滋賀の20世紀

 20世紀も残りわずかとなりました。各方面で「20世紀をカタチにして後世に残そう」という動きが見られますが、滋賀県もやります。21世紀の主人公となるであろう小学生、中学生に向けて、滋賀の20世紀を読み物(やっぱりマンガでしょ)にして贈ろうという計画が、いま着々と進められています。そして、そのお手伝いに弊社スタッフも参加しています。

 現代っ子をもってしても「滋賀県ってけっこうオモシロイやん」と口にしてもらいたい! そのためにまずはこの場で、素案をプレ公開いたします。読者の皆さまから「これを忘れとったらいかんがな」と、貴重なご意見いただけましたら、幸いです。


●年表の見方について

○○○○は人、○○○○は物、○○○○○○○は出来事で、本の中で紹介を予定している項目です。
また、物については、別枠で少々解説を付け加えています。

解説へのリンクはこのボタン→解説

年号
滋賀の20世紀
日本の歴史
1900
(明治33年)
滋賀県水産試験場を犬上郡福満村(現彦根市)に設置
近江鉄道、彦根―貴生川間が開通
 
1901
(明治34年)
瀬田川南郷洗堰の工事着工 県の補助金で片撚縮(クレープ)の模範工場設立【クレープ】
松田宗寿(信楽町)、甲賀郡で50年がかりの植林事業に着手
 
1903
(明治36年)
彦根仏壇同業組合が結成される【彦根仏壇】
信楽焼模範工場(県立窯業試験場の前身)の設置 【信楽焼】
 
1904
(明治37年)
W・メレル・ヴォーリズ(一柳米来留)が近江八幡に英語教師として来る(のちに近江兄弟社を創立)
北郷里村(現長浜市)に近江ヴェルベット合名会社が創立

【ビロード】
杉野文弥(余呉町)が私財を投じて江北図書館を設立

日露戦争開戦
1905
(明治38年)
瀬田川南郷洗堰の工事完了
鵜飼定吉(守山市)が鵜飼文庫を設立
南新助(草津市)が日本初の旅行会社を設立
落合謙太郎(びわ町)、日露講和会議に二等書記官として随行
ポーツマス条約が結ばれる
1906
(明治39年)
大津市内に初めて電話が開通
滋賀県原蚕種製造所を大郷村(現びわ町)に設置
 
1907
(明治40年)
中川源吾(マキノ町)、知内養魚場でビワマスの卵100万粒の採卵に成功
磯田村(現彦根市八坂町)をはじめとする犬上郡からの海外移民、この年833名
この年、移民問題で日米交渉が行われる
1908
(明治41年)
彦根に私立訓盲院設立(院長山本清一郎、1928年に県立に移管)
フェノロサ死去(大津を第二の故郷とし、日本美術を世界に紹介)
 
1909
(明治42年)
姉川地震発生(マグニチュード6・9、死者35名、家屋の全半壊8827戸)
近江水力電気(株)の送電にともない彦根でバルブ製造を電化 【バルブ】
 
1910
(明治43年)
この頃、堀井新治郎親子(蒲生町)によって誕生した謄写版が全国に普及 【謄写版】
大津市内でガス・上水道の供給開始
大逆事件で幸徳秋水逮捕
日韓併合
1911
(明治44年)
苗村(現竜王町)と北杣村(現水口町)に県下初の常設家畜市場が開設 【近江牛】  

1912
(明治45・
大正元年)

琵琶湖第二疏水完成
この頃、青木文教(安曇川町)が西本願寺門主・大谷光瑞の命を受けチベットに入国

高島の扇骨、生産量ピークを迎える【扇骨】
長浜の縮緬工場が機械化【浜縮緬】

 
1913
(大正2年)
西田天香(長浜市)が京都に「一燈園」を設立  
1914
(大正3年)
伊吹山に関西初の「伊吹山スキー場」設立

京都大学大津臨湖実験所開設
荻田常三郎、沖野原(八日市飛行場の前身)で県下初の飛行を行う
西洋帆布を製造する近江帆布(株)草津工場が開設【帆布】

第1次世界大戦始まる
1915

(大正4年)

