2021年 1月 18日

毎日新聞で中島伸男著『惟喬親王伝説を旅する』が紹介されました

 
▼小椋谷の木地師育成/惟喬親王の伝承地に迫る/東近江・野々宮神社宮司が本出版
 
……惟喬親王は小椋谷で轆轤(ろくろ)を考案し、盆や椀(わん)を作る木地師を育てたとされる。県内各地に加え、京都や大阪、三重、奈良、神奈川、石川、福井、福島の各府県にも足を延ばし、多様な伝説に迫った労作だ。
……
中島さんは親王が県内へ逃げ延びた道として、(1)愛知川遡上(そじょう)ルート(2)甲賀ルート(3)大君ケ畑(おじがはた)ルート――があると指摘する。
 
 (1)はまず琵琶湖を船で渡り、近江八幡市の王ケ浜に上陸したとされる。さらに愛知川右岸の八木神社(愛荘町)に立ち寄り、直筆の扁額(へんがく)と鞍(くら)を奉納したと伝わる。最後に小椋谷に向かい、筒井神社(蛭谷地区)や大皇器地祖(おおきみきじそ)神社(君ケ畑地区)を建てたという。
 
 (2)は惟喬親王が皇位継承争いで藤原氏から追われ、東海道を逃げたとの想定だ。甲賀市土山町には京都からの追っ手が親王を見失い、馬を返した「駒返(こまがえし)」という地名の峠がある。
 
 (3)は犬上川上流の多賀町大君ケ畑にも親王が来て、茶の栽培や木地師の技を教えたと伝承されている。
 
 この他、「日本紀略」で記述されている隠居地、小野宮(京都市北区)▽在原業平らと狩猟や酒宴を楽しんだとされる交野ケ原(大阪府枚方市)▽江戸末期に木地師11人が小椋谷まで巡礼にやってきたという陸奥国南部(福島県南会津町)――など県外のルポも充実している。……(毎日新聞2021/01/18
 
惟喬親王伝説を旅する
ISBN978-4-88325-708-9
 

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