戦国時代の城の研究は全然されていなくて、『センゴク』に出てくるような山城は、石垣とか天守がないから「何も残っていない」といわれていました。実は行ってみると土塁(どるい)※2とか堀切(ほりきり)※3があって、ますますのめりこみましたね。大学でも城をやりたくて、ただ太田先生と違って文書が読めないので(笑)、発掘ならできるやろうと考古学を選びました。

太田 『センゴク』の主人公、仙石(せんごく)秀久は美濃(岐阜県)生まれで秀吉の家臣です。史料によって年代は違いますが、おそらく賤ヶ岳の合戦の後、淡路(兵庫県)の洲本(すもと)城主になります。四国攻めにも参加し、九州島津攻めでは大敗して逃げ帰るという大失態をみせ、高野山に謹慎します。一時、没落するわけですが、その後、小田原の陣で活躍し、信濃(長野県)の小諸(こもろ)城主になります。

関ヶ原の合戦では、東軍別働隊の徳川秀忠に従って信濃真田氏の上田城攻めに参加します。そして慶長19年(1614)、大坂の陣を前にして亡くなります。これまで戦国史研究者でさえあまり注目してなかった人物ですが、中井さん、知ってました?

 中井 僕は好きでしたよ。甲冑姿で「丸に無の字紋」の旗印をつけた武将らしい肖像画が残っていますが、まさかマンガの主人公になるとは思ってませんでした(笑)。

太田 なぜ仙石を主人公に選んだんですか。

宮下  馬鹿とか臆病とか、あまりにもかわいそうな言い方をされてるでしょう。それでいて後には徳川2代将軍になった秀忠に信頼されている。前作もそうだったんで すが、失敗からはい上がる主人公を描きたいんです。熱くて不器用で失敗を繰り返しながらも上がっていく、若いうちは馬鹿でもかわいがられるかもしれないけ れど、いま取り組んでいるのは、大人になっても馬鹿といわれ失敗しながらも信頼される人物像です。

※1 『センゴク』第1巻にその描写がある。ルイス・フロイス『日本史』や、前田利家の回顧録『国祖遺言』による。

※2 土を積み上げて築いた防御施設で「土居」ともいう。もとは堀を掘った際の土を盛り、堀との段差をつけて防備を固めた。

※3 山の尾根などに敵方の攻撃を遮断するよう切り通した堀。

マンガは泥臭く熱く描ける

太田 歴史上の人物を描く「濃い」内容のマンガが増えてきたそうですね。宮本武蔵を描いた『バガボンド』…。

宮下 井上雄彦先生の作品で、『センゴク』とは比べものにならないほど売れています(笑)。

太田 マンガ評論家の中井先生(笑)、いかがですか。

中井 他に戦国時代のマンガで読んでいただきたいものを紹介しますと、まず山田芳裕の『へうげもの』。茶道で有名な古田織部(おりべ)が主人公で、連載中の作品では『センゴク』と双璧をなしますね。センゴクが合戦で強くなっていくのに対し、古田は茶器に物欲を示していくのがおもしろい。

少し古いところでは、本宮ひろ志の『猛き黄金の国 斎藤道三』。大桑(おおが)城、枝広館(えだひろやかた)、鷺山(さぎやま)城など、城ファンでないと知らない城が出てくるのがたまりません(笑)。

岩明均の『雪の峠』は、秋田佐竹氏20万石の久保田築城について描かれています。こんなテーマで売れるのかなと心配だったんですが、文庫でも出てるので安心しました(笑)。

研究論文や歴史書だと難しい内容が、マンガだと絵が中心なので親しみやすい。史実かどうかは別問題で、歴史に親しむのに大きな役割を果たしています。

太田 歴史ものを描くに際して、小説とマンガではどう違うのでしょうか。

宮下 マンガは泥臭く熱く描けるというのが一番ですね。乾いた感じのクールな群像劇を書くなら小説のほうがいいかもしれませんが、マンガはヒーローものとして描ける。『センゴク』は、単なる歴史ものではなく、英雄伝として描いています。

