増えすぎたシカを減らすために
▽まず松井さんは、なぜシカと関わられるようになったのですか。
松井 普段は野菜などの作付けを増やすなどの農業振興がメインの仕事ですが、6年前に東近江農業農村事務所に務めていた頃、山間部に(最近は平野部にも出てくるのですが)、シカやイノシシ、サルが多くて、農家が野菜や米の作付けができないという問題が出てきて、対策を考えることになりました。
▽いわゆる獣害対策ですね。
松井 そうです。最初は、田んぼや畑への侵入を防ぐための方法を考えました。しかし、ただ網を張るだけでは野生動物は上を飛び越えてきたり、破ったりとなかなかうまくいかなかったのです。そこで根本的な解決策のひとつとして、シカの数を制限するのはどうかと考えるようになりました。
しかし、猟友会の人たちは「イノシシなら撃つがシカは撃たない」と言うのです。なぜなら、イノシシは民宿などに売ると1㎏5000円という価格になります。体重100㎏のイノシシであれば、だいたい半分の50㎏の肉が取れます。「1万円札25枚ぶらさげたものが走っていると思って、みんな一生懸命撃つんや」と猟師さん(ここでは、狩猟免許所持者のこと)が言ったのです(笑)。逆に、「シカを撃っても売れへんのや」とも言われました。
それなら、シカでもある程度の値段がつくという状況となれば、もっと一生懸命捕ってもらえて、シカの数が抑えられるのではないかと考えました。それが始まりです。
▽その頃、シカ肉は利用価値がなかったのですか。
松井 猟師仲間やその知人に肉が渡るか、猟犬のエサになる程度で、県内のシカ肉が飲食店に出されるということはほとんどなかったのです。
▽獣害対策として報奨金は出ていたのですよね。
松井 禁猟期間に猟友会にお願いして獲ってもらう場合(市町によって違う)、以前は県から1万円、市・町から1万円の合計2万円程度です。その後、財政事情が厳しくなり、平成23年度では、雄1万円に対し、雌は1万4000円と高く、より効果的な雌ジカの捕獲が推進されています。ニホンジカは一夫多妻なので、平成5年までは生息頭数に影響を与えない雄ジカのみが狩猟の対象となっていました(雌ジカは禁猟)。それが増えすぎて頭数抑制が必要となりました。
シカの場合は、11月15日から翌年3月15日が自由に捕ってもよい期間(いわゆる猟期)で、その間は報奨金はもらえません(平成24年度からは、猟期でも雄4000円、雌5500円が支払われます)。
これでは目の前にイノシシが1頭、シカが10頭いた場合でも、イノシシを狙うに決まっていますよね。
▽昨年11月、県はニホンジカの推定生息数を大幅に修正しましたね(平成22年秋の段階で約2万6000頭としていたものを、約4万4000頭~6万7000頭に修正)。自然に影響を与えない理想的な頭数とされているのが約8100頭だそうですから、その5~8倍もいることになりますが、シカの立場からすれば、頭数が過密だから山は食料不足となり里の農作物を荒らすことになるのですね。
自然植生に影響が出ないシカの頭数 | 約8,100頭 |
平成16年推定生息数 | 約24,000~35,000頭 |
平成22年推定生息数 | 約47,000~67,000頭 |
※滋賀県ニホンジカ特定鳥獣保護管理計画(第二次)より
松井 そうです。
▽最近県内でもシカを見かけるようになりましたよね。朽木の鯖街道を通ると、よく見かけますよ。
松井 道路でも、シカはジャンプして急に目の前に現れますよ。ましてや高速道路だと、もう避けようがありませんよね。
県は今後、平成29年までの5年間でシカの頭数を半減させるために、毎年1万6000頭を捕獲する必要があると考えています。自然のバランスを崩さないように、また、シカが農地などに害を及ぼさずに、山の食べ物だけで生活していけるような数に持っていくための目標値です。しかし、実際は、この目標値の約半数程度しか捕獲されていません。
▽シカは繁殖力の強い動物なのですか。
松井 シカの雌は2歳の誕生日には、もう自分の子どもを産みます。それから、10~15歳ぐらいで死ぬまで毎年産みますよ。
ほとんどは1回1頭(双子の確率は250分の1でほぼ人間と同じ)ですが、1歳の雌以外、2歳以上の雌はほとんど妊娠しています(県の最近の調査では、雌の妊娠率は1歳が62.1%、2歳以上が79.9%)。
食用に適したな仕留め方と解体法
▽そこで、松井さんはシカ肉を食肉として流通させるために解体処理なども学ばれたわけですね。
