近江旅支度
2010年 6月 30日

街道のなりわい

現在の矢倉付近
現在の矢倉付近

 鳥居本宿のまちなみの裏には田畑が広がり、住民は農業のほかに人馬継立や旅人の宿泊、飲食物の販売に従事し、旅籠屋は旅人の休泊をうけ、または食物を商う茶店があり、そのほかに商人・職人が少々いたようです。総数35軒の旅籠の中には、江戸湯島天神表通り大城屋良助が組織した全国組織の東講商人定宿に3軒の旅籠が加盟しています。
 当時の代表的な産業は「鳥居本の三赤」と称され、合羽・赤玉神教丸そして鳥居本すいかでした。太田南畝が享和2年(1802)に著した『壬戌紀行』では、「この駅にまた雨つつみの合羽をひさぐ家多し。油紙にて合羽をたたみたる形つくりて、合羽所と書しあり。江戸にて合羽屋といへるものの看板の形なり」と記され、当時、現存するような合羽の看板を掲げていたようです。また赤玉神教丸本舗は『近江名所絵図』に店頭での販売の様子が描かれています。鳥居本の三赤も今では、赤玉神教丸だけがその歴史を伝えています。

大正時代の鳥居本の商いのようす

〈矢 倉〉雨傘製造、生糸製造、塩屋、豆腐屋、薬屋、塩乾物販売店、荒物屋、大工
〈旧 鳥〉提灯屋、米屋、柿渋屋、牛宿、たばこ製造、菓子屋2軒、豆腐屋、材木屋、駐在所、旅籠2軒、合羽屋5軒、人力車屋5軒、指物師、鍋釜屋、おもちゃ屋、あんま、傘製造、麹屋、わらじ屋、茶販売、八百屋、日用品店、郵便局、小学校
〈下 町〉麹屋、酒屋、箱屋、表具屋、合羽屋5軒、玉突き屋、写真屋、

〈中 町〉役場、合羽5軒、呉服屋、あんま、理髪店、髪結い、人力車屋、大工、指物師、産婆、桶屋、米屋
〈上 町〉合羽4軒、料理屋、麻製造、医院、髪結い、豆腐屋、米屋、下駄屋、表具師、あんま、玉突き
〈百 々〉菓子屋、仕出し、理髪店、髪結い、日用品店、人力車、臼製造、竹箒、油屋、米屋、写真屋、玉突き、網製造
〈南甲田〉三味線糸張り、太鼓張り
〈下矢倉〉休み宿、餅屋

上記は、残された記録を転載したもので、確証はないが鳥居本にも多くの商いがあったことを示しているといえよう。(明治生まれの人の「覚え書帳」より転載)

 
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