太田 小説が「理屈」なら、マンガは「感情」ということでしょうか。

宮下 キャラクターの活かし方として「感情」がありますね。小説だと、室町幕府の失墜や宗教勢力の動きといった時代背景、血筋の違いなど、さまざまなで要因で動かすのかもしれませんけど、マンガは感情で動かせるのが特徴だと思います。

太田 小説だといっぱい説明が必要なところでも、マンガだとすぐにその場面に入っていけるというのもあるんでしょうか。

中井  ぼく司馬遼太郎は読まないようにしてるんです。『空海の風景』は読みましたし、一番好きなのは『坂の上の雲』なんですが、特に戦国時代ものは読まないよう にしてます。というのは、どこまでが史実でどこまでが小説かがわからなくなる。だから時代小説はほとんど読まない。資料を扱うものしか読まないようにして います。

マンガはマンガの世界だと初めからわかっているから、簡単に入り込めて親しみやすいですね。

太田  大河ドラマもそうですが、私も講演したりすると「司馬さんがこう書いてるから、お前の言ってることは違う」とよく言われるんですよ。あれは小説でしょって 思うんですが、そう思わない人も多い。司馬ファンには申し訳ないんですが、司馬作品には研究者の言葉も引用されてますので、どこまで史実か区別がつかない ところがあります。マンガはまず嘘だろうというところから入っていける良さがあるのかな。

中井 キャラクターは宮下さんの創造の産物ですから。仙石がこんな顔してたかどうかわかりませんが、マンガの主人公として親しめる。もちろんストーリーの流れでは史実が重視されていますが、描かれているのは想像上のキャラクターだから入り込みやすいんですね。

歴史学は「人」を描けない

太田 よく言うんですが、歴史学は人を描けないんですよ。どんな性格で、何考えてたかわからない。服装はある程度わかっても、強かっ たか弱かったか、嫌な奴だったか律儀な奴だったか、どこにも書いてないので。もちろん江戸時代に出た逸話集を読むと「お市が陣中の信長に小豆を送った」と か、人間味を思い起こさせるようなことが書いてあるんですが、『信長公記(しんちょうこうき)』などの一 級資料では、信長がどんな人物で、浅井長政がどんな人物かはなかなか描けない。マンガはストレートに人物を描いてるんで本当にうらやましいですね。歴史学 ができないことを補ってくれています。逆に歴史学どおりにマンガを描くと、すごくつまらなくなるでしょう。宮下さんはすごく幸せだと思いますね。

宮下 そう言っていただけるとうれしいですね。

太田 山本山城主の阿閉貞征(あつじさだゆき)があんな知略家だったなんて考えてもみなかった。ほとんど誰も知らない人なんですけど、竹中半兵衛に匹敵するような軍師として描かれていますが。

宮下 いや、自分を賢いと思っている人間を説得する、さらに賢い藤吉郎という描き方ですね。

馬鹿な人より、そういう人のほうがだましやすいでしょう。おだてればいい。「あんた賢いからこっち選んだほうがいい」という説得の仕方ですね。

太田 感情で動く人物が登場する一方で、冷静に合戦の戦況を説明している場面がある。感情と理屈のコラボレーションも『センゴク』の魅力なんでしょうか。

宮下 それは全然意図してなかったですね。打ち合わせで、編集さんが冷静なアドバイスをくださるんです。

太田 中井さんはいかがですか。

中井 仙石秀久以外にも例えば、高月町の土豪・磯野員昌(かずまさ)(佐 和山城主)がマンガに描かれたのは最初にして最後(笑)だと思う。何回か前の大河ドラマで磯野員昌とテロップが出たことはあったんですが、誰が演ってるか はわからないという扱いでした。『センゴク』では信長や秀吉といった英雄的人物を支えたその他大勢が描かれているのにすごく魅力を感じました。

いろんな人物が登場しますが、実在の人物かどうか自分で検証するのも楽しい。特に本願寺門主の顕如(けんにょ)はすごく好きですね。これまでで一番のキャラクターだと思います。

