桑の実

山の畑の 桑の実を    
  小籠に摘んだはまぼろしか

よく知られた童謡「赤とんぼ」(作詞:三木露風)の2番の歌詞です。「まぼろしか」と問われたら、「いいえ、事実あったことです」と答えましょう。桑の木がたわわに実をつける初夏、山ではなく、姉川下流の平野に探しに行ってきました。
 桑の実を食べた後は、桑の葉を食べる蚕と養蚕の歴史について、さらに桑は食べない山繭(天蚕=てんさん)についても調べました。

【参照】  ●   ●   ●山繭   ●呼び名と食べ方

もともと滋賀県の桑園というのは、
河川敷に桑を植えたものなんです。

滋賀県農業試験場 湖北分場
寺本憲之さん

▽養蚕が行われないようになって、桑の木はどうなっているのでしょうか?

▼徐々に田地や宅地に変わっていったのもありますが、まだ残っている木もあります。大きな木のようになっているのは、放任されたものです。

 まず、蚕のエサとしての桑の栽培について説明しますと、葉の収穫の便宜のために果樹などと同じように生育を整えなくてはなりません。この仕立て方にもいくつかあります。

 昔は葉を一枚一枚もいで蚕棚の中の蚕に与えていたのですが、現在は葉がたくさんついた条(小枝)を切ってそれごと与える方法をとっています。条桑育の年間作業の一例としては、まず、3月下旬ぐらいに条をすべて切ってしまいます。ここで根刈りする桑株と、しない桑株の2種類をつくるんです。春蚕はこの根刈りしていない桑株の条から出た葉を利用します。根刈りした桑株から芽が出てきて条になり、これに付いた桑葉で夏蚕を飼います。秋蚕は、春蚕で根刈りした株から伸びた条を「中伐」といって途中で切って与えます。その後、短い条が残った状態で冬を越させるんです。

  こうして、永年作物ですので、10年、20年ともつのですが、古くなってくると、新しいものを移植しなくてはなりません。使用しない桑園では枝が伸びすぎて木になると、いろいろ手間もかかるので、現在も根刈り管理されている所もあると思います。

▽そもそも、この辺り一帯で養蚕が盛んになったのは、なぜでしょう?

▼それはいろいろ要因があるでしょうから、簡単ではないのですが、第一は湖北には糸挽きに適した豊富な水があったからです。第二はもともと滋賀県の桑園というのは「堤外桑園」といって、河川敷に桑を植えたものなんです。普通の作物だと、増水して水に浸かるとダメになってしまうのですが、桑というのは大丈夫なんです。そのためもあって養蚕が非常に奨励されたせいもあります。

 ▽統計によると平成8年の段階で滋賀県内の養蚕農家戸数は2戸となっていますが、現在養蚕をしている農家の数は?

▼平成6年まではびわ町・湖北町でも行われていたのですが、やめられて、以降は余呉町今市地区の1戸と浅井町力丸地区に1戸で計2戸となり、昨年(平成 10年)と今年は余呉町のお宅が飼育なさっていません。浅井町の1戸というのは、浅井町能楽資料館が能装束の復元のために飼育しているものです。観光養蚕としては他に2件ありますが、滋賀県内の養蚕農家は1戸になってしまいました。

 ただ、同じ浅井町力丸地区では浅井町天蚕組合長の辻陶吉さんという方が中心になって天蚕(元来は山繭といいます)の飼育と繰糸、その糸を使った織物を作っておられて、これには当所も協力しています。

▽養蚕農家が減っていった原因というと、人工繊維に押されてということになるのでしょうか?

▼まず生糸自体の需要が昔に比べると非常に減ってしまった。それもありますが……例えば稲作の場合は機械化が非常に進んでいて、いわゆる日曜百姓(サラリーマンとの兼業)でも可能で、米価が少々低くてもやっていけるわけです。

 ところが、蚕業というのは桑の栽培と蚕の飼育の2つがあり、毎日毎日エサをやらなければならない、桑園の管理もしなくてはならないということで、休日だけでこなすというのは無理なんです。さらに、繭の価格が低落したまま推移している現状では蚕業だけで生計を立てることは不可能なわけで…。

▽滋賀県以外では、国内でまだ養蚕を続けているところもあるんですか?

