2017年 8月 5日

『再考 ふなずしの歴史』が地方出版文化功労賞・奨励賞受賞

地方での出版活動を奨励する「ブックインとっとり」において、『再考 ふなずしの歴史』が第30回地方出版文化功労賞の奨励賞を受賞することになりました。
「ブックインとっとり」は東京23区と鳥取県を除く地方出版社の本というのが対象で、一般投票の後に審査委員の審査があります。過去の受賞作品には、「おくりびと」として映画化された青木新門氏の『納棺夫日記』が受賞されています。
さてふなずしは滋賀県の高級珍味であり、また好き嫌いの激しい発酵食品・保存食品ですが、これが案外県外の人に人気があるようです。今回受賞した『再考 ふなずしの歴史』では、最古のすしと言われているが、実はその製法は進化してきたのではないかということから、中・近世に食されたふなずしのことを古文書や俳句などから読み取ろうと試みたものです。
編者である橋本道範さんは船上で地酒とふなずしを食しての講演会の企画から、様々な分野の専門家に原稿をお願いしたりと、しっかり漬かっておられましたが、そのご尽力が賞に繋がったのです。
単に「美味い」で済まさない研究者の執念だったように思います。

2013年 11月 29日

オニグルミとみどり豊のつながり

今年の秋の前半は栗に夢中だったのだが、秋といえばクルミも採り時と思った。
ところが、私はかつてクルミの木がどれかも気にしたこともなく、もちろん自生の
クルミを採取したこともない。
そんなことを考えていたとき、「クルミ豆腐作り」イベントを見つけた。
三重県との境にある旧土山町山女原でオニグルミを特産にしようと
苗木を育てているとのことで早速参加したのは11月の半ばだった。
クルミ豆腐をみんなで作ったあと、クルミの採取はこの時期、湖岸でいくらでも拾えると
いうことを聞いてびっくり!! なんと私は60年もそんなことを知らなかったのだ。

早速、家から車で10分もかからない琵琶湖岸を歩いてまたびっくり。
クルミは川辺にあるから、実は落ちて川をドンブラコと流れゆき、
琵琶湖岸にたどり着くのだった。
しかもながされているうちに岩にぶつかり、藻や木切れや浮遊物、湖の波にもまれて、
いつしかクルミの実は剥がれて、湖岸にはすっきり綺麗な種がポロポロ転がっていた。
リスやネズミやカラスに負けじと休日はクルミ採りに出かけているのである。
もちろん、すべてがきれいなクルミではなく、まだ実がついたものもあり、
洗う必要があるのだが、何度か湖岸に行ったとき、
岸に流れ着いたプラスチックのザルに入れて水辺で洗えば簡単にきれいになることも習得した。

さて、今日は甲良町で集落営農を実践している『やってよかった集落営農』の著者、上田栄一さんの事務所を訪れたところ、新米をいただいた。
上田さんとの話の際、山女原のクルミのことを言うと、「山女原でクルミといえば坂嵜さん知らんか?」と聞かれ、
それは山女原でクルミ栽培指導をしていて、湖岸でクルミが採れることを教えてくれた人のことだった。

よくよく聞けば、今いただいた新米「みどり豊」は私にとってはクルミおじさんである坂嵜さんが上田さんの農業法人サンファームを訪れ、この米を育てて見ないかと声をかけた人だっのだ。
「みどり豊」はコシヒカリの突然変異種で、その米を発見したのは坂嵜さんの友人。
そして、その友人のお二人の子供さんみどりちゃんと豊君の名前をつけた新しい品種であると教えてもらった。
因みに坂嵜潮さんは世界的に有名な育苗家だそう。だから、オニグルミの話の時も、
殻が硬いのが難だが、○○、○○などの品種を……という話をしていたのか。

コシヒカリよりも収量は多く、さめても美味しいお米。では、明日早速炊いていただきます。

2013年 11月 16日

中身が濃いです『冨田今昔物語』

古文書を読むだけでも大変なのに、仕事の合い間、
休日に地元に関係する古文書を読み続けて20年以上、
しかもその古文書の内容を解説した新聞が300号。
それどころか、これを元に更に追加説明をつけて
600頁の郷土史『冨田今昔物語』を纏めたのは
元高校の数学の先生とは、もう全てが「凄い」の一言です。

