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戦後の息吹鮮やかに――「幻の機関誌」見つかる

9月15日付け読売新聞「滋賀版」に掲載された記事の見出しにこうありました。
滋賀県青年団体連合会が来年の発行を予定している五十周年史の作製にあたり
探したところ、大津市と八日市市のOB宅などで見つかったものとのこと。
原本をお借りしてきて、その記事の一部を再現してみました。

協力:滋賀県青年団体連合会 県青連史編纂委員会

01.jpg  『湖國青年』創刊号B5判変形サイズ、総16ページ(以後20ページ前後)。ザラ紙。表紙のみカラー。発行部数1300部(以後、最高3000部まで部数を伸ばした)。価格は、創刊号に「定価15円」、2号以降は「非売品」と表記されている。

 ちなみに、創刊時(昭和23年)のタバコ(「ゴールデンバット」の場合)1箱の価格が6円。

●INDEX●
創刊をお祝いして
女子活動の実際問題について
田んぼの案山子
時の言葉
青年新聞より
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創刊をお祝いして

滋賀県知事 服 部 岩 吉  

 滋賀縣青年團体連絡協議會が、ここに機関誌を發刊せられるに至つたことは、まことに慶ばしい次第である。

 申す迄もなく、全縣下各青年團が、夫々の活動状況を周知して、相互の連絡を密にし、意志の疎通を圖るばかりでなく、各種の事業についても、よく記事を通じて、その趣旨の普及徹底を期することは、團の發展上緊要なことであり、又更に修養上有益な記事を掲載して、團員の知見を高め、資質の向上に資することは、まことに望ましいことである。

 殊に純眞にして情熱に富む青年諸君が、祖國再建のため、互に提携して、各郷土の特殊性に應じた堅實なる地方文化の建設に努力せられることは、新日本の基盤を築く所以であつて、諸君が協力一致、青年團と云ふ機関を通じ、自發的に自主的に、自立的に、具体的な諸問題を眞劍に討議考究して、知能の啓發に努め、切磋琢磨を以て青年團の使命逐行に邁進せられるよう切に希望すると共に、本誌の創刊を慶祝し、その機能の遺憾なき發揮を念願する次第である。


女子活動の実際問題について

第二回女子活動研究会パネル討議より収録

司會 青年団体における女子活動の重要性は申すまでもなく、本県におきましても昨年より運動目標の一つとして「女子活動の振興」が取り上げられ、各方面よりの援助協力を得まして県、郡市で講習会、研究会等が開催されそれに伴って末端会員の実質的な向上も漸く認められつゝありますが、まだく充分とは言えなく活動を阻む多くの問題は強く大きく私達にぶつかり、困惑させている現状です。今日はその実際問題を具体的にとりあげ、皆様と真剣に研究討議致したいと思います。

 では、私達が団活動を致しますのに最も困る点、何処へまいりましても「会員が集まらぬ」というのが、大きな問題となつておりますが、どういうわけでしようか。

八軒 出席率が悪いのは青年会の本質を知らず、半ば強制的に加入するからだと思います。職業を持っていたり、お稽古事が多くて時間がないということもありますが。

谷口(玲) 高島は交通が不便で村の集会に出るのも一時間以上かゝるところが多く、これがとつても大きな原因ですが交通の便利な湖東地方では?

藤本 私の町は小さいし地理的にも集まりやすいのですが、夜女が出歩くと近所の評判が悪くなるのでダメなのです。又、プログラムに興味がないという点も影響しているのかもしれませんが……。

丹羽 親の理解もなく、会合は余暇を利用しているんだから無理ですわ。

森江 親の理解がないのは幹部の年齢が低い場合がよくありますの。

司会 このように会員が集らぬ原因は多くあると思います。でも女子活動不振の原因はもつと他にもあると思いますがそういう点についても。

谷口(洋) 自主的でない。

司会 もつと具体的に。

藤本 男女一緒の会合に於て、又あらゆる活動に於ても女子が積極的にやればどう思われるかしら……と遠慮するつてことなど。

小林 講習会、研究会を開催してリーダーを養成したいのですが、何しろ財政面にゆきずまつてしまつて……、役員会を開催するにも旅費を県青で負担するのとしないのとではずいぶん出席人員が違うんですよ。

八軒 単位団でも、又郡でも二、三回講習会を開くのですが、どうもその場限りのものになつてしまつて、どうしたらいゝのかしら。

谷口 同じ講習会をやるのなら年頭にやるのが効果がありますよ。

司會
三木 禾子(県社会教育課)

語る人
小林 初子(県青連副会長)
八軒 良子(滋賀郡青副会長)

谷口 玲子(高島郡副團長)
藤本千代子(高宮町青副團長)
丹羽 静子(蒲生東部副團長)
谷口 洋子(伊香郡副團長)
森江 みつ(滋賀郡出身先輩)


かかし  田んぼの案山子――ぼくはあれが嫌いである。あんなお化けはもういゝかげん我々の田園風景から姿を消してほしいと思つてゐる。

 竹さおを斜に結えて貧乏徳利や破れ傘をさかさにさした「へのへのもへの」の下品な顔が風雨にふらついて居る光景は、いかにも日本農村の非文化性や封建因襲の殘存を暗示して居る様で情なくなる。そう言ふと、あゝした風物の持つ野趣とか俳味とかをなにか捨てがたく思う人もあるかも知れないが、一体今の僕達にそんなものからなんの詩や素朴さが感じられようか。感じるとすれば、よほど時代にとり残された感覚の持主であらう。終戦このかた「文化」は農村でもはやり言葉となつて青年会や読書会の間でも度々、文藝の士の講演会が催されたり文化会といつたものが生まれたりする。またそれらを中心とする同好者のつどいから出される、謄写版ずりの詩歌冊子の数も相当にのぼり、このところ文藝の熱は日を追つて盛んな傾向にある。私は農村青年が文藝に親しみ詩や歌をつくつたりすることを何も至上の在り方とは考へていない、けれども若し若い人達が眞に勤労の精神を失はずにいて科学の勉強や道義の修練と平行してやつて行くのなら決して惡いとは思はぬばかりかむしろいゝ事だと考へる。

