2013年 9月 29日

パール・イズ・マイ・ベストフレンド――山田篤美著『真珠の世界史 富と野望の五千年』

 9月8日(日)付けの中日新聞書評欄で、酒井順子さんが「水辺」をテーマに書かれた本3冊をとりあげ、「個人的好みを言うならば、私は海水派ではなく淡水派」だが、「湖沼は地味な存在感で、あまりスポットライトがあたりません」と書いている。
 売れっ子エッセイストにこう書かれると何だか通好みな感じがするけれど、要するに商売にならないらしい「淡水派」。
 私も「淡水派」だが、選択の結果ではなく、地理的条件のためである。滋賀県だもの。
 以前、海でなく湖や川における蒸気船という存在について書いたことがあったが、「淡水○○」「湖沼の○○」が自然と気になる。
 なので、例えば、兵庫県立美術館が昨年催した展覧会のタイトルが「パール 海の宝石」だと、不当表示という言葉はおおげさだろうが、真珠はすべて海産かのような誤解を与えるからやめていただきたいと思う。この展覧会自体は、アラビア湾に面したカタールと日本の国交樹立40周年を記念したものだそうだから、こんな表現になったのだろうが、それなら「アラビア湾の宝石」とか地域を限定すればよいはずだ。
 8月に出た山田篤美著『真珠の世界史 富と野望の五千年』(中公新書)を手にとったのは、もっぱら「淡水真珠」の扱いを知りたかったから。
 さて、読んだ結果、中国の長江、アメリカのミシシッピ川、そして琵琶湖の淡水真珠についてもきわめてバランスよく紹介されており満足。淡水真珠に限らず、真珠にまつわるトリビア(血なまぐさいものも含めて)いっぱいで、つけた付箋でかなり本がふくらんだ。
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  偶然だが、先日、ハワード・ホークス監督『紳士は金髪がお好き』(1953年)をひさしぶりに観なおした。マリリン・モンロー演じる主人公の踊り子ローレライは、フランスへ向かう客船で乗り合わせた南アフリカ第二のダイヤ鉱山を所有している大富豪の妻が持っているダイヤのちりばめられたティアラに目を輝かせ、ステージで「Diamonds Are A Girl’s Best Friend(ダイヤは女の一番の友達)」と歌う。
 そんな彼女も、実生活ではダイヤ一筋というわけではなかったらしい。
 本書には、1954年(公開の翌年)、新婚旅行で来日したモンローが、大リーガーである夫ジョー・ディマジオに銀座の御木本で買ってもらった真珠のネックレスをつけて取材陣の前に現れた時の写真が掲載されている。
 もっと「世界史」らしい規模にも話は及ぶ。
 大航海時代、真珠ブームに沸くヨーロッパで、ポルトガルはアラビアとインドの真珠産地に交易の拠点を置いた。宣教師フランシスコ・ザビエルが日本にやってくる前、インド・ゴアでの任務は真珠採りをする漁夫への布教だった。その後、彼が上陸した鹿児島はアコヤガイの産地、すでに11~12世紀から高麗との貿易に天然真珠を用いていた地である。ザビエルに後を託されたコスメ・デ・トーレスが拠点としたのも、やはり真珠産地の大村湾を擁する西彼杵(にしそのぎ)半島(長崎県)。
 日本も含めて、世界は真珠で回っていたらしい。
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 これまであまり注目されてこなかった日本史に関わる事実として、『魏志倭人伝』には「真珠(もしくは白珠)」の語が3回登場する。
 以下、本書の記述を簡略にしてまとめると、
1. 倭の地(日本)は真珠を産する。
2. 魏の皇帝が卑弥呼に与えた下賜品には、「真珠五十斤」が含まれている。
3. 卑弥呼の後を継いだ壱与(いよ)は魏に使節を送り、「白珠五千孔」を献上した。
 著者は、2の「真珠五十斤」は当時の中国で産した淡水真珠(現在の重さでいえば約11kg)、3の「白珠五千孔」は糸通しの穴をあけたアコヤ真珠5000個だと推測している。
 これは、邪馬台国の所在地をめぐる論争にも一石を投じるものなわけで、アコヤガイを含む貝塚の出土数や奈良時代の風土記にみられる真珠産地の記述などからすると、九州説に分があるということになる。
 滋賀県守山市の伊勢遺跡を邪馬台国だとする邪馬台国近江説というのもあって、こちらは畿内(奈良)説以上に分が悪くなるのかな。淡水真珠がとれる琵琶湖のある近江に存在したのなら、淡水真珠をもらって、海産真珠をあげるというのは、理屈に合わない。
 当時の真珠の使い道は、墓の副葬品。死者の口に真珠を含ませる風習が、古墳を築くような日本の支配階級でも広く行われていた。卑弥呼の遺体にも真珠がそえられた可能性はおおいにある。溶けてなくなるまで彼女によりそったのは真珠。
「パール・イズ・マイ・ベストフレンド」 ヒミコ
 いや、そんな意味のことを言ったなんていう記録はどこにもないわけだが。前述のとおり、パールは中国産淡水真珠。現代の中国産養殖淡水真珠と琵琶湖(正確には周辺の内湖)の養殖淡水真珠の関係については本書を参照。

