2010年 3月 21日

佐和山発掘報告会

家から10分もかからない場所での報告会。線路沿いにツクシがいっぱい顔を出していると、
喜びながら、現地へ行ったところ、案の定、お向かいの本陣・脇本陣のご主人とも出会い、
ご近所さんが勢ぞろい。
前回もそうだったが、佐和山は女性参加も多い。
発掘担当の 小島さんは、説明のとき『近江が生んだ知将石田三成』の本を紹介してくださった。
ありがとうございます。

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今回の発掘場 所は土塁跡の東側で、昔の道や溝が確認されたのがここで、
「ふいご」や「とりべ」が見つかった。
田附さんに「この辺の字名は何ていうの?」と聞かれたので、家に帰ってから
『ふるさと鳥居本』を見たところ、この発掘>場所の写真右手の道の向こう側は
なんと「火箱町」となっていた。やっぱり鉄砲玉を作っていたのかなぁ。

1003202.jpg

こちらは、土塁跡のすぐ横にある排水路(ゴルフ場ができたときに改修された)が中堀と
言われているのだが、それが小島さんの立っている位置までの幅、約22メートルあるとの
こと。22メートルって結構広いよね。
で、内堀の東端はどうなっていたかというと、実はまだわからないようだ。
石が詰まれていた痕跡はなく、ズルズルと傾斜していた堀だったのか、もともとは堤になって
いたけど、その後馴らしてしまったのか?
内堀の東は町屋があったと伝えられていて、実は現在もその町屋位置には発掘しなくても
わかる井戸が田んぼの端っこにある。ちなみに字名は「百々町通」。

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