登場人物それぞれのイメージ

太田 原作付きのマンガと違って、『センゴク』はストーリーも自分でつくっていくわけでしょう。『改撰仙石家譜』という必ずしも一級とはいえない史料も残っていますが、これまで仙石秀久の話なんて誰もつくったことないわけですよ。

宮下  『信長公記』が原作といえば原作なんですけど、それを信長の視点で描くんじゃなくて、下の下のさらに下っ端の一兵卒の仙石からみた『信長公記』、平社員が みた社長信長っていう感じで描いてみたかった。戦場を「行けぃ!」と命令するのではなく、恐怖心をかかえながら自分で行かなければならないのが一兵卒なん ですね。

太田 遠江(静岡県)で信玄と家康が争う三方ヶ原の合戦に、マンガでは仙石が佐久間信盛に従って行きますね。史実ではないと思うのですが、自分で話を書くと行けちゃうんですね。

宮下 仙石に関する史料はあるにはあるんですが、中身はすかすかなので、話をつくる自由度は高いんです。信玄を描きたいというのが先にあって、そのために仙石を連れていったという。まあ、許される範囲内ではないかと(笑)。

中井 信玄がお好きなんでしょうね。すごくかっこよく描かれてます。

太田 信長や秀吉、家康といった登場人物は、ある程度最初にイメージをつくってから描くんですか。どういうものを背負って立って生きて、どういうふうに死ぬか。

宮下  そうですね。信長は多くの日本人が思うイメージどおりに描きました。秀吉はその出世のほとんどは調略の功績だと思いますから、ネゴシエーター(交渉人)と して。どんなアイデアで敵を説得するかが描きどころです。家康は後々はいわゆるタヌキ親父みたいに描くつもりですが、若いころは熱い青年だったかもしれな い。いまは面影がないけど昔はこういう人だったかも、という描き方ですね。

太田 家康はぼくらのイメージとぜんぜん違いますね。ただ、誰も若い頃を知らないですからね。他の人物にしても、残された肖像画を参考にしたりするんですか。

宮下 参考にする場合としない場合がありますね。朝倉義景(よしかげ)はけっこう画像どおり描いてます。

太田 他では例えば、浅井長政がすごいクマ親父みたいに描かれて……あの人29歳で死んだんですけど(笑)。まあ、残ってる肖像自体がおじさんなんですが。でも家康や竹中半兵衛がかっこよかったりしますね。これは対照的に描き分けてるんですか。

宮下 それもあるし、浅井長政は武士として美しい顔だと思って描いてます。相撲マンガを描いたときもそうで、太った相撲取りも、ちゃんと日本人としての目で見れば美しさがわかってもらえるんじゃないかなと思って描いていました。

太田 山本山城に大変な大男の藤堂高虎が出てきましたが、中井さん、われわれのイメージからみていかがですか。

中井  第11巻に阿閉の家来で登場するんですが、大男で脳みそがほとんどないような感じで、藤堂高虎は築城の名手といわれていますし、われわれとしては少しぐら い脳みそがあってもいいのになと思う(笑)。そういう意味ではすべてがすべて私の思うようなキャラクターではないわけです。

 太田 ぼくらからいうと、藤堂高虎は最も家康に信頼された秀吉武将なんですね。なかなかの知恵者で、外様大名でありながら譜代格で扱われたという晩年があるわけです。そのへんのギャップも描いていただくとまたいいのかなと(笑)。

宮下 あ、はい(笑)。

太田 では、この場で宮下さんに信長を描いてもらいます。その間、中井さん、信長・秀吉・家康について語ってください。

中井  つなぎですね(笑)。私は城郭研究をしていますが、信長や秀吉がつくった城が物理的に好きなんです。どう守ってどう戦ったかという軍事的な構造ですね。人 物にはあまり興味がなかったんですが、50歳過ぎてからは、築城者の意図、意識も好きになってきました。  信長は、中世を破壊して近世を開いたといわれています。城郭研究を通していえることは、それまでの「土」の城から「石」の城に変化させたということ。信 長の意識というのは他の戦国大名とまったく違います。さらにいうと、信長ほど自分の居城を変えた武将はいません。尾張那古野に生まれ、清洲に行き、小牧 山、岐阜、安土と、何回も本拠を変えている。信玄は各地へ攻めていきますが、帰ってくるのは本拠甲斐(山梨県)の甲府なんですね。そういう意味では信玄は 戦国大名的な意識だった。信長は先祖や家臣のしがらみなどをまったく意識せず、簡単に居城を移せたわけです。