2013年 8月 15日

損が行かなきゃ大抵話すよ――加藤泰監督『瞼の母』

 「あっしは江州阪田の郡…」というタイトルで、小林まことの漫画『関の弥太ッペ』(講談社)を取り上げた記事の投稿日は、2009年9月17日。
 「単行本巻末の予告広告によると、次の連載は『沓掛時次郎』に決まっており、『瞼の母』はまだその先のよう。楽しみに待ちます」と結ばれている。
 それから小林は、予告どおり『沓掛時次郎』(2010年10月)、『一本刀土俵入』(2012年6月)と長谷川伸の股旅ものを漫画化しつづけ、4本目として『瞼の母』の連載が「イブニング」の7月9日発売号から始まった。
 おりしも今年は、長谷川伸の没後50年。命日は6月11日。ネットで検索したかぎりでは、盛り上がっているのは生地横浜のみのよう。小社は、『瞼の母』の主人公、番場の忠太郎の生地、中山道の宿場・番場の隣の宿場・鳥居本にあるわけだが、著作権切れになったからといって特に原作戯曲を出版しようといった予定もなし。番場宿と「瞼の母」については、小社刊『近江歴史回廊ガイドブック 近江中山道』に3ページ分の記述あり。ネット上のたいていの解説よりはくわしい。
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 小林まこと連載が完結したら何か書こうぐらいに思っていたら、7月下旬の新聞で、筑摩書房の新刊として、山根貞男・安井喜雄編『加藤泰、映画を語る』(ちくま文庫)が出たことを知る。1994年に出版された本の増補版である。これを「(書くなら)今でしょ」というサインと受け取ったのは私だけか。
 そう、加藤泰監督の映画『瞼の母』(1962年)の方のことを書いておこう。
 加藤泰による長谷川伸の戯曲の映画化としては、『沓掛時次郎 遊侠一匹』(1966年)の方が有名で、文化庁主催の優秀映画鑑賞推進事業のプログラムにも入っている。私は、水口の碧水ホールの優秀映画鑑賞会で観たし(2003年1月)、米原の県立文化産業交流会館で上映されたこともあったように記憶している。
 『瞼の母』の方は、2006年にDVD化され、レンタルショップの「時代劇」コーナーに並んでくれたおかげで観ることができた。
 驚いた。全体の統一感、漂う緊張感の点で、『沓掛時次郎 遊侠一匹』より身びいきなしに上だと思う。
 まずは、母と妹が待つ郷里へ帰ることにした弟分の半次郎(松方弘樹)と忠太郎(中村錦之助)が別れる渡し場のシーン。尋常ではない。
 そして、江戸に着いた忠太郎が、三味線弾きの老婆(浪花千栄子)を酔っ払いから助けて話しかけるシーン。
 名のある俳優の演技はもちろん、日本画と西洋絵画のハイブリッドみたいな画面の中を横切る点景の人物(物売りや子守娘)がみなすばらしい。
 いつにも増して○○○が多い。△△△撮影がない(=すべて◇◇◇撮影)。
 小説や映画のネタバレはいっこうにかまわない派なのだが、これは事前情報なしで観たほうがよいと思うのでふせ字にしておく。
 観て驚いた方は、『加藤泰、映画を語る』収録のエッセイで、『瞼の母』の撮影秘話をお読みいただきたい。
 昭和36年(1961)暮れのこと、翌年1月公開予定だった中村錦之助映画の製作が延期となり、急遽穴埋め作として、加藤泰が書いておいた『瞼の母』のシナリオが採用され、監督も任される。残された撮影日数はわずか15日。
 撮影時間短縮のために、加藤監督は△△△撮影はしないことを宣言。全篇◇◇◇撮影の股旅ものを無事期限内に完成させた。他のお正月映画の撮影はすべて終了していた時期で、当時の大道具などのスタッフが優秀だったから可能だったと述べられているが、構図にこだわる監督の資質にはむしろこちらの方が合っている気がする。
 同書には、モダンな作風の明治の版画家・小林清親(代表作「東京名所図」)のファンだという発言なども収められていて、なるほどと納得させられた。
 お涙頂戴のベタな人情ドラマとあなどるなかれ。観たら驚く。旧作レンタルで100円か200円だ。
 ただし、やはり今年7月に出版された(これも一種の長谷川伸リバイバルなのか?)藤井康生著『幻影の「昭和芸能」―舞台と映画の競演』(森話社)では、『瞼の母』の舞台化・映画化作品を評するなかで、「東映の中村錦之助(萬屋錦之介)の映画は、語るに値しない」と片づけられてしまっているので、すべての人には保証しない。
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 今回タイトルにしたのは、先の三味線弾きの次に忠太郎に助けられる夜鷹おとら(沢村貞子)の台詞。
 「そんなら何でも聞くがいい、損が行かなきゃ大抵話すよ」
 気のきいた言い回しだなと印象に残ったので、原作戯曲を確認したら原作どおりだった。映画のスジとは関係ないが、個人的な覚えとして。

2013年 7月 15日

君はもう向こう側――徳永憲 デュエットwith小島麻由美「悲しみの君臨」

 先日、友人とのメールのやり取りで「好きなアイドル」というお題になり、歌謡曲の女性歌手(ないし男性歌手)に対して特に熱をあげた経験のない私は、しいて言えばというかたちで、小島麻由美の名をあげた。
 1995年の夏、デビューアルバムをCD売り場の新譜視聴コーナーで聴き、そのままレジへ。彼女はその時点で、すでに22歳だったのだし、知っている人には言わずもがなのことながら、アイドルではなくシンガーソングライターである。
 私が持っているシングルCD(3インチの縦長のやつ。マキシは別)は、彼女の4枚(「真夏の海」「はつ恋」「セシルカットブルース」「ろくでなし」)だけ。実際にはアルバムの方を通して聴くばかりで、購入後CDデッキに一度もかけたこともないものが混じっているはず。だとすれば、昨今のアイドルグループのファンと変わらない。
 そんな彼女もすでに40歳。6月16日(日)の夜、久しぶりにネットで彼女のオフィシャルサイトをのぞいてみると、かなり長いこと「新作を鋭意製作中です」のままだったトップ画面が更新されており、以下の文章あり。

   徳永憲のニューアルバム「ねじまき」に参加しました!
   徳永憲の大シンパ、小島麻由美が彼のニューアルバムに参加。
   「悲しみの君臨」で彼とデュエットしています。