 僕も往々青年会の機関誌や同好者の冊子を見て、いつも失望するのは「感覚の無さ」についてゞある、感覚の無さといふのは新しい文藝の扉をひらく鍵を持たぬことであり、言ひかへれば島崎藤村の七五調の詩はわかつても現在の口語自由詩の律はわからず漱石の「坊ちやん」のユーモラスや樋口一葉の名文調は感得出來ても横光、川端の小説や、岸田國士の舞台雰囲氣は納得ゆかぬことである。これはなんでもない様な事で重大なことである。なぜなら問題は只に新しい文藝が解る解らないだけに止まらない。実はそれを通して新しい時代を理解するかしないかに関つてくるからである。そしてそうした不幸が何に由來するかといへば実は私達の生れて育つた環境の非時代的風景――例へば案山子の立つて居る様な――に在ると私には思へるのだ。

 農村はこゝ三ケ年の間にその制度の上で未曾有の革命を成し遂げた。人々は家々は、解放され、編成され直した土地に立つて新しい一歩一歩を踏み出しつゝある。その上生活と労働の合理化が叫ばれ生産の電化、機械化が言われ「人間らしく」といふ一線に沿つて向上の途を辿つている。まことに結構な事だ、農村は生れ変つた。

 だが、向上は只に経済方面からばかりで出來るものではない、近代化は実利をとおしてだけでは不可能である。なによりも人々の感覚の刷新が必要なのだ。私は田んぼの案山子について語つたがなにも案山子だけを引き抜くのが目的ではない、案山子は相変らず田んぼに立つているがその下で働く青年や少女達の風俗はもはや昔日のアンチヤンでもなく早乙女でもない、太陽はツバヒロのムギワラ帽やネツカチーフを明るく輝かしてゐるではないか!

 日本の村々が舶來の罐詰のレツテルにある様に、果樹や蔬菜のうねを整然と繁らせ、加工々場の屋根を櫛比させて市街や港と繁栄を競う日はいつくるのだろう?

 僕はそんな夢を見る。 (終)


時の言葉

バースコントロール

産児制限のことであり、略して、バース・コンなどと云ふ人もある。四つの島に八千万の人口を保有する我國では人口問題が重大な社会問題となつており、高い文化的な生活を営み、子女の健康と教育を十分にする点からも、産児の数を制限しなければならぬと云はれて來てゐる。これが世界で眞面目にとりあげかけられたのは一九二〇年代、アメリカのサンガー夫人がその必要性を説き出した頃からであり、サンガー夫人は嘗て大正十一年、我國にもやつて來たが、当時の政府は、人口増強による侵略膨張政策をとつてゐたので、此のサンガー夫人の來朝を好まず、夫人の持参した小冊子を押収し、又講演も専門家に対する場合のみに許して、大衆講演は禁止した位であつた。現在一夫婦の間では二乃至三人の子女を作ることが理想的だとも云はれてゐる。此の制限の方法には、荻野式と云ふ排卵期を基準にした周期的禁欲の方法と、器具や薬品を用ひる方法等があり、今までは避妊薬の販賣を禁じてゐた政府も、最近では優良避妊薬を選定して、一般販賣を許すようになつた。

ポルテニアン音楽

ポルテニアンはスペイン語で「港の」と云う意。「港の音楽」が字義通りの意味だが、この場合の港はアルゼンチンの首都ブエノスアイレスをさし、アルゼンチンの軽音楽をポルテニアン音楽という。

※注:「ポルテニアン音楽」の現在の読みは「ポルテーニャ音楽」。タンゴとほぼ同義。
   流行ったらしい。


青年新聞

岡本、野瀬兩氏参加 農村二、三男討議会

 現在日本最大の悩みは過剰人口の重圧であり、中でも最も悩み深きものは農家の二、三男である。これら多数青年の運命開拓の前途は甚だ憂慮に堪えぬものがある。
 去る六月二十七日より二十九日まで、東京都中央開拓会館にて開催された農村二、三男対策中央討議会には本縣から、湖國青年対策委員長、高島連青團長、岡本治郎縣青協総務委員、彦根連青会長、野瀬加一の両氏が出席した。

電燈をつけて楽しいレコードコンサートなどを

犬上郡脇が畑青年團立上る
 滋賀縣でタツタ一ツ電燈の無い村犬上郡脇ヶ畑村ではなんとかして電燈をつけたいと二、三年前より運動が開始されていたが不理解極まる年寄階級の非協力によつて實現困難とみなされていたが去日同村神社の立木が火災の為一部焼けたのを幸ひに一部立木を賣りその代價を資金に電燈設備を實現することになつて今年中に實現したいと團員は意氣込んでいる。此の問題が解決すると滋賀縣も電燈の無い村が無くなる事になるわけ。同村青年團では色々新しい文化を取入れて中々の発展的運動が行われており電燈設備の完成によりやがてレコードコンサートやダンスパーテーなどが開かれる日も程遠くはなかろう。此の様な運動こそ團員の協力的態度を意示し團の運営のスムース且活溌な事を意味するのであろう。


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