八日市町沖野原に日本初の民間飛行場完成  
1916
(大正5年)
琵琶湖治水会、中の湖干拓反対の陳情書を県知事、内務各大臣に提出
町立彦根図書館が完成
 
1917
(大正6年)
小口太郎「琵琶湖周航の歌」を作詞

志賀廼家淡海、「淡海節」を始める

 
1918
(大正7年)
W・メレル・ヴォーリズが近江療養院(のちのサナトリウム)を八幡町に開設

県が伊吹山に気象観測所を設置

富山県で米騒動が発生、全国に広がる
1919
(大正8年)
塚本さと子(五個荘町)、淡海女子実務学校を設立

旭人造絹糸(株)が膳所町(現大津市)に設立

 
1921
(大正10年)
江若鉄道、三井寺下―叡山間が開通  
1922
(大正11年)
守山尋常小学校で日本初の少年赤十字が誕生
旭人造絹糸(株)が操業開始。昭和8年には東洋一の生産量、日産65t【人造絹糸(レーヨン)】
太湖汽船が建造した本格的観光船「みどり丸」就航
 
1923
(大正12年)
甲賀売薬同業組合が油日村(現甲賀町)に設立 【家庭薬】 関東大震災発生
1924
(大正13年)
安土城跡と紫楽宮跡、史蹟名勝天然記念物に仮指定される  
1925

(大正14年)

大津市柳ヶ崎に県下初の公衆水泳場開設
草津の竹根製品がフランスのパリ装飾美術工芸博覧会で銀賞を受賞 【根鞭細工】
普通選挙法公布
(25歳以上の男子のみ)
1926
(大正15・
昭和元年)
東洋レーヨン(株)が膳所町・石山村(現大津市)、東洋紡績(株)が堅田町(現大津市)で工場建設(翌年から操業)  
1927
(昭和2年)
比叡山坂本ケーブル営業開始
近江銀行が金融恐慌により休業を発表
金融恐慌発生
1928

(昭和3年)

近江鉄道、全線電化完成
県立聾話学校が草津町(現草津市)に設立
県水産試験場による食用蛙の試食会が県下各地で開催される
 
1929
(昭和4年)
彦根町(現彦根市)役場内に県内初の公益質屋が開設
大津市に県下初の養老院が開設
 
1930

(昭和5年)

京阪電鉄京津線で電車転覆事件が発生
不況により、県下中等学校入学志願者募集難
 
1931
(昭和6年)
江若鉄道、浜大津―今津間が全通
県下初のメーデーが大津と彦根で行われる
コアユを東京へ空輸することに成功【鮎苗】
野口謙蔵(蒲生町)が帝展で特選入賞
満州事変起こる
1932
(昭和7年)
長浜工業試験場、ジョーゼット、縮緬の試作完成  
1933

(昭和8年)

国鉄信楽線(現信楽高原鐵道)営業開始
山岡孫吉(高月町)が世界最小型ディーゼルエンジンを大阪で完成
日本のアンデルセンと呼ばれた巌谷小波(水口町)死去
日本、国際連盟を脱退
1934
(昭和9年)
琵琶湖ホテル開業
犬上川ダムの建設起工
 
1935
(昭和10年)
第1回琵琶湖まつり開催
琵琶湖で淡水真珠の養殖に成功。栗太郡志那村(現草津市)の吉田虎之助ら、淡水真珠養殖(株)を設立【淡水真珠】
 
1936
(昭和11年)
日本生命中興の祖、弘世助太郎(彦根市)死去
県庁移転問題が再燃(明治24年に問題発生)
2・26事件発生
1937
(昭和12年)
彦根市誕生
第1回全日本アルペンスキー選手権大会が伊吹山で開催
ヘレン・ケラーが来県、大津市教育会館、県立彦根盲学校、彦根商業高校で講演する
日中戦争始まる
1938
(昭和13年)
ヒトラー・ユーゲントが来日し比叡山観光
大津・彦根などに国営職業紹介所開設
 
1939
(昭和14年)
現滋賀県庁本館が完成
滋賀県営総合運動場が彦根に完成
 
1940
(昭和15年)
近江神宮鎮座祭執行
大成翼賛会滋賀支部発足
 
1941
(昭和16年)
旧制第四高等学校のボート部11名が現高島町の琵琶湖沖で遭難 太平洋戦争勃発
1942
(昭和17年)
滋賀県地方事務所を県下8ヶ所に設置
琵琶湖干拓始まる(小中の湖干拓着工)
ヤンマーディーゼル長浜工場が操業 【ディーゼルエンジン】
 
1943

(昭和18年)

長浜市誕生 滋賀県立図書館、大津市の物品陳列所跡に開館(以降3度の移転で現在地に)  
1944
(昭和19年)
琵琶湖内湖の入江内湖・松原内湖・野田沼など、干拓地に決まる
天の川源氏蛍が国の特別天然記念物に指定
学童疎開で大阪から1万1373名が疎開
彦根城一帯が井伊家より彦根市に寄付される
 
1945

(昭和20年)