 徳永憲とは何者?
 滋賀県彦根市出身のシンガーソングライター。
 デビュー15年、今年3月に発売された『ねじまき』(スザクミュージック)は8枚目のアルバムだという徳永憲、存じ上げませんでした。
 ただし、スピッツのトリビュート・アルバム『一期一会』(ドリーミュージック 2002年)収録の小島麻由美「夏の魔物」で、アコースティックギターを奏でているので、演奏だけならこの10年で何十回となく聴いていたことになる。
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 さて、最新アルバム『ねじまき』に収録されている二人のデュエット「悲しみの君臨」。
まずはyoutubeにアップされているミュージックビデオをどうぞ(ご自分で検索してください)。
 オフィシャルサイトで自身が書いているとおり(4月19日)、「歌詞がめちゃくちゃ暗い」。
 ちょうど、この5月、子猫の頃に妹夫婦が拾ってきたのを我が家で預かりそのまま10年以上飼っていた猫が、エサを食べず毛づくろいもできないほど衰弱したまま(GW中は毎日、犬猫病院へ点滴のため通院)、ある日、姿を消してしまった。それから間もない時期に聴いたために、気分が沈むこと甚だしい。
 ひと言でいえば、「諦念」の歌。10~20代ではなく、30~40代のための歌。猫ではなく人であてはまるシチュエーションだと、もっときつい。
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 徳永憲のこれまでの歩みについては、スザクミュージックのサイトにアップされている小野島大によるバイオグラフィを参照。
 彼の曲に対する「いびつ」という形容は、いくつもの評や彼自身の発言でなされていて、自分の頭に浮かんだものなのか、聴く前に頭に入っていた情報なのか、わからなくなってしまった(まぁ、たぶん後者)。
 例えば、5曲入りデビューミニアルバム『魂を救うだろう』の1曲目「ビルの屋上」の「柵には折り返しがある」という歌詞。
 最初のフルアルバム『アイヴィー』(1998年、ポニーキャニオン)の3曲目「優しいマペット」で、素朴なリコーダー(自身による演奏)の音色にかぶる言葉「君のことを台無しにしてやりたい」。
 6曲目の「口封じ」は意味深なタイトルの鼻歌ソング。
 7曲目の「コーラの秘密」は、歌い手に小島麻由美を想定して作られた曲だそうで、詞曲ともにそのパスティーシュ。歌詞も演奏もふざけている。
 ラストをかざる「アイヴィー」(ivy:英語で「つた」の意)は、アルバムタイトルにふさわしい佳曲。2~3分の小品だろうと思って聴いていると、バックのストリングスがそれこそ繁茂するつたのように過剰な盛り上がりをみせて、7分きっかりで終わる異形のナンバー。
 2ndアルバム『眠り込んだ冬』(2000年)は現在入手困難。
 3rd~6thも飛ばして、最高傑作の呼び声が高い7thアルバム『ただ可憐なもの』(2011年、スザクミュージック)を聴く。
 3曲目「神に麻酔を」は、一番ロック色が強いナンバーで、詞曲ともに直近のライブで競演しているカーネーションの直枝政広っぽい。間奏で入るアイリッシュ風フィドルとフルートが快感。
 10曲目「ボート」も長尺なれどリピート必至。youtubeにアップされているミュージックビデオには、ビバシティ彦根(JR南彦根駅前にあるショッピングセンター)の立体駐車場と屋上を撮影した映像が挿入されている。本人が年末年始の帰省時に撮影したものか。雪が積もっている。そう、1曲目「本屋の少女に」から、アルバムのイメージは冬なので、今は季節はずれなのだが、それは置いといて。
 「早く逃げようって彼女は言う」
 「このボートじゃ何処へも辿り着けない」
 滋賀県民には意味深にもとれる曲だな。