秀吉は信長の遺志を忠実に受け継いだといえます。秀吉は清洲会議後、大坂城の築城を決めていますが、信長から「次は大坂」とずっと聞かされていたのを引き継いだのだと思います。京の聚楽第(じゅらくだい(てい))では天皇の行幸を迎えていますが、これも信長が安土でしようとしていたことを受け継いだ。シナリオは信長がつくったもので、秀吉はそれを忠実に守ったことになります。

家康については、ぼく全然興味ないんです(笑)。織豊期城郭研究会で織田、豊臣段階の城郭を研究してますので、徳川はほとんどやってないんです。ただ、城づくりでいうと、あまり評価していません(笑)。

現場・実物を見ることの重要性

太田 次に現場を見る意味について。行ったことのないところを書くのはどうも気味が悪い。できれば書きたくないのですが。

中井 私も現地至上主義ですから、行ってないところのことは絶対書きません。まず行くことが大事です。城郭に限らず考古学系の研究では、自分で歩いてどういう構造になっているか考えないと話にならないし、図面も描けません。

長浜市と米原市の境にある横山城に行くと、正面に小谷城が見えます。その横に虎御前山、山本山が見える。なぜ秀吉が横山城で城番(城の警固)をしたの か。それは小谷城を監視するためだということは、現地に行って初めてわかることです。当時は伐採してますから今よりはるかに眺望がいいはずで、眼下には北 国脇往還が見え、主郭からは小谷城の北の砦「大嶽(おおずく)」が見える。

信長はなぜ虎御前山に砦を置いたか。小谷城と山本山城を分断するためです。阿閉氏の山本山城が落ちたら小谷城が完全に孤立無援ということが手に取るようにわかる。下に街道を望みますから、小谷城から浅井軍がどう攻めて来るかもわかる。

現地へ行くのは遺構を読み込むだけでなく、なぜそこにあるかというのがよくわかるからです。山城を専門的にやってると山歩きが好きだと思われるんですが、ぼくは好きではありません、しんどいし(笑)。できれば登らずに城を見たいぐらいですが。

太田 実際の合戦では白兵戦より弓矢で亡くなる人が7割と書いておられますね。

宮下 いろいろな本を読んで書きました。刀を持って突進するのではなくて、遠くから弓矢とか鉄砲で牽制しあうという。

中井  鉄砲が入ってくるまで、特に城攻めの場合は弓矢でしょう。あとは投石。鉄砲が入ってからは急激に開発がすすんで、戦国期の日本の鉄砲保有率は世界最大で、 技術的にも世界一の命中率だったのではないでしょうか。飛距離もかなりありました。ただ日本ではなぜか大砲が発達しなかったんですね。

太田 鉄砲と弓で始まって、その後、白兵戦に移るのが本来の合戦の姿でしょうね。

長浜市国友町はかつて鉄砲の生産地で、長浜城歴史博物館でも10挺ほど実物を所蔵してますので、ここに持ってきました。先込め式ですから銃口から火薬と 弾を入れます。近代になると元込め式で、西洋だと銃床を肩で支えて撃つのですが、日本の火縄銃は頬に当てて狙うんですね。引き金を引くと、火をつけた火縄 が火皿と呼ばれる部品に落ちます。そこから口薬と呼ばれる微粉末の黒色火薬に引火し、胴薬、または玉薬と呼ばれる装薬に伝わり、そこが燃焼してバンと弾を 撃ち出す。火皿を覆う安全装置を火蓋といって、これをはずすことを「火蓋を切る」というわけです。