松井 シカが「獣臭い」という一番の原因は、肉の中に血がたくさん残っていて、それが空気にさらされて酸化するせいです。
だから、肉の中の血をいかに早く抜くかということが一番のポイントです。心臓が動いているうちに血を全部出さないと、筋肉の間にある血管の中に血がたくさん残って、それが時間がたつと臭くなってしまうのです。
▽1頭のシカを猟銃で撃ったとして、その後の手順はどうなりますか。
松井 食用にするためには、なるべく急いでシカのところへ行き、心臓近くの動脈を一気に切って放血します。撃ったまま放置して、次のシカを捕りに行き、何頭かまとめて回収する方が効率はいいわけです。しかし、心臓が動いている間に血を抜くことができず、臭くて食用には不適な肉となってしまうのです。
▽ワナで獲るシカ猟もあるようですが、松井さんは、どう思われますか。
松井 ワナ猟だと一人が31カ所仕掛けることが可能ですが、毎日全部を見て回ることはできません。見つけた時にすでに心臓が弱っている場合は、充分な血抜きができないことがあります。
銃の場合は、跳びはねて心臓が活発に動いている瞬間を撃たれるため、きれいに血抜きができるわけです。食肉として販売するには、血抜きがしっかりできている臭みのない新鮮なものを提供したいと私は考えています。
▽シカを撃つときの狙いは、心臓より上、首から頭にかけてですか。
松井 理想はそうです。でも、シカ猟は、茂みの奥から猟犬と「追いこ」(追い出し役の猟師)がシカを追い、茂みから出たシカは怖さでいったん止まるため、「待ち」(待ち伏せ役の猟師)が撃つのですが、「待ち」からは20mぐらいの距離があり、動きも速いのでうまくはいかないのです。私が同行した猟で見たシカは、だいたいが足を撃たれて動けなくなった状態でした。
それと、背中を撃ち抜いてしまったら失敗なのです。一番価値があるのは背ロースの部分なので、背中を撃ち抜かれたシカは、利用価値がほとんどなくなります。
▽すぐに血抜きの「止め刺し」をして、次に解体といった手順となるようですが、滋賀県では処理場は何カ所あるのですか。
松井 日野町以外に、多賀町、長浜市(木之本・余呉)、竜王町、高島市(朽木)にもできましたので、6カ所となります。これらは保健所の許可を得ているという意味の処理場です。
▽今後は、食肉解体場を増やしていく予定ですか。
松井 その点においては、需要と供給のバランスという、一番大きな問題があります。いまの需要は、ほぼ賄っています。新規に解体場を作るのなら処理量に見合う販路を確保することが先決です。
もう一つは、シカを捕獲した現場から30分以内に処理場へ運ぶことを条件にしています。もし、1カ所に大きな解体場をつくり、滋賀県中から持ち込む形にするとなると、鮮度が保てないといった問題があるのです。一番の問題は時間が経つと内臓の中にガスが発生し、アンモニア臭が体に回ってしまうことです。草食なので胃の中の食べ物が30分ほどたつと発酵し、腹が大きくふくれてくるのです。
現場で腹を割って内臓を取り出してしまうこともできますが、大腸菌などの問題があり、現場では絶対に腹を割らないことが原則です。
▽その後、解体処理場へ持ち込むのですね。その際には、解体法などは統一されたものがあったのですか。
松井 私自身が解体技術を身につけるために、いくつかの猟友会を見学に行ったのですが、日野町猟友会だけは、肉屋さんから解体のやり方を勉強しておられましたので、他の猟友会のやり方よりもきれいに解体処理されていました。後日、そのことをフランス料理のシェフに話したら、「その方法がベストだ」と言われたのです。間違った解体をすれば、大腸菌などの雑菌がついて、食中毒にもなりかねません。だから、日野のやり方をベストなものとして他の猟友会にも紹介してきました。
※1 シカ刺し 馬刺しと同じように、赤身肉を薄く切り分けて生で食べる料理。後述のように、現在はひかえるよう指導されている。
※2 ジビエ [gibier]フランスで、食肉用に狩りで捕られた野生の鳥獣のこと。マガモやキジ、野ウサギ、シカ、イノシシなど。
※3 E型肝炎ウイルス 略称HEV。平成15年に兵庫県でシカ肉を生食した4人が6~7週間後にE型肝炎を発症。厚生労働省は、シカ、イノシシなど野生獣肉の生食をひかえるよう指導している。ウイルスは、63℃で30分間と同等以上の熱処理を行えば感染性を失う。
シカ肉が食材として定着しているフランス料理
▽シカ肉の提供先として、フランス料理店を選んだのはどうしてですか。