2013年 6月 6日

ルーツと歌詞にマッチした名リミックス――『久保田麻琴レア・ミックス 江州音頭 桜川百合子』

 発売は去年の6月6日、1年遅れの紹介になるが、知ったのが先日なのでお許しを。
 『久保田麻琴レア・ミックス 江州音頭 桜川百合子』(テイチクエンタテインメント)は、「江州音頭(ごうしゅうおんど) 千両幟(せんりょうのぼり)」のミックス3種と、それらのインストバージョン、昭和40年代のLP制作時に録音された原曲の計7曲を収録したアルバム。アマゾンにてとりあえず購入、1890円(税込)。
 久保田麻琴というと、私はサンディー&ザ・サンセッツのアルバムを持っていてもおかしくない世代(「ヒラケ・ゴマ」とか、聞けば懐かしい)だが、南方系のメロディはまぶしすぎると感じる中学生男子だったので、ご縁がなかった。
 1曲目の「千両幟 VooDoo Ciranda」がかっこよい。
サイケデリックな、というか、気味悪がる向きもあるかもしれないオドロオドロしいギターが、江州音頭にこんなに合うとは。桜川百合子の歌唱だからなのか。
 「VooDoo Ciranda」は、日本語にすれば「ブードゥー教の踊り」風アレンジってことでよいのだろうか。Ciranda(シランダ)はポルトガル語。ブラジルなどで、伝統的な歌に合わせ輪になって踊る大人のダンスのこと。
 7分余りの長尺、あきさせない。間奏で、R&Bシンガーばりに「ユー(you のわけはないが)」とうなる。これ、原曲の一節から一語を切り取って挿入したのかと思ったら、原曲でもしっかり「ユー」とうなっている! 1回あって、さらに3回繰り返させるのはやりすぎな気がする(原曲は1回だけ)が、先に「この流れだと3回続く」とわかるから、笑って許せる。
 加わる音の配分が微妙なところで(好みの問題といえばそれまでだし)、2曲目の「Massive Gollywood Mix」は、シャンシャンという錫杖(しゃくじょう)の音(?)など、より日本のエキゾチシズムを詰め込んだミックスに聞こえるが、笛の音が入る時点で、私には恥ずかしさが生じる。3曲目の「80’s Funk Stylee」は、一番万人向けではあるのだろう。
 これを書いている最中、パソコンから流れる「江州音頭」を聞いた妻曰く、「呪文みたい。同じ呪文に聞こえるのなら、あたしはグレゴリオ聖歌の方が好き」。
 コメント後半は無視するとして、それも当然で、江州音頭は、山伏が「祓い清め奉る………親子息災延命諸願成就と敬って申す」と前置きして、独特の節回しで物語を読み上げた「祭文語り」と呼ばれる芸能に起源がある。
 「千両幟 VooDoo Ciranda」がよいのは、ブードゥー教というカリブやアメリカ南部の黒人社会に伝わる民間信仰(呪文による儀式が有名)の、好意的な意味で“不気味な彩”をほどこすことで、江州音頭がその始まりにもつ怪しげな宗教性を思い出されるところ。
 さまざまある「江州音頭」(「エー、みーなーさまー、たーのーみーまーす」で始まるのは共通)のなかでも、「千両幟」の歌詞は、好いた相撲取り・留関の病を治そうと、芸者松吉が寺の権現様に水垢離(みずごり)で願掛けをするというあらすじ。
 「抜き読み」と歌詞に出てくるとおり、明治から昭和前期まで全国的に知られた講談が元ネタだという。東京で明治10年代に人気のあった講談の演目一覧(兵藤裕己著『〈声〉の国民国家―浪花節〔なにわぶし〕が創る日本近代』)の、ジャンルでいえば「力士伝」の中に確かにあがっている。つまり、物語自体は江州(滋賀県)と無関係。また、同タイトルの人形浄瑠璃や落語があるが、あらすじも登場人物名も異なる別物。
 留関の病気が全快したなら、自分の命を「十と五年は差上げましょう」という誓いのあと、すごみのある桜川百合子の歌唱も手伝って、「おがますばかりが 神じゃ仏じゃありゃしょまい」と神仏に対して放つ挑発的な言葉が印象に残る。
 私自身、住んでいる地域で秋祭りの日に行われている、桜川一門の歌い手を招いた盆踊りで子供の頃から踊っていながら、歌詞を通して読んだことはなかった。興味をもって調べる気になったのは、今回のアルバムのおかげである。
 CDジャケットに使われている白黒写真は、「昭和34年7月2日納涼大踊。能登川駅前広場にて撮影された写真」で、櫓(やぐら)の中に桜川百合子が座っている。
 CD付属のジャケット兼冊子には、「千両幟」の全歌詞も掲載されている。これは、深尾寅之助著『江州音頭』(白川書院、1971年)に口演:櫻川百合子名義で掲載されている「千両幟」の歌詞と同一のもの。同書には、「テイチクNL―二〇六四で(レコードが)発売されている」とある。
 ただし、担当したデザイン会社の責任だろうが、この冊子はページの「面付け」を間違えたまま印刷されてしまっている。表紙から順に開いてくと、収録曲一覧の次が「歌詞の後半」で、最終ページに「曲タイトルと歌詞の前半」が掲載されている。
 桜川百合子(1937~1985?)は、能登川町林(現、東近江市)の生まれ。彦根市稲枝町に住んでいた。
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 「本気」なミックスだなぁと思ったら、付属冊子のThanks欄(謝辞欄?)では、江州音頭関係の協力者の名のあとに、「このアルバムを中村とうよう、そしてチャーリー・ギレットに捧げる」と記している。うん、本気だ。
 ネット上にはたいした情報が見つからないので困っていたのだが、あぁそうかと図書館で、CD発売ごろの『ミュージック・マガジン』2012年7月号を借りた。長浜・彦根の図書館には置いておらず、県立図書館から取り寄せてもらうことに。届いてみると、同号は「特集 ももいろクローバーZ旋風!」(裏表紙もそのアルバムの広告)で、カウンターで受け取るとき表情に困る。9割がた立ち読みだったが、好きなミュージシャンが載っていた何冊かは持っている私の世代がいだく、老舗(図書館なら当然常備)の洋楽雑誌という認識はすでに古いらしい。
 さて、誌面をみると、「アルバム・ピックアップ」の中に、真保みゆき氏が取り上げている。同時発売の『続、続々カワチモンド』といっしょに。
 見出しは「ゲテもの扱いされていた河内音頭系のシングル群」。