 ▼滋賀県と同様で全国的にすごく減少しています。それと関連の業者などもですね。製糸会社はたくさん潰れていますし、蚕には「タネ(種)屋さん」といって卵を販売している所があるんですが、これもずいぶん減っています。長浜の地福寺町というところにコウベ蚕種という昔からの蚕種会社があったんですが、そこもなくなってしまいました。本所では平成6年ぐらいまでは蚕の技術的な改良試験も行っていたのですが、現在は蚕と違った日曜百姓でも可能な天蚕だけの仕事になっています。天蚕の卵を、継代保存といって、さまざまな天蚕の系統を毎年系統別に飼育して無病で優良な卵を農家に配布する仕事を行っています。

▽蚕は、なぜ桑を食べるんでしょう?

▼生物というのはどんな環境の変化があっても生命の火を消してはならないという基本的原則があって、機会があれば種の分化が起きて、何かの際も一部でも生き残るような仕組みになっています。これを“生物種の多様性”といっています。蚕も含めて、ガとチョウの祖先はコバネガという昆虫です。この幼虫が食べていたのはコケです。それがいろいろな種分化の中で、桑しか食べなくなった1種が蚕になったといえます。

 なぜ、それを食べるのかというのは、非常に難しいんですが、昆虫の食性には大きく分けると単食性、寡食性、多食性の3つがあって、それぞれの中でもランクがあり、蚕の場合、桑しか食べないので、ランク的に一番高い「1級の単食性」に位置づけされています。モンシロチョウの場合は範囲がもう少し広く、アブラナ科の植物の葉を食べる3級の単食性に属します。専門的に「食餌的隔離」というのですが、食べ物が違うことによって1つの種が2種以上の種になります。日本列島は昔、大陸とくっついていたのが分かれた、つまり場所的な隔離によって、さまざまな動植物の種類が生まれました。食性がポンと変わってしまうと、場所的な隔離と同じような変化が起こるわけです。食性が異なるということは種分化にとって有利なのです。

 先ほども話に出た浅井町の特産品として取り組まれている天蚕が食べるのはクヌギの葉です。この種と蚕は糸を吐いて繭を作るという点では似ていますが、分類学上の「科」が異なり、哺乳類でいえば犬と猫ぐらい違いがあります。

(1999・6・29)


全部この糸で着物を織ったりすると、
手の届かないような値段になってしまう。

浅井町天蚕組合 組合長
辻 陶吉さん

▼山繭というのは、もともとこの辺りにいるもので、昭和50年代後半、町から「何か特産品を考えてくれ」と言われて、夜、虫取り網を持って須賀谷温泉や中学校のグラウンドのライトの下に捕まえに行ったんです。灯りに集まって来るから。温泉に泊まってる浴衣着た観光客に「おっさん、子どもみたいに何やってるんやいね」て、からかわれてね(笑)。

 山繭の糸は淡い緑色できれいな光沢があり、「繊維のダイヤモンド」と呼ばれてきました。生産量も少ないので非常に高価です。蚕の糸の相場が今、1㎏当たり6000円ぐらいなんですが、山繭の糸だと40万円前後。全部この糸で着物を織ったりすると手の届かないような値段になってしまう。だから、製品としては模様のワンポイントにこの糸を使っり、ネクタイや仏事用打敷き家紋の部分をこの糸で刺繍したものが主流で、すべて注文生産です。産地は昔から山繭を飼っている長野県の穂高村、他に岐阜県の川上村などがあるんですが、織物にまでしているのはここだけです。

 そやけど、なかなか商売にはならん(笑)。興味は持たれるんだけども。最近も大阪・京都・奈良の伝統工芸展に特別展示したら、「見せてくれ」、「飼いたい」とか、「俳句にするので寄せてもらいたい」とか、そんな問い合わせばっかりで(笑)。

▽ところで、先日びわ町でなんですが、桑の実の写真を撮ってきたんです。

▼ああ、ツバミやね。

(1999・7・2)
浅井町天蚕組合 TEL 0749(74)2798

※県内では、他に織物の見学研修施設「金剛苑」(秦荘町)で山繭が飼育されている。


クワ科クワ属の低―高木。落葉樹だが、温暖地では常緑的になる。もともと日本にヤマグワが自生しているが、養蚕の普及にともない、そのための品種が栽培された。葉は蚕の飼料として用いられ、果実は食用になる。