旧びわ町冨田は中世冨田荘で、竹生島との関わりが深い農村でした。
冨田には区有文書や江戸期の庄屋であった川﨑家文書がありましたが、
それ以外に竹生島文書なども調べ、川﨑先生は自分が気になったことを
文書を元にわかりやすく説明しておられます。
表紙を飾るのは浅井久政文書なのですが、これは水争いの時に持ち出され、
必ずこの書面で決着がつくという区の財産です。

先日、ご自宅へ本をお届けにお伺いし、庄屋門や村の揚場
(船の荷物を揚げ降ろしするところ)などを教えてもらいましたが、
何百年前のムラの様子が今後そのまま残されているかというと
それは恐らく無理だろうし、またムラの伝承も次第に伝える人が
なくなっていったりします。

自分が生まれて育った土地のことを書物にして残していけば、
次の時代のムラの人にとってはかけがえのない財産となります。

冨田の帰りがけに、川﨑先生から教えてもらった竹生島の一の鳥居に
立ち寄りました。早崎のムラのはずれにスクッと建っています。
この鳥居は近隣の人々の寄進によって建てられもので、
もちろんこのことも本に書かれています。

2013年 10月 22日

60歳にして、毎食後歯磨きをするようになりました。

26年前、「小学生によんでもらう冊子を作りたい」というお話を歯医者さんから受け、お手伝いをさせていただいたのが『歯の学習』でした。1年生から6年生用にと学年毎にイラストも入れた冊子は八日市市立布引小学校の児童に渡されました。
そしてこの夏、その歯医者さん・井田歯科東診療所の井田亮先生から連絡が入りました。平成19年から地元の滋賀報知新聞に掲載した原稿を元に一冊の本にしたいというお話でした。
そして、出来上がったのが『は・歯・ハの話』、価格は本体888円、もうすぐ発刊です。

井田先生が7年間にわたり、6月のむし歯予防週間や11月のいい歯の日(11月8日)に併せて書かれた原稿を野邑歯科衛生士と相談しながら、章立てなど編集のお手伝いをしていると「もう年だからとあきらめないで」とか「歯磨きは歯垢の除去と歯肉の強化が目的」などと書かれています。
それまで毎食後、歯を磨くことは歯にとって大事なことだと頭ではわかっていたのに、実は朝起きたときにしか歯を磨かなかった私が、「そうか、毎食後歯磨きしなければあかんのや」と一念発起、食後の歯磨きをするようになりました。これを読んだ方のなかには、「そんなの当り前やないの」と思っている方も大勢おられるだろうかと思いますが、なかなか習慣づけられない人には必読です。

実は著者・井田先生はロータリークラブ・西太平洋地域ポリオ撲滅キャンペーンにも尽力された方でもあり、歯科においても「むし歯を削って詰めておしまい」ではなく、まずはむし歯菌を除去することが第一という「予防歯学」を実践されている歯医者さんなので、書かれていることに説得力があります。

毎食後の歯磨きをするようになった最初の頃、歯ぐきから血が出ていましたが、毎日磨くようになると、どうやら歯肉が回復してきたようで、出血しなくなったのも驚きでした。
むし歯処置歯だらけ、ガタガタの歯並びの私ではありますが、でも歯周病で或る日ポロッと歯が抜けることのないように、これからもブラッシング励行と歯周病検査をして健康な歯の維持を心がけようと思っています。

2013年 10月 15日

ご馳走様でした

10月12日、「こだわりネットワーク滋賀」の湖東・湖北支部「農談会」に参加して来ました。
地元で採れた食材を各自が持ち寄りお昼ごはんを作って食べる会とのことで、参加者は9名。集まった食材は次の通り。
米・もち米・さつまいも・じゃがいも
玉ねぎ・かぼちゃ・なす・ねぎ・きゅうり
栗・むかご・仏生寺味噌・米粉・卵・丸中醤油
その他調味料
私は秋の味覚、栗と仏生寺味噌(鳥居本特製山椒味噌)を持参しました。
イモ系が多くて、一瞬エーッと思ったのですが、
ある材料で如何に料理を作っていくかということで、
なんと11種類ものお料理になりました。