 「VooDoo Ciranda」については、「どこかエチオピア歌謡的でもある百合子の歌声にマラカトゥ・リズムが交錯する」とのこと。わかりますか?
 採点つき短評の「アルバム・レヴュー」の方では、原田尊志氏が取り上げている。
 「繊細さと豪胆さの間を行き交う見事なトラック」「久保田がいかにこの曲を愛しているか、ダイレクトに伝わる凄味あるリミックスだと思う」とのこと。10点満点で9点。
 ジャンルは「ワールド・ミュージック」。一つ目に紹介されているアルバムは、マリエム・ハッサン『エル・アイウンは燃えている』で、「西サハラ“砂漠のブルース”系ヴェテラン歌手、欧州亡命後の5作目……(中略)8点」といった具合。
 同じ発行元のあれもあるなと、『レコード・コレクターズ』の2012年7月号をネットであたると、こちらはバックナンバーデータで、安田謙一氏が「河内音頭/江州音頭 “日本一あぶない音楽”のグルーブが復刻音源集や久保田麻琴リミックスで甦る」と題する文章を書いていることがわかったので、古本を購入。
 安田氏曰く「琵琶湖に住み着いたピラニアが繁殖したのを強引に鮒ずしにしたような、もの凄い世界」。これは言いすぎ。
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 さて、以下は滋賀県と関係ないが、私の頭の中では、ひとつながりなので。「千両幟」と合わせての裏タイトルは、「日英女歌対決」。
 Voodooで、私が思い出したのは、イギリスの女性歌手アリソン・モイエ(Alison Moyet)の3rdアルバム『Hoodoo(フードゥー)』(1991年)。ゴスっぽいメイクのアリソンの写真(茶系のセピア色)の背景に何かの呪文らしき記号がびっしり並び、収録曲も全体に不穏な印象を受ける作品。
 一応説明しておくと、発売当時は円高の進行で輸入盤の価格がとても下がり、英語知らずの洋楽聴きである私などでも(まぁ、もともと日本語訳詞も読まなかったし)、輸入盤を買うようになった時代。
 不快と紙一重のかん高いヴァイオリンに似せたシンセが響くアルバム標題曲(「Hoodoo」)の歌詞内容は、ブードゥー教の呪術で彼の愛を手に入れようとする、あるいはゾンビよろしく死んだ彼を秘術すら用いて甦らせようとする、行き過ぎた恋の歌かと想像していた。
 これなら、「千両幟」とも通じる世界である。興味がわいた私は、歌詞の対訳・解説つきの日本盤を買ってみることにした。アマゾンだと中古品が1円(レンタル落ち)からあり、一応100円(+送料340円)の新品を購入。
 さて、日本盤解説(佐藤どなこ氏)によると、今作はパーソナルな出来事を自叙伝風に綴ったもの、わかりやすく言えば「離婚してシングルマザーになった彼女」の傷心と憤りが創作のもとになっている。アルバム1曲目「Footsteps」の一節(対訳:内田久美子氏)は、「泣きたいほど悲しい 私は名字以上のものを失うの」、後半の9曲目「My Right A.R.M」(A.R.Mは次男アレックスの名の頭文字)では「天使よ 頭をしゃんとあげなさい」、そして、問題の6曲目「Hoodoo」では「あんたは疫病神」と別れたダンナのことを……。
 そう、英語に堪能な方は最初からわかっておられたかもしれないが、Hoodooには、ブードゥー教以外に「疫病神」という意味があるのだった。
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 さて、20年余りの時を経て、自分のバカぶりがわかっただけではない。ありがたいことにアリソン・モイエの新作アルバムの情報が入手できた。
 日本語のウィキペディアでは、80年代に人気だったシンセポップデュオ「ヤズー(Yazoo)」のヴォーカル担当としてしか名前があがっていない。
 日本語のブログ類では、ヤズー時代ばかり評価している書き込みが目立つが、初期テクノのチープな音に彼女の本格派ヴォーカルは不似合い。日本人ブログを見ていると、「その違和感がよいのだ」と強弁している人までいる(本国イギリスにもいるのかもしれない)が、「カラオケ店で歌わされてる落ち目のプロ歌手」のような場末感が漂う(初期テクノの音には素人くさい歌い手の方が似合うことは、日本のいわゆるテクノ歌謡をみてもわかる)。
 私が通っていた高校の近くのレコード屋(とっくの昔に閉店)で買ったソロ第1作のアルバム「アルフ」は、まだLPだった。ギタリストのピート・グレニスターと組んだ『Hoodoo』と続く4th『Essex(エセックス)』を愛聴していたのだが(歌詞の意味は気にしないまま)、その後新作が途絶える。CD売り場の「A」の棚には、まぎらわしい「アラニス・モリセット(Alanis Morissette)」ばかりが増えていった。
 某音楽雑誌の新作レビューで5作目『Hometime』(2002年)発売を知ったが、日本盤発売自体がなかった(輸入盤を購入)。続く『Voice』(2004年)はスタンダードナンバーのカバー集だったので、もう実質引退だと思っていたわけだ。情報源として頼っていた先の音楽雑誌自体、2年前に休刊してしまったし。
 ところが、今回記事を書き進める間にアマゾンで検索してみたら、新作アルバム『the minutes』が予約受付中(5月25日発売)。もちろん購入。19年ぶりに発売された日本盤には、彼女の近況などがわかる解説はあったが、歌詞の対訳はなし。Googleの[このページを訳す]機能を使うと、「the minutes」→「議事録」と表示される。……私でもわかる。自動翻訳はまだまだだ。
 youtubeで彼女の最近の姿を拝ませてもらったら、またびっくり。50歳を過ぎて(1961年生まれ)、デビュー以来、最もスリムに! そのふくよかな体型から20代で「肝っ玉母さん風の外見」などと評されていたのが、妖艶なマダムになってらっしゃる(再婚はしていないかもしれないが)。
 エレクトロニック・サウンド、つまりはヤズー時代と同じ打ち込み主体の曲が多いが、今は充分ゴージャスに感じられる音色に進歩しているから、彼女の歌唱によりマッチしている。ボーナストラックとして、アルバム10曲目「all signs of life」の派手なクラブ仕様のリミックスがあったりすればよかったなぁ。