松井 日本料理の「シカ刺し」と「もみじ鍋」しか思い浮かばなかったのですが、たまたま書店でジビエ(狩猟鳥獣)料理を紹介した本を見つけて、シカ肉を使った料理が一つの食文化になっていることを知りました。その本で紹介されていた長野県のフレンチのシェフを招いて、ジビエ講習会を開催しました。
▽シカ肉調理のポイントはありますか。
松井 シカ肉は豚肉と同様、E型肝炎ウイルスに感染する危険があり、加熱する必要があるのですが、赤身肉なので高温で短時間に調理すると硬くなってしまいます。フランス料理の場合、フライパンの上のシカ肉を極弱火でバターをかけながら加熱する「アロゼ」、ぬるま湯で加熱する「ロポセ」という調理法があります。このように調理されたシカ肉は、ピンク色で軟らかく、野生ジカ特有の香りを残した絶品料理に変身するのです
。
▽その後はフランス料理店との取引が始まっていったのですか。
松井 いいえ、他にも試食会やレシピ作りなどをやってみたのですが、シカ肉の販売にはつながっていかなかったのです。県内のあるフレンチレストランのオーナーシェフは乗り気だったのですが、結局、1店舗では1カ月に1頭程度しか必要ないと言われました。
そんな量では進められないと困っていた時に、以前お世話になった農家を通じて、栗東市にあるフランス料理店の澤井健司シェフを紹介いただきました。その時は、ワラにもすがる気持ちでした。
澤井シェフは地産地消に熱心な方で、フランス料理研究会の事務局長も務められ、多くのシェフを指導する立場でした。すぐに十数名のシェフを集めて、シカ肉の勉強会を催してくださったおかげで、まとまった量の肉を流通できるところまでもっていくことができたのです。
本当に澤井シェフと会っていなかったら、啓発用のレシピ集をつくったり、解体方法を統一するところまではできても、そこから実際にレストランで提供するというところまでは進まなかったと思います。
▽猟友会からレストランへ流通するようになったシカ肉は、背ロースとモモがメインですか。
松井 フランスのジビエ料理では内臓(心臓、レバー、腎臓)も珍重されており、脳味噌の料理(私はこれが一番好きです)まであるのですが、日本人にシカ肉のおいしさを認知してもらうためには、まずは赤身のロースとモモがよいと思います。
▽ロース1㎏が3500円という価格は、高級和牛ほどではないですが、高級黒豚には相当しますね。
松井 輸入シカのロース肉が3700円なので、それよりは安く、使っていただくシェフの側にも納得してもらい最適な価格になったと思っています。
▽エサをやって育てている家畜より安くなると思われませんか。
松井 値下げを希望されて、実際にシカ猟の現場を見てもらったこともありました。その時は、10人ぐらいが1日かかって、やっと3頭捕れたんです。それから解体して、夜遅くなって、やっとできましたというのを見たら、「この値段も仕方ない」と納得されました。日によっては、1頭も獲れない時もありますので。
▽量も、ウシに比べたらかなり少ないのではないですか。
松井 そうです。体重75㎏のシカで、ロースが3・5㎏、モモが12㎏。あとは全部廃棄となってしまうのです。
学校給食などに広がるシカ肉の利用
▽日野町産のシカ肉が滋賀や京都のフランスレストランやホテルで提供されるようになったようですが、一昨年には、カレー専門の全国チェーン「CoCo壱番屋」で「近江日野産 鹿カレー」がメニューとなり、マスコミでも報道されましたよね。
松井 これは滋賀地区オーナーである㈱アドバンスの岡島洋介代表取締役が地産地消による地域貢献を図るために取り組まれたもので、私も相談を受け、試作段階から調理法などのアドバイスをしました。
▽この「鹿カレー」、日野町では学校給食にもなったそうですね。
松井 日野町には、小中学校と一部保育園用の給食センターがあり、メニューは、町の栄養士さんが全部決めています。その栄養士さんが、CoCo壱番屋「鹿カレー」の話を聞かれて提案されたのです。日野町では毎年11月18日が「地産地消の日」といって、地元産食材で給食をつくる日になっており、その食材にシカ肉が選ばれたわけです。
ただし、学校給食は、給食単価というのが決まっていて(1食200円程度)、材料費をそれ以下にしなくてはいけません。しかし、地産地消の日の場合は、特別に町から食材購入の補助が出たため、費用の問題はクリアできました。
しかし、その他にも問題は山積みでした。まず「学校給食法」という法律があり、前日の仕込みは、食中毒などの問題で禁止されており、朝9時から調理を始めて11時には仕上げて、12時には学校へ届ける。つまり2時間で仕上がるメニューしか出せないという問題です。