これは3~4kgですから軽いほうで、戦国時代は5~6kgのものが主流だったと思います。宮下さん、持ってみていかがですか。

宮下 重いですねえ。作中でも3人ががりで持つシーンを描きましたが、行軍で何十kmも歩いてさらに戦をするというのはちょっと信じられないですね。

太田 『センゴク』は合戦のシーンが多くて、例えば食事のシーンがないですね。大河ドラマではけっこう多くあるんですが、なぜ日常を描かれないのですか。

宮下 合戦を描くと他を描くスペースがないんです。大河ドラマはたぶん予算的なことで合戦のシーンが少なくなってくるんだと思うんですけど、マンガはいちばんお金がかかるシーンを簡単に描けてしまうという強みで、がんがん合戦を描いています。

太田 確かにドラマではお金がかかるようで、大河ドラマ「功名が辻」でも高島市などで撮影された合戦シーンに登場するエキストラの武者たちをCG合成で数倍に増やしたそうです。

リアリティを高める原文の力

太田 作中で『信長公記』『朝倉始末記』『甲陽軍鑑』などの原文を引用されてますね。

宮下  一番の理由はリアリティを出すためです。マンガだと嘘っぽくなるんで、ここは本当っていうのを強調したいときに使います。あと、そのときの状況を最もよく 伝えやすいのが原文なんですね。例えば、朝倉攻めの際に浅井長政の裏切りを知った信長に「なに!?」と言わせたんですが、当時の言葉で「虚説たるべきと思 食(おぼしめし)」と書いたほうがそのときの空気が伝わりやすい。

また山本山城の阿閉が裏切った際いかに浅井方が混乱したかというようなことも、マンガでやると何十ページも使って伏線をひいたりするところを一文で表せる。きれいな文章なんでそのまま書きたいというのもあります。

太田 「信長は非常に喜んだ」と書くより…

宮下 「ご機嫌斜めならず」。

太田 …のほうがリアルということですね。

宮下 『信長公記』の著者太田牛一(ぎゅういち)はすばらしいドキュメントを書いているわけですから、極力それをそのまま伝えたいんです。

中井 ぼくもよく使う手なんですけど、元亀元年(1570)、江濃国境に信長が攻めてきたとき浅井長政が刈安(かりやす)(上平寺)と長比に城を構えるんですが、それについて書くとき『信長公記』を引用して「去程に、浅井備前越前衆を呼越し、たけくらべ・かりやす両所に要害を構へ候。」と…。

太田 よく覚えてますね(笑)。

中井 こればっかり使うから(笑)。400年の時空を超えることはなかなかできないけれども、信長の横で見てきた人物が書く文章にはリアリティがあります。ぼくも城の調査に行ったときは『信長公記』の原文を引用しようという気になります。

太田 『センゴク』では、仙石権兵衛秀久というように権兵衛という通称を入れて表記していますね。織田上総介(かずさのすけ)信長、木下藤吉郎秀吉、徳川次郎三郎家康…。家康の通称が次郎三郎なんて実は初めて知りました(笑)。わざわざ書く理由は。

宮下 名前が三つあって単純にかっこいいという理由ですね。その人の字(あざな)(通称)が西洋人のミドルネームという感じで。

太田 歴史学では、藤吉郎は天正元年(1573)に筑前守(ちくぜんのかみ)という受領名に変わるんですが、それも調べて?

宮下 そうですね。

 中井 こうして宮下さんとお話したいなと思ったのは、米原の堀と樋口を描いたというのと、名前に通称もしくは受領名が入っているからなんです。織田上総介信長はいま織田弾正忠(だんじょうのちゅう)信長になってますね。太田さんが言ってしまいましたが、羽柴藤吉郎秀吉がいつ羽柴筑前守秀吉になるかを楽しみにしているんですよ。これはいままでのマンガにはありませんでした。単純にぼくもかっこええなと思っちゃいましたね。上総介や弾正忠のほうが信長らしいなと。

