明智光秀と近江・ 丹波

淡海文庫 63
明智光秀と近江・ 丹波 分国支配から「本能寺の変」へ

福島 克彦
B6判 188ページ 並製
ISBN978-4-88325-195-7 C0321
奥付の初版発行年月:2019年06月
書店発売日:2019年06月18日
在庫あり
1500円+税

内容紹介

織田信長を倒した武将・明智光秀はどのような人物だったのか。謎に包まれた人生を、残された文書から読み解き、近江・丹波の土豪たちとの関わりにふれながら、「本能寺の変」へと至った道をたどる。

前書きなど

明智光秀と言えば、天正十年(一五八二)六月、本能寺の変を起こし、織田信長を倒した武将として知られている。しかし、同じ織田系部将の羽柴秀吉に山崎合戦にて敗れ、信長の統一事業はそのまま光秀を通り越して秀吉へと継承されてしまった。彼の動向は、本能寺の変から山崎合戦に至るまで、すべて裏目に出たような評価をされており、悲運の武将、あるいは失意の中で無計画にことを進めた人物として評価されている。
彼が、なぜ織田信長を裏切ったか……このテーマは、昔も今も多くの歴史ファンの興味の的である。近年は、前述した彼の失意や無計画を背景に、彼を動かした黒幕がいたのではないかという意見も多く見られるようになった。しかし、一般の方々と会話していると、信長との関係のみに関心が集中してしまい、そもそも光秀がどのような活動をしていたか、あるいは彼の歴史的位置は充分評価されているとは言い難い。私は、自明のことながら、光秀がどういう人物であったか、という点に改めて着目すべきと思う。それを語らずにして、本能寺の変の原因も語る入口にも入れないであろう。万が一、黒幕がいたとしても、実際に本能寺の変をやってのけたのは、光秀当人であったからである。
では、実際の光秀とは、どのような武将であったのか。こうした武将の個人的資質やその性格は、従来歴史学の考察対象にはなりにくい分野であった。あくまでも、歴史学では、織田権力の一員というフィルターのもとで検討されてきたし、当時の権力や時代的背景に制約されていたことは個人を評価する上で不可欠な視点である。しかし、近年、こうした織田系部将たちの統治のあり方自体が見直され、部将たちのキャラクターそのものも考察対象になりつつある。すなわち、織田権力は、強い一定の方針や方向性があるというよりも、各部将によって地域に応じた独自のやり方に任されていた側面があると認識されるようになりつつある。
従来、織田権力と地域の国衆との関係を考察することは、権力の浸透度を検討する上で重要な視点である。同権力の地域支配の視点としては、「一職」支配の議論があり、織田系部将たちは、信長の上級支配権という傘のもと、旧来の守護権を継承して、一国ないし広域な支配権を掌握し、在地国衆に対して軍事統率権、知行宛行権を持っていたと捉えられてきた(脇田一九七七)。これらは柴田勝家の越前支配や、西岡(長岡)における細川藤孝(幽斎)と革嶋氏の関係などの事例から検討され、織田権力による地域支配の進捗度が考察されてきた。
ところが、近年織田権力が他の戦国大名との比較が進められるにおよび、信長に社会を統治する制度的整備について、関心が乏しかったことが指摘されている。すなわち、軍役賦課基準の設定や検地の実践など、具体的な政策実践は、信長が決定せず、部将である羽柴秀吉や明智光秀のもとで実践されてきたことが改めて着目されている(池上二〇一二)。
部将個々は、信長の権威を背景としつつも、自らの能力、経験、個性、あるいは人間的魅力を駆使して、国衆たちを味方につけるなどの調略を進めていった。しかし、彼らは、信長から過重な命令が出たとしても、それをしっかりこなさなければならない。そして、さまざまな困難を乗り越えるなかで、その実務能力を高めていったものと思われる。逆に、こなせなかった部将に対しては、改易などの厳しい措置が取られていた。
では、光秀とは、そもそもどのような人物だったのか。本能寺の変を起した後であるが、フロイス『日本史』に同時代に生きた人物の光秀評がある。それによれば、光秀は「もとより高貴の出ではな」いが「その才略、深慮、狡猾さにより、信長の寵愛を受け」ていたという。そして「裏切りや密会を好み」「戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった」。さらに「築城のことに造詣が深く、優れた建築手腕の持主で、選り抜かれた戦いの熟練の士を使いこなしていた」とあり、築城、軍略に長けていた。こうした武将としての資質に恵まれていたと同時に、他者を気遣う配慮があり、「信長に贈与することを怠らず」もてなしを行えた。そして「装う必要がある場合などは、涙を流し」たという。宣教師フロイスは、キリスト教に理解を示した信長を高く評価していた。その信長を倒した人物なので、フロイスの光秀評は「狡猾」「裏切り」「謀略」とやや手厳しい。
しかし、そうしたフロイスの恣意的な評価を外せば、武将としての才能を積極的に認めている。さらに、もてなしができ、装いの涙が流せる人たらしでもあったことも指摘している。一般に豊臣秀吉が人たらしだったと言われているが、光秀も負けず劣らず、他者を引き立てつつ、動かせる独特の才能を持っていた。
こうした織田系部将たちの個人的資質は、前述した信長の方向性と表裏の関係であったと言えよう。本書では、こうした織田系部将の一人、明智光秀を取り上げ、彼の近江国志賀郡、および丹波国における国衆との関係について順を追って通覧していきたい。

著者プロフィール

福島 克彦(フクシマ カツヒコ)

1965 年兵庫県生まれ。88 年立命館大学文学部卒業。おもな著書に『畿内・近国の戦国合戦』(2009、吉川弘文館) がある。共著に『明智光秀: 史料で読む戦国史』(2015、八木書店古書出版部)、『近畿の名城を歩く 大阪・兵庫・和歌山編』(2015、吉川弘文館)など。

   

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