冷凍肉を持って行っても、解凍しているうちに時間が過ぎてしまう。そこで、ブロックに切る作業を全部猟友会がして、そのまま真空包装し、当日は切らなくてもすぐ使える状態にしました。
もう一つの問題は、現場の調理員の人たちにとっては、今まで使ったことのない食材だったということでした。そこで、毎年夏休みに行われている学校給食の研修会に「CoCo壱番屋」の担当者の方に来てもらい、教わりながら一度自分たちで調理して食べてもらいました。そうしたら、「ああ、おいしいわ」と言ってくれました。
▽けっこう実現までは大変だったんですね。給食時間の生徒さんの感想は、どうだったのですか。
松井 私が聞いた限りでは好評でした。その時点では、生徒たちによい意味での先入観があったのもよかったです。「CoCo壱番屋」のメニューになったとか、フランス料理店でも使われているとか、テレビや新聞で報道されたことが一番の要因です。
万が一、それ以前に解体処理方法の悪い臭みのあるシカ肉を食べた経験があったり、そのようなうわさを聞いたりしていたら、悪い方の先入観で、残してしまうような子もあったかもしれません。新しい食材ですから、拒否反応が起こらない雰囲気にもっていくことが大きなポイントだったと思います。
▽私たちの世代だと、給食でブラックバスが出ました。白身の魚で、普通にスズキだと言われて食べても気づかないはずなんですが、当時は外来魚で駆除の対象というイメージを持っていたから、あまりいい気分ではなかったです。だから、先入観って大事ですよね。
松井 そうですね。
高級な肉だと位置づけて単価を維持する売り方を
▽ほかにシカ肉関係で、松井さんが取り組まれたことは何かありますか。
松井 平成21年7月に、「鹿解体ツアー」を開催しました。大阪のアウトドア好きが集まっているグループから、「私たちもシカを解体したい」という話がきたんですよ。
最初は、そんなことがウケるのかと、半信半疑でやったんですけどね(笑)。実際シカが1頭目の前に出た時に参加者を見ると、躊躇なく包丁を持って、解体をやり始めたのです。もちろん、私が処理の仕方を指導しながらですが、手が出なくて見るだけになる人もいるかと思っていたのですが、皆さん積極的で私のほうが驚きました。やっぱり、非日常というか、シカを解体するなどめったになく、たぶん一生に一度しかできない体験ですからね。
▽やらなきゃ損みたいな(笑)。
松井 参加者は、たぶん翌日に職場できっと「この貴重な経験」を話していると思いますよ。もちろん来た人たちは普段から川で捕った魚をその場で料理したりすることになれている方です。こういうニーズも確実にあります。
▽シカ肉の普及では、県内スーパーの食品売り場にシカ肉が並ぶということになりそうですか。
松井 よく言われるのですが、それは「フォアグラがスーパーに置いていない」というのと同じで、調理に技術がいる食材なのですから。先ほども言ったように、シカ肉を生食するとE型肝炎になる危険性もあります。ブタ肉は必ず火を通すというのは一般に知識として知られていますが、シカ肉の場合、ブタやウシの感覚で火を通すと硬くなってしまうし、適度な温度や時間による調理法が一般的には知られていません。その知識がないまま広く流通してしまうと、「硬い、おいしくない、臭い」という評価が広まってしまうかもしれないのです。適切に調理したシカ肉を真空パックし、家庭では切るだけといった商品なら流通する可能性もあると思いますがね。
▽時期尚早ということですか。
松井 そうですね。まずは、飲食店で調理されたものを味わってもらったり、高級な肉と位置づけることで、今の単価を維持する売り方をした方が、現状ではよいのではないかと思っています。
▽最後に一言、何かありますか。
松井 たくさんありますよ(笑)。まず、山の中に増え過ぎているシカの肉を皆さんに食べてもらうことが、シカによる被害を解決することにつながるのです。「食べること」=「社会に役立つ」ということなのです。数の上ではまだまだですが、猟友会の人たちに山へ頻繁に入っていただくこと自体がシカに対する圧力、獣害対策となるのです。
それから、シカ肉はカロリーが低いためダイエット中の方に、また、鉄分が豊富なため貧血気味の女性などにも効果的な食材です。適切に調理された肉は軟らかく、フレンチやカレー以外のメニューなどにも活用できる可能性があるヘルシーな食材だと思います。
▽本日はありがとうございました。
(2012年4月25日)