蚕

鱗翅目カイコガ科のガ。学名にある「mori」は「桑の」という意味。幼虫は繭を造る直前で7~8cm、成虫は羽を広げると3~4cm。


蚕の成虫(上が雄、下が雌)と蚕の繭。
繭1つから1300~1500mの糸がとれる。
桑の葉

桑の葉を食べる蚕の幼虫


山繭

鱗翅目ヤママユガ科の大型のガで、天蚕とも呼ばれる。日本原産で各地に分布。成虫は羽を広げると左右の長さ 13cm前後。体色は灰黄褐色から暗紫褐色までさまざま。発生は年1回で卵で越冬する。5月頃から孵化し、幼虫は約50日間、クヌギ・ナラ・クリなどの葉を食べ、葉の間に緑色の繭を造る。

山繭蛾

ヤママユの成虫(上が雄、下が雌)と薄い緑色をしている山繭の繭(下)。葉1枚にくるまれたように造る。繭(糸)の色は保護色なので、電灯のもとで飼うと繭が黄色くなる。蚕は首を左右に大きく振って均一に繭を造るので、湯につけるときれいにほぐれ、すぐ糸口も見つかるが、山繭の繭は糸の出し方が不ぞろいなため、糸口がなかなか見つけらないのだという(約700mの糸のうち、最初の約200mは無駄になり、実量は400mほどになる)。

山繭の幼虫。葉の姿に擬態しているため、素人目にはどこにいるのかわからない。蚕に比べて病気や害虫に弱く、枝から逆さにぶら下がったままミイラ化しているものも多い。


呼び名と食べ方

滋賀県びわ町

よく熟れた ツバメ (桑の実)は、口のまわりを紫色に染めながら、大人も子どもも喜んで食べる。

『日本の食生活全集25 聞き書 滋賀の食事』(発行:農文協)より

 同書は明治・大正生まれの人からの聞き取りにより、各地域の昭和初期の暮らしのようすをまとめたシリーズで、調べてみると都道府県別47巻のうち、30巻に「桑の実」についての記述があった(これは養蚕用に栽培されていたものに限らず、野山に自生していたものも含む)。各巻の該当部分を左ページに引用してみた。
 自家(もしくは地元)で消費され、他へ流通することのなかった桑の実は方言も多様である。「ツバメ」は左に紹介した柳田國男の調査では石川県・福井県にみられた方言と一致する。語の変化によるもので、鳥のツバメとは無関係。

新潟県
桑の木にクワゴがなるのは六月、着物が汚れるとしかられながらも、こりずに食べる。ふきの葉を二、三枚持って桑畑へ入り、フキの葉にいっぱいになると、ぎゅうとしぼって流れ出る汁をちゅうちゅうと吸う。赤黒い汁は甘い。シャツや唇についた赤い色は、青い桑の実をこすりつけると消える。

●福島県

初夏になると、桑に赤黒いクワゴがなり、とって食べる。子どもは竹筒に入れてつぶし、汁をなめて楽しむ。

●群馬県
六月の田植えが終わるころ、ドドメが熟してくる。口のまわりをドドメ色にしてほおばって食べる。

●東京都
桑畑にいくと、ドドメが紫色に熟れて甘くておいしい。口のまわりを紫色に染めているので、食べたことがすぐわかる。

●山梨県

桑園には、カミズがあり、旬には子どもたちが畑に入って、口を紫色に染めるほど自由に食べる。

●富山県
くろには、カンツバや野いちごがなるので、夏には子どもたちは川で水浴びしながら食べることが多い。

●岐阜県
春蚕の桑摘みが終わるころには、桑の実が色づきはじめる。子どもたちは、学校帰りに摘みとってほおばる。口元を紫色にして帰ってくる。

●京都府
桑園ではフナメが紫色にあころぶ(熟す)。桑園のなかを走り回って、口のまわりを紫色に染めながら、甘ずっぱいフナメを食べてごきげんである。

●奈良県
桑畑の桑は、木が弱ってくるとよく実がなる。木が弱るのはありがたくはないけれど、そんなときは桑の実が子どもたちのほうせき(おやつ)になる。

●鳥取県
桑畑は六反近くあり、桑の実が熟れるころは、これをとって食べる。とくにタゴ(桑の木の種類)の実がおいしいのでさがしてまわる。

●岡山県
桑の実はよその桑畑に入ってとる。

●広島県
クワイチゴは黒い実をつけ、食べると口が紫になる。紫になるまで摘んで食べた子どものころの思い出は、いつまでも残る。

●福岡県
口のまわりや舌が黒くなるが、いちごのようにおいしい。桑の木はたくさんあるが、栽培しているものには実はならず、堤防に植わっている老木の桑の木だけに実がなる。

連載一覧

新撰 淡海木間攫

Duet 購読お申込み

ページの上部へ