アメリカ占領軍が大津に進駐 広島、長崎に原爆投下
ポツダム宣言受諾
1946
(昭和21年)
糸賀一雄田村一二ら、心身障害児の教育保護施設として近江学園を創設 日本国憲法公布
1947
(昭和22年)
初の知事公選実施、服部岩吉が当選
全国初の公民館、大津公民館が開館
近江神宮内苑に近江球場が開設。プロ野球「阪急―南海戦」開催
 
1948
(昭和23年)
第1回県民体育大会が水口町を中心に開催  
1949
(昭和24年)
彦根経済専門・滋賀師範・滋賀青年師範学校合同により滋賀大学が開校
新琵琶湖八景が選定される
 
1950
(昭和25年)
滋賀県と大津市の共同出資で競輪場が開設
琵琶湖が全国初の国定公園に指定される
朝鮮戦争勃発・ジェーン台風、近畿地方に大被害
1951
(昭和26年)
琵琶湖汽船(株)が大型遊覧船「玻璃丸」を就航
彦根市の足袋会社が女性下着の製造を開始【ファンデーション】
日米安全保障条約調印
1952
(昭和27年)
彦根城天守閣ほか5件、国宝に指定される
稲枝町(現彦根市)の高田工場が自動車の安全ベルト製造の研究に着手 【シートベルト】
大阪窯業セメント伊吹工場が操業(滋賀県の工場誘致第1号)【石灰(セメント)】
 
1953
(昭和28年)
延暦寺根本中堂など13件、国宝に指定される
多羅尾災害発生(信楽町多羅尾地区で、豪雨による山津波が発生)
三洋電機(株)滋賀工場で生産された噴流式洗濯機1号機が発売 【噴流式洗濯機】
NHK、東京地区で、テレビの本放送開始
1954
(昭和29年)
滋賀会館開館(日本の総合県民ホールの草分け的存在)
近江八幡市、八日市市、草津市が相次いで誕生
近江絹糸(株)彦根工場で「人権争議」が起こり、労働者側が勝利
 
1956
(昭和31年)
延暦寺大講堂焼失 東海道線、米原―京都間の電化完成
外村繁(五個荘町)の『筏』が野間文芸賞受賞
※経済白書「もはや戦後ではない」
日本、国際連合へ加盟
1957
(昭和32年)
大津市より米軍撤退
大中の湖の干拓工事開始
 
1958
(昭和33年)
比叡山ドライブウェイ開通
南喜市郎(守山市)がホタルの室内人工飼育による孵化に成功
 
1959
(昭和34年)
国際会議場の誘致をめぐって、大津市と京都市が激しく対立(京都市誘致決定)
花登筐(大津市)脚本のテレビドラマ「番頭はんと丁稚どん」がお茶の間で人気

天文学者の山本一清(大津市)死去
小江慶雄(湖北町)が葛籠尾崎湖底遺跡を調査

皇太子殿下ご成婚
伊勢湾台風襲来
1960
(昭和35年)
新農薬PCP公害で琵琶湖の魚やシジミが大量死 日米新安全保障条約成立
1961
(昭和36年)
滋賀県立琵琶湖文化館、大津市に開館  
1962
(昭和37年)
近江八幡市に初めて国民休暇村が誕生
※この頃より琵琶湖の汚染が広がり始める
 
1963
(昭和38年)
重度心身障害児医療施設、びわこ学園が大津市に開園(昭和41年には野洲町に第2びわこ学園が開園)  
1964
(昭和39年)
東海道新幹線が営業開始
名神高速道路の県内通過部分が全通
琵琶湖大橋竣工
東海道新幹線開業

東京オリンピック開催

1965
(昭和40年)
県の鳥がカイツブリに決定
西武王国の創設者であり、政界にも進出した堤康次郎(秦荘町)死去
 
1966
(昭和41年)
大中の湖干拓地入植式  
1967
(昭和42年)
大中の湖干拓事業完成  
1968
(昭和43年)
湖南工業団地完成(甲西町、関西初の職住接近のニュータウン)
大津市でびわこ博覧会開催(入場者は98万5000人)
滋賀県とミシガン州(アメリカ)の姉妹盟約調印式行われる
大阪のフォークリフトメーカー・東洋運搬機(株)が近江八幡市に滋賀工場を設置 【フォークリフト】
日本電気硝子(株)高月工場でカラーテレビブラウン管用ガラスバルブの生産開始 【ブラウン管】
 