2013年 3月 20日

義仲寺の墓には参ったのか?――映画『シルビアのいる街で』

 まずは記事復活の件。
 2年半ほど前に小社HPの管理を委託している会社のサーバがクラッシュして、その後の復旧作業でももとにもどらなかった記事に含まれていた「たぶん社名の由来となった映画」のテキストが自宅のパソコンから見つかった。
 以前にいくつかパソコンに残っていたものは、改めてアップしていたのだが、ファイル名が社名+拡張子だったので気づかなかったのである。
 小社の創業者・岩根豊秀(1906-1981)は、昭和5年(1930)坂田郡鳥居本村(現彦根市)の自宅物置を改修してアトリエとし、ポスターやチラシの制作をおこなうサンライズスタヂオを立ち上げた。その社名は、湖畔の村で暮らす男が、都会からやってきた女に誘惑され、舟の事故を装って妻を殺そうとするが……という筋のF・W・ムルナウ監督作品『サンライズ』に由来するのではと推測したもの。故人に尋ねる術もないので真偽は不明。
 最初のアップ年月日(2008年12月27日)付けで再アップした。未読の方は、どうぞ。
       ◇       ◇       ◇
 じつは、サーバのクラッシュで先の記事が消えたのと同じ頃、映画『サンライズ』に影響を受けた作品が日本公開された。
 スペインの映画監督ホセ・ルイス・ゲリンの『シルビアのいる街で』(2007年 スペイン・フランス合作)。舞台は、フランスの古都ストラスブール。かつて出会った女性を探しに訪れた画家志望の男の3日間の行動が描かれる。
 この作品が好評を博し、その前後の作品あわせて8作を上映する「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」が昨年から全国巡回中だから、そのオフィシャルサイトをのぞいてもらうのが早いか。
 ムルナウの『サンライズ』が自分にとって重要な作品だと、ゲリン監督自身が語っていて、路面電車に女を追って男が乗り込み、二人の背後の車窓に風景が流れていくシーンは、『サンライズ』へのオマージュだと評される。
 加えて全体が、セリフを極力減らしたサイレント映画的手法で貫かれている。なにせ、本作のクライマックスの一つは、別れぎわの女が主人公に対し、「それ以上、しゃべらないで」という意味で、左手の人差し指を唇にあてる場面だ。その姿は男のスケッチ帳にも描かれて繰り返し映る。
 そして、その後(物語の残り3分の1)、主人公の男は女の呪文にかかったかのように声を発しない。バーでやけ気味に隣の席の女をくどく場面があるが、その声は店内のBGMでかき消されており、声をかけた女自体にもふられる。
 小難しい作品ではない。私が映画好きの友人へお勧め作品としてメールした時の文面は、「主役は、フランス人女性の顔、顔、顔、しぐさ、しぐさ、しぐさ(笑)」だった。
 いま探して読んだネット上のインタビューでも、ゲリン監督自身が、
「(15歳の頃、8ミリカメラを手にして)最初に撮ったのは、当時好きだった女の子たち、恋人たちの映像です。動画を選んだ理由は、スチール写真では彼女たちの美しさが撮りきれなかったから。美しさというのは、内側にあるリズムや呼吸によって醸し出されるもの。それを捉えるためには、時間が必要なのです」(ダカーポ「肖像画を映画で描く作家」)と語っているから、主人公同様、ただただ女性たちの表情や動きを見つめるだけでも見方としては間違っていない。
 さて、「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」の公式サイトにあるゲリン監督からのメッセージには、
「松尾芭蕉や小津安二郎の故郷であるこの国の方たちは、まだまだ未熟で不揃いな私の作品をどのように受け入れてくださるのでしょうか?」
と記されている。
 市販DVDについているリーフレットに掲載されている監督自身の解説には、次のようにある。
 「色々な要素を可能な限りそぎ落とし、最後に残ったもので表現するという私の映画作りの基本は日本の俳句からも影響を受けています。例えば主人公がシルビア(かもしれない女性)を見つける直前のシーン。カフェの彼が座っている席の上で鳩がフンをして彼は席を移動します。そして席を移ったおかげでシルビアを見つけるというあたりは、俳句からヒントを得ています。」
 これは、俳句というより俳諧連歌(連句)のことを言ってるのかな。明治以降、五・七・五の一句を独立した作品として鑑賞するのが普通になったけれど、本来は五・七・五の発句に七・七、さらに五・七・五、さらに七・七……と、複数の作者(一人でやる場合もあり)が前の句を受けて連ねるかたちでつくられた。その際には同一のイメージをつなげるのではなく、ある種の飛躍、変化が要求されたのである。。
 そう、日本文化に造詣が深いゲリン監督は、来日のたび、鎌倉にある小津安二郎の墓参りを繰り返している。最新作にあたる『メカス×ゲリン往復書簡』(2011)は未見だが、先の公式サイトに流れる映像の断片からすると、鎌倉の大仏に続いて映る踏切は、小津の『麦秋』で、主人公(原節子)の祖父が遮断機の下りた踏切の前で物思いにふけるシーンに登場した場所だろうか。
 DVDの特典映像のひとつ、「2010.7.4-5 新潟・出雲崎 良寛を訪ねて」では、手持ちビデオカメラで良寛像やその墓を撮影しているゲリン監督の姿が見られる。日本人からすると、シュールの域。
 欧米のアーティストの日本(東洋)趣味は、知らぬふりをするのが賢明な場合が多い(なお、小津監督の作風については、「サイレント映画」的シーンが強く印象に残るのは確かだが、「日本的」だとは思わない)。
 それは承知だが、「滋賀がらみ」のネタという当ブログの性格上、この方向でしか終われないのである。
 2012年7月3日(火曜日。知っていても勤め人は行けないではないか)には、同志社大学寒梅館クローバーホールで「ホセ・ルイス・ゲリン映画祭」が催され、ゲストとして来日したゲリン監督が約1時間のトークショーをおこなったらしい。
 同志社大学から地図上の直線距離なら10キロに満たない、大津市のJR膳所駅から徒歩10分、義仲寺(ぎちゅうじ)にある芭蕉の墓へ、ゲリン監督は参ったのだろうか? 本日、ネットを検索したところでは不明。

2013年 1月 13日

1930年代を忘れるな――柴山桂太著『静かなる大恐慌』(集英社新書)

 また更新に間があいてしまった。一応、滋賀県がらみの本として、9月に出た柴山桂太著『静かなる大恐慌』(集英社新書)というネタはあったのだ。著者は、彦根市にある滋賀大学経済学部の准教授。
 テキストデータの日付を見ると、去年の10月21日に最初の下書きをしているが、政治がらみの話になるので、会社のサイト内ブログに書くのはどうかと躊躇しているうちに、衆議院選挙が行われることになり、さらに書きづらくなって放置……したが、その後のようすをみると、結局、政策は経済学の流行で動いているだけのようなので、書いてしまうことにする。
 『静かなる大恐慌』は、12月にアマゾンのページを見た日には集英社新書のベストセラーランキングで1位になっていたし、一昨年に出た『グローバル恐慌の真相』(中野剛志氏との共著。集英社新書)も、中野人気も手伝いよく売れていた。                                                                                                               
 柴山本2冊の主張で、私が賛同するのは、「政府は緊縮財政だの貿易立国だの言ってないで、最初の世界恐慌後の1930年代にならってケインズ主義的経済政策で内需の拡大に努めよ」といっている点(全体では「そうそう」が2分の1、「わからない」が4分の1、「それはどうなの」が4分の1ぐらい)。 
 これは本当に勉強しなかったので恥を忍んで書くのだが、私は大学で日本近代史を専攻していた。だから、近代史関係の本は、一般の人よりは読む。それらでなじんできた歴史観だと、1930年代の世界恐慌を経験した自由主義経済の国々=アメリカとイギリスなどのヨーロッパ諸国、そして日本は、その後、社会主義との折衷で自国の経済を維持・発展してきた。なぜか、この感覚が日本では一般化していない。いま検索してみたら、wikipediaでも「混合経済」という項目でちゃんと解説されているではないか。
「1929年から発生した1930年代の世界恐慌後、特に、第二次世界大戦後の資本主義国に広まった政策である。世界恐慌における記録的な民間投資後退が金融システムの疲弊や資産市場の衰退を通じて、著しい景気後退と深刻な社会不安を招いた反省があったからである。
 政府が均衡財政にこだわらず歳出を行なうことで、乗数効果による国民所得維持を図り、民間投資の減少を引き止め、完全雇用の達成と経済成長を図ることが目的である。
 さらに、所得再分配をはかり消費性向低下を抑制することや、社会福祉の充実により社会不安を背景とした過剰貯蓄を回避し個人消費の育成を図るなどの政策も前述の目的に沿っている。さらに、規制などによりあらかじめ産業の需給調整を図り、投資リスクの低下を図る。」
                                                                     