太田 ちゃんと歴史を調べてるな、と共感してしまいますね。

宮下 先日は姉川を太田さんに案内していただきました。姉川の合戦は浅井・朝倉軍の奇襲だったという説をいただいて。

太田 はい。あれは私の説が取り入れられてるんです(笑)。

宮下  このカットでは近くに浅井方、遠くに見えるのが織田方。この緊迫感を感じてほしかったんですね。陣の向こうに2万人の兵がいて、その中に織田信長がいるか もしれない。恐怖感と宝探し的な高揚感をこういう構図で描いてみました。これは現地に行って率直に感じたことを表現したお気に入りの場面です。

太田 こういう場面にロマンを感じると。

宮下 ええ。現実にあの距離に信長と長政がいる。目視できる距離に敵同士の大名がいるというシチュエーションがすごく恐ろしくて緊張感を感じたんです。

中井・太田両氏からの要望あれこれ

太田 信長の妹で浅井長政夫人のお市を大変な女性に描いてらっしゃいますね(笑)。長政を支配しているのはお市だという。

宮下  従来のイメージを壊したいというのが最初にあって。あと淀殿の母親が日本女性の鑑みたいなおしとやかな人だろうかと、激しい女性として描きたかった。信長 を裏切る理由として宗教とかお金とかしがらみとかじゃなくて感情、お市という激しい女性の後押しでやってしまったという。中日の落合監督夫人みたいな (笑)。

太田 聞きにくいんですが、濡れ場は描かなあかんのですか(笑)。

宮下 最初は人気取りでやってたんです。それと、疲れてくるんですね、髭だらけの男ばかり描いてると(笑)。女性を描きたくなる。実は濡れ場を描くと人気は下がります。それでも……描きたい(笑)。

太田 ふつうの濡れ場だといいんですが、相当どぎついんで(笑)。職場でマンガを読むのももちろん初めてなんですが、恥ずかしくて(笑)。まあ、どんなドラマでも濡れ場はありますから、閑話休題ということなんでしょう。中井さんは濡れ場好きですか(笑)。

中井 全然興味ないんですけど(笑)、いやほんとほんと。髭のおっさんのほうがいいです(笑)。でも、マンガ読みの立場からいうと、仙石の幼なじみの女性お蝶が出てくるのはストーリー的には必要なんやろなあと思う。

宮下 学級会に呼ばれてるみたいな気分です(笑)。

太田 お蝶という女性が非常に重要な人物ですが、今後も仙石の行くところにいつもいるわけですか。

宮下  連載を始めるとき主人公は目的をもってなきゃいけないんで、生きる目的を女性にしたんです。そのヒロインがお蝶。架空の人物なんですが、『センゴク』のコ ンセプトとして「誰が何を行ったか」にはあまりこだわってなくて、戦国時代に「起こりうることを全部描きたい」というのがあって、例えば戦国時代に虐げら れた女性がどんな思いでどんな目にあったか、ヒロインを通して描きたいですね。

太田 では、宮下さんにはまたイラストを描いていただき、中井さんの登場です(笑)。

中井  石山本願寺が信長と10年間戦うわけですが、マンガに顕如が出てくること自体珍しい。池上遼一の『信長』(工藤かずや原作)も戦国マンガのベスト5に入れ たいんですが、彼の描く顕如はきれいすぎです。本願寺教団というのはいかに民衆と近いかというところが大事だと思うんですよ。戦えば極楽へ行ける、逃げた ら地獄へ行くという旗印のもとに戦わせますね。マンガでは大阪弁で「おおきに!」とか言ってオルグしているところが魅力的です。

太田 11月末現在、雑誌連載では刀根坂(とねざか)の戦いですか。この先どこがいちばん見たいですか。

中井 ご当地的には北近江の状況、賤ヶ岳の合戦がどう描かれるか。城郭研究の立場からは先ほどの洲本城とか、九州攻めでの失策とか。さらに今日の話を参考にしていただいて、細かい城の描き方を見るのも楽しいかなと。