1969
(昭和44年)
滋賀県公害防止条例を制定
江若鉄道が廃止される
 
1970
(昭和45年)
大津市に平和堂石山店オープン(当時全国でも最大規模の大型小売店)
饗庭野ナイキ基地反対集会開催される
守山市誕生、この年成人病センター開設
大阪で万国博覧会開催
1971
(昭和46年)
彦根市に消費生活センター設立  
1972
(昭和47年)
草津市のコンデンサー工場の排水路と周辺から多量のPCBが検出される
びわこ放送、本放送を開始
琵琶湖総合開発特別措置法成立
札幌冬季オリンピック開催

沖縄本土返還、日中国交正常化

1973
(昭和48年)
琵琶湖の富栄養化が着実に進行していると県が発表 オイルショック始まる
1974
(昭和49年)
国鉄湖西線開通
近江大橋開通
県知事選で武村正義が初当選(全国初の「革新相乗り」)
 
1975
(昭和50年)
県、財政危機で「非常事態宣言」
画家、三橋節子(大津市)死去
この年、「上田金脈問題」が発生
 
1976
(昭和51年)
県人口100万人を突破
画家、小倉遊亀(大津市)日本芸術院会員に選ばれる

第1回琵琶湖・淀川環境会議開催

ロッキード事件、田中角栄前首相逮捕
1977
(昭和52年)
琵琶湖に赤潮が発生。今津でアユ1万匹が大量死
(以降8年連続して発生)
 
1978
(昭和53年)
矢橋人工島建設工事開始
※消費者グループによる合成洗剤追放・粉せっけん使用運動展開 「びわこを守る粉せっけん使用推進県民運動連絡会」が発足
日中平和友好条約調印
1979
(昭和54年)
「琵琶湖富栄養化防止条例」県議会で成立
(翌年7月1日より施行)
 
1980
(昭和55年)
北陸自動車道、米原―敦賀間開通
※この年、「粉石けん使用運動」盛り上がる
大津市のオプテックス(株)が世界初の遠赤外線を利用した、自動ドア用センサーを開発【防犯用・自動ドア用各種センサー】
 
1981
(昭和56年)
県北部に戦後最大の豪雪(死者・行方不明者5名、被害総額60億円)
第36回 国民体育大会 びわこ国体開催
政府、2月7日を「北方領土の日」と決定
1982
(昭和57年)
矢橋帰帆島の湖南中部流域下水道浄化センターが始動
琵琶湖総合開発特別措置法の10年延長が決定される
滋賀県琵琶湖研究所設立

琵琶湖汽船(株)、大型外輪船「ミシガン」を就航

 
1983
(昭和58年)
中国湖南省との友好提携に調印
障害者と健常者が助け合って生活をともにする「茗荷村」が開設(愛東町大萩)

フローティングスクール「湖の子」就航

ロッキード事件で田中角栄前首相に実刑判決
1984
(昭和59年)
大津市の文化ゾーンに滋賀県立近代美術館開館
大津市で第1回世界湖沼環境会議開催
 
1985
(昭和60年)
第1回びわこトライアスロン大会開催 日本航空ジャンボ機墜落事故発生
1986
(昭和61年)
国際湖沼環境委員会発足  
1987
(昭和62年)
比叡山開創1200年慶賛大法会が行われる。同年8月に比叡山世界宗教サミット開催、山田恵諦座主成功に導く
「抱きしめてBIWAKO」イベント開催
国鉄分割民営化、JRが誕生
1988
(昭和63年)
JR西日本、米原―京都間の名称が「琵琶湖線」に決定
米原町に滋賀県立文化産業交流会館開館
京滋バイパスが開通
 
1989
(昭和64・

平成元年)

大津市に龍谷大学理工学部・社会学部が新設開校
滋賀県初の総理大臣・宇野宗佑内閣が発足
彦根市にミシガン州立大学連合日本センター開校
長浜市に黒壁ガラス館オープン
昭和天皇崩御
消費税スタート
1990
(平成2年)
信楽町に滋賀県立陶芸の森が開館
大津市歴史博物館が開館

県の琵琶湖リゾートネックレス構想が確定

大阪で花と緑の博覧会開幕
1991
(平成3年)
近江八幡市の旧市街地(一部)の町並みが国の重要伝統的建造物群保存地区に指定(県内初)
滋賀県立陶芸の森で「世界陶芸祭」が開催(信楽高原鐡道列車事故発生、陶芸際は会期12日を残して中止)

JR北陸線、米原―長浜間の直流化開始

 
1992
(平成4年)
琵琶湖総合開発特別措置法の5年間延長が決定
琵琶湖ヨシ群落保全条例、ごみ散乱防止条例が県議会で可決

滋賀県立長浜ドーム完成
滋賀県立安土城考古博物館開館

 
1993
(平成5年)
琵琶湖がラムサール条約の国際登録地に決定
大津市に成安造形大学が開校
矢橋帰帆島に滋賀県立水環境科学館が開館
 

1994
(平成6年)