・むかごごはん
・かぼちゃの煮物
・かぼちゃの素揚げ
・大学いも
・なすの仏生寺味噌田楽
・じゃがいも、玉ねぎ、きゅうり、卵のサラダ
・ねぎと米粉のチヂミ
・ねぎ焼き
・玉ねぎ、じゃがいも、卵のすまし汁
・栗あん入りおはぎ
・栗きんとん茶巾絞り

実は最初レシピを決めたところで、サラダ用のマヨネーズがない
味噌汁にしようと思ったら味噌がないということもあったのですが、
そこは臨機応変、手作りマヨネーズを作り、
味噌汁は澄まし汁に変更になりました。

そうそう、食後は美味しい土山産のかぶせ茶を点てて
栗きんとんをいただきました。

2013年 7月 7日

食べるつもりが飼うことになりそうなタニシ


ウォーキングをしていたときに田んぼである食材発見!!
それはタニシ。
数年前にタニシの佃煮の頂物がとても美味しかったことを
思い出し、泥まみれ、殻に藻がこびりついていることなんぞお構いなしに
ひとつ、ふたつ……と獲り続けて家に持って帰ったものの、
佃煮するには少ないので、翌日もう一度田んぼへ行き、
計50個のタニシを収穫しました。

でも、クチャクチャ汚いし、泥も吐かさねばならないので、
まずは水に入れてみたのですが、
1日3回替えても泥なのか糞なのか、
小さな黒いものがいっぱい底にたまります。
それどころか、小さなタニシの赤ちゃんまで出てきました。

ウーン、食べようと思っていたのに、
しばらくタニシを飼わなきゃならないのかしらん?
ちなみにタニシの種類はマルタニシのようです。

2013年 4月 20日

本の周辺2」 山城の本が作りたい!

2006年3月、『戦国の山城近江鎌刃城』の最終校正を引き取りに
米原市教育委員会に行ったときのことです。
いつも多忙すぎて原稿が書けないと嘆いておられる中井均さんが
「実はこんな本を作ってみたい」と言われたのが
『近江の山城ベスト50を歩く』でした。
山城を選定し、それぞれの地域で調査しているメンバーで
分担執筆するという案で、すぐさま決定。
発行は秋ということで見本組を作ってとりかかりました。
 
掲載する城を選定しているうちに、山城だけでなく平城も入れたいと
いうことになったのですが、そうすればタイトルを変えなければならない。
悩んだ挙句、番外編として平城も掲載することになり、
当初約224頁で進めていたはずの本が増頁になったのです。
まあ平城だけで別の本を作ることもできないからということで、
以後このスタイルが定着しました。
 
10月7日の「上平寺戦国浪漫の夕べ」では、しっかり前宣伝もしたのですが、
実はその日にはあと1城の原稿が出来上がっておらずヒヤヒヤものでしたが、
なんとか翌日入稿し、10月21日の米原公民館での販売に間に合いました。
 
そのときは、まだ誰もこれをシリーズにしようとは思っていませんでした。

2013年 4月 12日

「本の周辺1」 長浜曳山まつり

  長い間さぼっていたブログですが、心機一転、またブログを続けていくために新しいテーマを作ってみました。
 実はサンライズのHPでブログを書き始めたのは10年前の2003年、当時「本の周辺」というタイトルで書いていました。HPをリニューアルしたときにそのデータは移していなかったのですが、そのタイトルで再スタートし、これまで作った本に纏わることを辿っていきたいと思います。

 平成23年度に滋賀県立大学の市川秀之・武田俊輔先生が学生とともに長浜曳山まつりの調査をしておられたので、それを学生の視点で「曳山まつりの現在(いま)を淡海文庫にできないでしょうか」とお願いし、できあがったのが『長浜曳山まつりの舞台裏』です。
 昔から長浜のお取引先は曳山まつりの本日(ほんび)4月15日が「休業」と決まっていて、それを当然と理解していたものの、本を読むと何ヶ月もの準備期間と多くの人との協同により維持されていることがヒシヒシと伝わってきます。
 「まつり」の裏側をのぞいているうちに、なんと山組の若衆に参加した武田先生や学生、しゃぎりの一員になった女子学生のことなど、町衆が一丸となって執り行う行事に惹かれていく様子がいきいきと描かれています。
 市民の手で長浜城を再興したり、黒壁再生など長浜の結束力はまさに祭りによって培われてきたのです。
 守山市の小津神社の祭りでは、地域の新興住宅の方から長刀振りを教えてもらい参加できないだろうかという話が出ているとも聞きました。祭りは本来見るよりも参加するほうが楽しいはずです。何百年も続く地域の祭りを側面から眺めてみる必要がありそうです。
 ちなみに先日会社に来られた「常磐山(ときわざん)」の若衆筆頭、実はいつもお世話になっている書店の店長さんでした。今は仕事は早番で「本日」は有給休暇をとられるそうです。

