滋賀の文化情報誌デュエット新撰 淡海木間攫
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其の二十一優美な紋様をもつ流雲紋瓦(りゅううんもんがわら)
大津宮に深く関わりをもつ寺院としてよく知られている南滋賀町廃寺(大津市南志賀)から、サソリ紋瓦(方形軒先瓦)とともに、もう一種類、特異な紋様(優美といった方がよいかもしれませんが…)の瓦が見つかってい -
其の十九戦後第1号のおもちゃのジープ
第二次世界大戦後の食料難の中、子ども達の心を浮き立たせたのは、ブリキで作られたジープのおもちゃでした。昭和20年12月、敗戦の4か月後に京都のデパートで売り出されたこのおもちゃは、発売当初1個10円と -
其の十八冷水寺の胎内仏
伊香郡高月町宇根(うね)地区では、平成9年(1997)県の「創意と工夫の郷づくり事業」の助成をいただいて、区の歴史と文化を紹介する場として資料館を平成10年に開館しました。間口2.5m、 奥行き5m、 -
其の十七西河原森ノ内二号木簡古代の湖上交通を示す文書
西河原森ノ内遺跡は、野洲郡中主町西河原に所在する遺跡で、大きく三つの遺構面がある。このうち下層では七世紀後半から八世紀前半の掘立柱建物群が検出され、規模も大きく柱の掘り方も一辺一・五メートルのものも見 -
其の十六堅田衆との関係を示す書状集
尾張国・美濃国を手に入れた織田信長が近江国に進攻してきたとき、押さえておかなければならなかった勢力の一つに「堅田衆」がありました。堅田は、現在も琵琶湖大橋が掛かる湖の最狭部に位置し、対岸の守山までの間 -
其の十五近江商人の社会貢献「塚本兄弟の頌徳碑(しょうとくひ)」
今からわずか百年ほど前、琵琶湖の周辺には荒れ果てたハゲ山がひろがっていました。その最大の原因は、江戸時代の後期以降に激化した燈火用の松根の乱掘にあると考えられています。こうしたハゲ山は、降雨のたびに山 -
其の十四まつりの道具「銅鐸(どうたく)」
「銅鐸」。小学校の歴史の教科書にも登場し、最近の新聞紙上やテレビでもたびたび取り上げられることの多い名前ですから、皆さん一度くらいは耳にされたことがあるでしょう。(39個の銅鐸がまとまって出土した島根 -
其の十三大津市街にあったビワコオオナマズの産卵場
琵琶湖在来の魚類の中で最大のビワコオオナマズ。大きいものは全長1.3m、体重20kgを超える。私は1988年以来この魚の産卵生態を調査している。意外と思われるかも知れないが、この魚の産卵場は、かつて大 -
其の十二田んぼの中の林
初めてこの林を見たときには、妙な違和感がありました。林というものは山の斜面にあると頭の中で思い込んでいたからです。もう20年近くも前のことです。見上げるような大きなケヤキとエノキ、ムクノキが頭をだして -
其の十一清流のシンボル「ハリヨ」
みなさんは「ハリヨ」という名前の魚を聞いたことがありますか。ハリヨは7~8cmほどの大きさで、その名のとおり背中や腹にトゲのある淡水魚です。かつては滋賀県の湧水地帯にごく普通に見られ、「ハリンチョ」「