それから、もう出てこないかもしれないけど、せっかくだからわが米原市の鎌刃(かまは)城も描いていただけたらうれしい(笑)。

桶狭間を描く「外伝」を2月から連載予定

 太田 『センゴク』はどこまで続くんでしょうか。

宮下 失敗を挽回するところまでは必ずいきたいですね。

太田 天正15年(1587)島津攻めですね。

宮下 その後の復活までは描きたいですけど、まあ人気次第ですね(笑)。お二方のように文化事業じゃなくて営利目的ですから(笑)、人気がないと終わってしまうんです。意地でも本能寺までは描きたいと思っていますけど、そこまで応援してくださらなかったら…。

太田 (会場に向かって)みなさん次第です! ご年配の方もよろしくお願いします(笑)。中井さんはいかがですか。

中井  お蝶とどうなるのかなあと。恥ずかしながら仙石秀久を専門にやってるわけでもないので、あまり知らなかったんです。マンガは家で女房と共有しているわけで すが、戦国時代はなんでも知ってると思われてるんでね、「お蝶って最後どうなるん?」って聞かれるわけですよ。彼女が架空の人物なのか、正妻になる人物な のか、実はわからなかったんですが、今日帰って「そら、架空の人物や」って言うつもりです(笑)。仙石の最期は慶長19年(1614)、大坂夏の陣の前で すね。それまで私は買いますので、つづけていただきたい。

太田 それでは最後に、今後、描きたいものは。

宮下 いま進めているのは外伝です。同じ『センゴク』の世界観で描きたかった桶狭間の戦いを本編と同時進行で。2月頃から「別冊ヤングマガジン」で始まる予定です。

太田 中井さんは何を描いてほしいですか。

中井 外伝という形でもいいんですが、賤ヶ岳の合戦だけを、社長が勝家と秀吉なら課長級か係長級の金森長近、大鐘藤八郎、山路将監(しょうげん)といった連中くらいまで光を当てていただいて、時々刻々変わっていく両軍の心理みたいなものが表せればおもしろいんじゃないでしょうか。

太田 昨日も宮下さんと小谷城へ行きましたが、そこに秀吉がいたっていう確実な場所があるんですよ。秀吉は京極丸を攻めてますから、その虎口(出入口)は400年前に必ず通ってるんです。『信長公記』にも書いてあります。賤ヶ岳の尾根も横山城もそう。

いつも言ってるんですが、秀吉と時間は共有できないけれど、空間は共有できる。そこにいるっていう歴史的な共感でマンガも描いてほしいし、みなさんにもそういう思いを持っていただけるようお手伝いしていきたいと思っています。

宮下 一兵卒の視点で小谷城を登っていくシーンを描かなければいけないんで、太田さんみたいなガイドに教えてもらいながら登れてすごく勉強になりました。

ドラマなんかで浅井長政が燃える天守の中で死んでいくシーンは「史実と違う!」と、お二人ともいつも憤慨されているらしいので、『センゴク』ではちゃんと描きますね。

太田 そう。浅井長政はちゃんと赤尾屋敷で死んでもらうように言ってますので。裏切ったら許さないぞ(笑)。

※追記 『センゴク』の背景をもっと知りたい方はコチラ。



長浜城歴史博物館「センゴククラブ」

単行本『センゴク』第12巻発売(2月予定)に合わせたイベントを予定しています。

[お問い合せ先]長浜城歴史博物館  TEL 0749-63-4611 FAX 0749-63-4613

E-mail rekihaku@city.nagahama.shiga.jp




●エピローグ

 鼎談は紙幅の都合でダイジェスト版に。実際の中井さんの語りはもっと熱い(細かい)。土の城では最高水準だという余呉町の玄蕃尾城には、道が未整備なため「もう二度と行くか」と思いながら、50回以上も登っては毎回感動してはるそうです。 (矢)

 磯野軍侍大将・山崎新平俊秀は実際に○を○○○ていたのか知りたくて戦国人名辞典の類を調べてみたが、名前自体載ってない(そのぐらいマイナー。まぁ、 先の疑問の件は創作だろう)。ところで、テレビなどでも地元ネタはこっぱずかしいもの。山本山の麓に住んでいる私にとっては、第11巻がそれ。ちなみに、 主人公仙石秀久はもうすぐ近江国野洲郡1000石を賜る予定。(キ)

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新撰 淡海木間攫

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