2012年 12月 8日

『山村大好き家族ドタバタ子育て編』の現場に突入

ずっと前から知っていたミユキちゃんなのですが、ご自宅を訪問したのは今回が初めて。
とにかく、県道23号線をドンドン走れば突き当たりというわけで突入しました。
走ってみてびっくりしたのは、昔木地山まで行ったときは、もっと道が狭かったはずなのに、途中までは道が広くなっていました。
ニュースでもお知らせしていたように、木地山で本日から9日の日曜日まで、「風と土の工藝2012」の会場として、マンガの展示をしています。
 
それが、ここ。まんなかの二階建てのお家です。まさに琵琶湖の源流に住んでいるのですね。
家の横には沢から水を引いた池があり、見るとワサビが……。上に網をかけているところをみると、獲った魚を泳がしているイケスを兼ねているのかなぁと思いながら、玄関で「コンニチワ」というと、現れました、オノミユキご本人。
 
茶の間の長押に原画をグルーッと掲げていて、後日談などのコメントも書かれています。ひと通りみたら、なんだかホッコリと座り込んで、もう自宅の茶の間気分。
イヤイヤ本日は月2回連載を続けている毎日新聞さんの取材もありました。

紀之介君とさわちゃんは学校、新九郎君は保育所なので、ミユキちゃん曰く、いつもととは違ってとても静かだと。そうか、普段はここでドタバタしていて、ミユキかあさんの怒りの声が集落中にコダマしているのかと一人で妄想。

読み聞かせサークル「ホットケーキ」のお仲間と朽木の暮らしのいろいろも聞いていると、もう少し集落に子供がいたらねという話になり、よくよく考えたら、私の住んでいる町内には小学生が一人もいなくて、組単位で計算したら木地山以上に限界集落だったことに唖然。
そうか、限界集落って実は地理的条件だけではないのねと変なことで納得してしまった一日でした。

2012年 12月 7日

藤森照信のコンセプト・そして説得力

本日、滋賀県立大学DANWASHITSUの第47回講演会を
聞きに行きました。
ニュースでも書いていた藤森氏の「建築は自然と仲良くできるのか」
という講演。
とてもユニークで見るのは楽しい・おもしろい建物なんだけど、
もし私が施主ならば絶対に頼まないだろうと思う建物の数々。
しかしながら、私が最初に藤森氏の存在を知った
「路上観察学」のおじさん、樹木に対する興味が強そうなこと、
そして容貌が父ととても似ているということで、
とても気になる存在だったのである。
講演では最初に設計を頼まれた「神長官守矢資料館」の話から
始められたのだが、設計のコンセプトとしていわゆる民家は
作らない、人のマネはしないという2点だったという。

茶室がお好きなようで、確か熊倉功さんとの講演会も最近あったようだが、たぶんそれは利休がいろんなものをそぎ落とした究極の茶室を作ったように、狭い空間を「空」の場所に作るというあらゆる実験を楽しんでおられるように感じた。
話の中で焼き杉使用の北限が滋賀県といわれていたが、ベンガラの北限も滋賀県ではなかろうか? 以前中山道歩きをしている旅人に「柏原から西は、町が赤い」と言われ、赤いというのはベンガラの赤だとわかったのだ。
一番聞きたかったのは、とても普通だと使いにくそうな建物を設計する過程で、施主をどう納得させるかだったが、秋野不矩美術館の展示室を素足にするというのに難色を示した人たちに「日本画は和室があう」といって丸め込めた説得したという。そうか、しっかりしたコンセプトを持ち、それを施主に納得させる巧みな会話術を備えているのが一流の設計士なのだ。
板を割ったり、焼いたり、銅板などいろいろな素材に挑戦されているそうだが、土を吹き付けるのはやめて、できればチベットのポタラ宮のように歌を歌いながら漆喰を固めた壁も使ってほしい。

最近の記事

カテゴリー

ページの上部へ