近江旅支度

中山道制定以前の鳥居本

歌枕に残る「不知哉川」

 旧中山道を鳥居本から西に進み、大堀町にはいると芹川の手前にこんもりとお椀を伏せたような大堀山(別名鞍掛山)があります。この山が壬申の乱の戦場となった「鳥籠山」ではないかといわれています。
『万葉集』では

淡海路の鳥籠の山なる不知哉川
       日のこのごろは恋ひつつもあらむ
狗上の 鳥籠の山なる不知哉川
       いさとを聞こせ 我が名を告ぐらすな

と詠まれ、歌枕の地として知られています。
 鳥籠の山とセットで詠まれるので、不知哉川は芹川であるとする説が有力ですが、「鳥籠山」は正法寺山や東山であるという説や、不知哉川は、原町を流れる小川であるともいわれます。鳥籠山の比定地についての見解はさまざまですが、中山道は古代の東山道を踏襲して決められたという経緯から、古代の鳥籠駅の所在論争にも大きく影響します。
 『延喜式』では鳥籠駅に15匹の駅馬を備えたと記され、大堀山と芹川のある周辺が鳥籠駅であった可能性が高いとされます。しかしながら、具体的な調査が行われていないので確証はなく、大堀町から地蔵町、正法寺町、原町あたり一帯が鳥籠駅であろうという可能性が残ります。

 原町を流れる「不知哉川」の源のある東山は、古くから「山神さん」として信仰され、山頂付近の一角には石を四角に敷き詰められた上に小さな石塔がおかれ、3月と12月の祭礼には原の人々が参拝に訪れます。彦根インターチェンジ近くの原八幡神社の社内には、聖徳太子建立の伝承を持つ永光山宝瑞寺がありましたが、明治の神仏分離で廃寺となりました。その後、中興開山の墓石などわずかにその姿をとどめていましたが、近年の神社境内の整備に際して供養塔が建立されました。神社境内の整備が進むと同時に、平成9年には、氏子たちによって日本一の大太鼓が奉納されました。

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