近江旅支度
2010年 6月 30日

北国街道との分岐点

 天保年間の宿村大概帳によると鳥居本宿の長さは小野村境から下矢倉村まで13町(約1.4キロメートル)と記されています。戦後に米原内湖は干拓されましたが、旧北国街道は湖岸にそった道で、中山道は摺針峠を越えて番場宿にむかいました。米原町内には、北国街道と中山道の分岐点を示す道標がありますが、北国街道の起点は下矢倉村であり、当地杉本さん宅には北国街道の起点を示す道標があったことを裏付ける貴重な写真が残っています。現在新幹線が走る田園地帯は、かつては内湖でした。鳥居本は鈴鹿の山と内湖に挟まれた狭隘な地形であったのです。

 

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