 1929年の世界恐慌後、日本の主要な輸出品だった生糸の価格は暴落、さらに欧米のブロック経済化が進むと、日本は市場を求めてアジアへ進出していくという話は、柴山本ともからむのだが、ここでは置いておいて。
 日本でも世界恐慌とそれに続く昭和農業恐慌の後には、政府が失業者対策のために国道の改良・港湾改修工事や田んぼの耕地整理など、インフラ整備を兼ねた公共事業をそれ以前とは一ケタ違う予算を組んでおこなっている。1932年には、「失業救済事業」から「産業開発(または振興)事業」に名称を変更。内務省の主導で、「農村に『現金をばらまく』ことを主眼(こう当時の計画案にある。不況時には市場に流通するお金を増やすことが大事なのだから、緊縮財政策よりも有効)」に具体化された。家の本棚にあった加藤和利著『戦前日本の失業対策―救済型公共土木事業の史的分析』(日本経済評論社)という本をもとに書いてみた。1998年に出た定価7140円(税込)の本がやっと役に立った。
 ついでに本棚から1999年に出た20世紀を振り返った内容の対談本を読み返してみたら、次のような発言がある。
 「それにしても不思議でならないのは、こうした混乱期[1999年当時]こそある種の社会主義的な経済政策が必要だということを二十世紀の歴史が人類に教えたはずなのに、市場経済という名の弱肉強食が横行していることです。」
 言ったのは、当時の東京大学総長。きわめて常識的な発言である。本人も経済学が専門でもない私がなぜ言わなきゃいけないのかという半ばあきれた感じで言っている。なのに、肝心の経済学者の中では、こう考える人が少数派となっており、そのまま10年余り。
 先の発言にある「ある種の社会主義的な経済政策」とは、柴山本でも唱えられている「ケインズ主義的な経済政策」のことで、昨年12月の選挙で大勝した某党が打ち出している「政府による積極的な金融介入と公共投資」のことなわけである。おわかりだろうか。本来の公共事業は、「某党十八番の無駄使い」なんかではなく、「不況時に雇用を創出する社会主義的政策」だということ。公共投資(事業)が継続されるうちに、日本でもアメリカでも政治家の選挙対策と化し、不当なレッテルを貼られてしまった。
                                                                     
 イギリスの経済学者、ケインズの再評価は、リーマンショック以降、アメリカの経済学者ポール・クルーグマンらを中心に欧米では主流になりつつあるのに、日本の新聞・テレビでは一向に浸透していない。
 各党の政策を云々しているマスコミの記者もわかっていないらしい。昨年12月30日付の日本経済新聞・読書欄では「エコノミストが選ぶ経済図書ベスト10」として、「危機突破導く力作ずらり ケインズ的発想再評価」という見出しのもと、2位にポール・クルーグマン著『さっさと不況を終わらせろ』(早川書房) [何度も笑わせてもらえる] 、9位にニコラス・ワプショップ著『ケインズかハイエクか』(新潮社) [ケインズの人となり(個人崇拝につながるのは警戒すべきだし、主張と人格は切り離して考えるべきだけれど、ケインズの言動って魅力的)とともに、欧米の経済政策の背景がコンパクトにまとめられている] が並んだ。
 エコノミストは、さすがに流れが変わったなとわかっている。某党の政策もそれに合わせた。
 なのに、同日同紙1面のコラム「春秋」には、「新政権は10兆円規模の補正予算案の編成に躍起だが、無駄な公共事業のバラマキにつながる気配が拭いがたく漂う。それ橋だトンネルだハコモノだ、と大盤振る舞いするなら財政のタガは一気に緩むだろう。こうして借金を膨らませてきた過去をお忘れか」と書かれている始末。
 思い出すべき過去は、1930年代なのに。