琵琶湖の異常渇水、水位マイナス123cmを記録
立命館大学くさつキャンパス開校
大江健三郎ノーベル文学賞受賞
1995
(平成7年)
彦根市に滋賀県立大学新設開校 阪神淡路大震災発生
1996
(平成8年)
草津市に滋賀県立琵琶湖博物館開館
民俗学者の橋本鉄男(安曇川町)死去

彦根城平成の大改修完成

 
1997
(平成9年)
琵琶湖総合開発特別措置法の終了  
1998
(平成10年)
長浜市で滋賀環境ビジネスメッセが開催
大正・昭和の湖国をフィルムにおさめた写真家、前野隆資(大津市)死去
大津市に滋賀県立びわ湖ホールが誕生
長野で冬季オリンピック開催
2000
(平成11年)
大津市でG8環境大臣会合開催 沖縄サミット開催
クレープ(高島町)
肌ざわりのよい夏物衣料素材。明治44(1911)年頃には模範工場で開発されたクレープ地を初めて輸出。
仏壇(彦根市)
江戸時代、城下町彦根の武具製作職人が起源とされる。高度経済成長期に一般家庭に普及。
信楽焼(信楽町)
火鉢から植木鉢、タイル、傘立てへと、時代のニーズに合わせ製品を開発。
ビロード(長浜市)
大正8年(1919)に滋賀県下の同業組合設立。最高時は全国生産高の70%を生産。
バルブ(彦根市)
大正・昭和初期には人造絹糸製造工場や化学工場、海運業からのコック類の注文が殺到。
謄写版(蒲生町)
明治の主流、毛筆に変わり、手書き文章の大量・簡易印刷を考えた堀井新治郎親子(蒲生町出身)により明治27年に完成。その後改良を重ねながら全国に普及していく。
近江牛(竜王町)
明治20年(1887)頃、京浜地域へは神戸港から出荷されていたため、摂津や播州の牛と一緒にされ「神戸牛」と呼ばれていた。
扇骨(安曇川町)
大正元年に生産量のピークを迎える。現在は、扇風機、クーラーの普及で生産量は減少。
浜縮緬(長浜市)
高度経済成長期に和装愛好と高級嗜好が生まれ需要増大。
帆布(近江八幡・草津市)
日露戦争の際に軍需用として需要を増す。草津における工業近代化の先駆け。
レーヨン[人造絹糸](大津市)
琵琶湖の豊富な水を求めて、東レをはじめ鐘紡、グンゼ、旭化成などの繊維会社が続々県内に工場を建設。
家庭薬(甲賀・甲南・日野町)
第1次世界大戦でドイツから医薬品輸入途絶により活況。
根鞭細工(草津市)
木村熊次郎がステッキとして海外へ輸出開始。ロンドンではステッキを「キムラ」の名で呼ぶほど好評を博した。
鮎苗[コアユ](全県)
大正末期、石川千代松の研究で、琵琶湖の小アユを河川へ移植すると大きく育つことが証明される。
淡水真珠(草津市)
主要輸出先はレバノン。日本の真珠王、御木本幸吉も資金を援助。
ディーゼルエンジン(湖北一帯)
昭和8年、山岡孫吉が大阪で小型ディーゼルエンジンを完成。昭和11年には故郷の高月町で全自動籾摺機の実演も。
ファンデーション(彦根市)
彦根の足袋製造会社がワコールの勧めにより主力製品を女性下着に転換。
シートベルト(彦根・長浜市、愛知川町)
高田工場(彦根市)が、戦時中軍需用パラシュートを製造していた技術を活かし、自動車の安全ベルト製造分野へ転向。
石灰[セメント](石部・伊吹・山東・多賀・マキノ町)
戦前は田畑の土壌改良剤として、戦後は土木建築セメントとして需要が急増。
洗濯機[噴流式洗濯機](大津市)
昭和28年、三洋電機(株)滋賀工場で噴流式洗濯機1号機(従来の攪拌式より衣類の損傷が少ない)を製造。
フォークリフト(近江八幡市)
昭和43年、大阪に本社を持つ東洋運搬機が滋賀工場を開設。工場内に同社が昭和24年に製作した国産第1号のフォークリフトも置かれている。
ブラウン管(高月・能登川町)
肌ざわりのよい夏物衣料素材。明治44(1911)年頃には模範工場で開発されたクレープ地を初めて輸出。
センサー(大津市)
オプテックス(株)が世界初の遠赤外線利用の自動ドア用センサーを開発。

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