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なぜ石田三成は関ヶ原で戦ったのか
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なぜ石田三成は関ヶ原で戦ったのか

妙心寺寿聖院「霊牌日鑑」異聞

佐賀 郁朗
判型 四六判 200ページ
ISBN 978-4-88325-872-7 C0093
刊行年月日 2026年05月20日
書店発売日 2026年05月20日
本体価格 2,000円+税
税込価格 2,200
内容紹介

「石田三成の長男の晩年の回想という小説形式で関ヶ原の合戦の真実に迫る試み。三成研究に熱心に取り組む著者が、知られざる資料を随所で用い、興味深い解釈を提示する」中井俊一郎〈オンライン三成会代表幹事/『石田三成からの手紙』著者/『決定版 三成伝説』共著者〉

目次
第一章 石田三成長男の告白
     若き雲水との問答
     三成の冤罪を民部大輔と語る
      千宗易(利休)切腹事件
      関白秀次公断罪事件
      小早川秀秋召喚事件

第二章 「霊牌日鑑」の虚実
     所司代与力による尋問
     脚色されていた「霊牌日鑑」
     『古今武家盛衰記』と「平氏石田系図」
     奥州に落ち延びていた三成の次男石田隼人正
      《津軽杉山家系図》

第三章 関ヶ原の合戦をめぐる疑惑
     済院宗亨の寿像お披露目
     関ヶ原の合戦の通説をあばく
     上杉景勝の謀反を信じていた淀殿
     北政所は秀家・吉継・三成を恃んでいた
      《北政所と石川家・大谷家・宇多家関連系図》
     敗戦を知って避難した北政所

第四章 三成の命日に明らかにされた一族の秘密
     三成の命日の法要
     豊臣家を滅ぼした大坂の陣
     三成の娘が嫁いだ岡半兵衛重政
      《武田家・山縣家・岡家関連系図》
     春日局は三成の曽孫娘お振の方を家光の側室にする
      《石田三成・祖心尼・お振の方関連系図》
     山崎家勝に嫁いだ三成の娘
      《山崎家・池田家・石田三成関連系図》
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前書きなど

 洛西花園の地に、南北朝時代のはじめ花園上皇が関山慧玄を請じて開創した、臨済宗の大本山正法山妙心寺がある。  その山内にある塔頭寿聖院は、慶長四年(一五九九)五月、石田治部少輔三成が父・隠岐守為成(正継)のために建立したもので、一族の菩提寺となっている。  寿聖院に伝わる石田一族の過去帳「霊牌日鑑」には、三成の長子・隼人正重家について、次のような記述がある。     石田隼人正ハ乳婆幷ならびに家臣津山甚内ト云者主従三人九月十七日ノ夜大坂ヲ遁レ出其その夜中当院ヘ参リ何卒石田家茶湯ノ種ニ残シ度由申付開基伯蒲和尚領承有テ直ニ剃髪授メ安名宗亨則三世済院宗亨禅師ナリ    また、その末尾には次のようなくだりがある。      右ノ大略関ヶ原軍記其ノ外ノ餘品ニモ雖二記出一何レモ不二定成一依レ之先師伝承ヲ記置者也    現存する「霊牌日鑑」は、文政八年(一八二五)に十世・清洲宗淳が筆写加筆したと記されている。  これまで、石田三成の一族についての通説は、ほとんどこの「霊牌日鑑」を原典としている。しかし、幕府の目に触れる可能性のもとで記された記載内容は疑ってみる必要があろう。  本作は「霊牌日鑑」をもとに、想像を交えた小説の形をとり、石田三成が関ヶ原でなぜ戦ったかを明らかにする試みである。

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著者プロフィール
佐賀 郁朗(サガ イクロウ)

 1931年(昭和6)北海道生まれ。旧制弘前高等学校をへて、東京大学農学部卒業。1957年、全国農業協同組合中央会に入会。宮脇朝男会長秘書、教育部出版課長、教育部長、農林放送事業団常務理事を歴任。  著作に『君臣平田東助論』(日本経済評論社、1987)、『石田三成と津軽の末裔』(北の街社、1997)、『世も幻の花ならん 今官一と太宰治・私版曼荼羅』(北の街社、2007)、『オホーツク鮭物語 時代に翻弄された網元一家』(亜瑠西社、2020)、「一楽照雄 希代の思想家」(日本農業新聞、2022年20回連載)。共著の日本農業新聞編『協同組合運動に燃焼した群像』(富民協会、1989)のうち「宮脇朝男」執筆。

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