2012年 8月 26日

加えたくなるエピソード――細田守監督『おおかみこどもの雨と雪』

 予想できなかったわけではない。
 昨年11月に出た『シネアスト相米慎二』(キネマ旬報社)に掲載されたインタビュー記事で脚本家の奥寺佐渡子は、「ふと思い出して細田守監督らと一緒に『雪の断章』[相米慎二監督、1985年]を見返しました。今でもちゃんと理解できているわけではありません。でも同世代的な記憶も手伝って『全然意味がわからない!』などと言いながら、大いに盛り上がりました」と述べているし。
 この夏公開された細田守監督、奥寺佐渡子・細田守脚本の映画『おおかみこどもの雨と雪』のことである。
 奥寺は1966年、細田は1967年、私は1968年(3月生まれだから、細田監督と学年同じ)生れの同世代。以前の当ブログ(ギリギリセーフの長浜東映)に書いた、一般映画を上映していた長浜協映で私も『雪の断章』を観ている。
 なので、以下のような具合に相米監督作品を思い浮かべる結果となった。
 年をまたがる長さの時間経過を納めたワンシーンは、『雪の断章』の冒頭や『お引越し』(1993年、奥寺の脚本家デビュー作でもある)のラスト、台風襲来で人影のなくなった学校に居残った思春期の男女は『台風クラブ』(1985年)、クライマックスで主人公が森の中をさまよった末、広々とした場所で家族に別れを告げる展開は『お引越し』。
 ちなみに、『お引越し』で主人公の小学6年生レンコ(田畑智子)がさまよった森は、大津市の日吉大社裏、腰まで水に浸かりながらかつての家族(離婚前の両親)の姿を幻視するのは琵琶湖。ロケ地の多くが滋賀県だったことについては、吉田馨著『別冊淡海文庫11 銀幕の湖国』(弊社刊)を参照[ただし品切]。
 以上、同世代の観客として(滋賀県ネタも含むので)書いておくが、じつは細田監督自身もあちこちのインタビューなどで相米映画について語っており、同作の感想レビューなどでも書かれているようなので、目新しい指摘ではない。
 問題は、『おおかみこども・・・』のアニメとしては異例の長回しシーンが、相米映画の特徴とされる長回しのような効果をあげていないことだ。
 ワンシーンそれぞれが長めのシンプルな物語にするために、わざとエピソードや登場人物を刈り込んだんだなぁというのはわかる。わかるが、それが「ものたりなさ」につながってしまっている。
 とりあえず、登場人物とあらすじ――東京の大学に通う主人公の花が大学構内で出会い、恋に落ちた彼は「おおかみおとこ」だった。二人はいっしょに暮らし始め、娘の雪、息子の雨をあいつぎ授かるが、彼は突然死んでしまう。残された花は東京を離れ、彼の持ち物だった1枚の風景写真を手がかりに人里はなれた山奥の廃屋とわずかな畑地を買い取って、二人の「おおかみこども」と暮らし始める。
 大筋の展開や結末に不満があるわけではない。単純にあといくつかのエピソードをつけ加えたくなるのだ。
 教室の窓際で、雪が同級生男子の草平に自分の正体を明かすシーンは私好み(理由などは脇道にそれるので省略)なのだが、雪が「おおかみ」であることのプラスの面を示すエピソードもほしい。ヴァンパイアと少年の出会いを描いた『ぼくのエリ』(トーマス・アルフレッドソン監督、2008年)のラストみたいな惨劇は似つかわしくないにしても、例えば台風の土砂崩れで行方不明になった草平を持ち前の嗅覚で瓦礫の中から救い出すぐらいの経験をしないと、雪は自身の能力と折り合いがつけられないだろう。
 それから、物語中盤で母親の花が始めた野菜を自給するための畑が害獣の被害を受けないことを不思議がる近所の人の台詞があった。ここなども畑の風景カットにかぶる台詞に終わらせず、おおかみこどもがいるから草食獣がよりつかないことを直接的に示すエピソードにすればよかったのに。
  おおかみ姿の雪と雨がニホンジカを捕らえてくる。
  花が世話になっている近所の人たちに料理をふるまう。
  花の畑に被害がないことを不思議がる老人Aの台詞。
  老人Aが料理をほおばりながら、「ところで、この肉は何の肉だい?」
  顔を見合わせて、にんまりする花と雪と雨。
 こんなシーンがあれば、シカ肉映画の一本に加えることができたのに!(前々回の当ブログ「シカ喰う人々」参照)
 と書くと冗談みたいになるが、ほんと畑仕事ばかりだと「ベジタリアンのおおかみ」みたいなんだもの。
 あっ、どうせならニホンジカではなく、カモシカでいってみようか。
  おおかみ姿の雪と雨がカモシカを捕らえてくる。
  さすがに天然記念物だと知っている花は青ざめる。
  けれど、肉は無駄にすることなくさばいて・・・以下同じ(にんまり時の花は冷や汗をたらす)。
 おお、世界で唯一のカモシカ肉映画の誕生!
 いや、これは二次創作向きだな。

2012年 7月 20日

国貞の虜――小沼勝監督『生贄夫人』

 7月8日(日)付「読売新聞」の書評欄に、作家の朝吹真理子が書いている。
 「最近、人に会うとロマンポルノの話ばかりしている。先日、ロマンポルノがまとめて上映されるときいて渋谷まで出かけた。きっかけは、緊縛された女優のカバー写真の美しさに惹かれて本書を手に取ったからで、映画館に足を運ぶときは、その女優が谷ナオミであることも知らなかった。てっきり男性、ことにおじさんが多いのだろうと思えば、性別も年齢もばらばら。既に満席で、私は立ち見でみた。開演ぎりぎりになって入ってきたのは大学生ぐらいの女の子だった。」
 「まとめて上映され」ていたというのは、5月12日から渋谷のユーロスペースで始まっていた日活創立100周年記念特別企画「生きつづけるロマンポルノ」のことで、1972年から85年までに製作された32作品が上映された。
 「本書」とあるのは、書評されている映画監督・小沼勝の著書『わが人生 わが日活ロマンポルノ』(国書刊行会)のことである。「『花と蛇』演出中の著者(左は、谷ナオミ)」とキャプションのついた写真がそえられている。
 普通は、紹介された本のカバー、いわゆる書影がそえられるのに、本文中の写真に差し替えられているのはなぜかといえば、本書のカバーが両胸もあらわな姿で縛られた両手を高くかかげている谷ナオミの写真だから新聞紙面には使えなかったのだ。
 と、すぐに私がわかったかのはなぜかといえば、その本が手元にあったからである。
 作品数は減らした形だが、6月23日から名古屋の名鉄ピカデリーで「生きつづけるロマンポルノ」の上映が始まり、私は7月1日(日)(行ける日はこの日しかなかったので)に神代辰巳監督『赫い髪の女』と武田一成監督『おんなの細道 濡れた海峡』を観てきた。本書は映画館の売店で売っていた(もちろん一般書店でも入手可)。
 先の書評中で劇場の盛況ぶりが書かれている小沼勝監督作品『生贄夫人』(『花と蛇』は、上映ラインナップに含まれていない)も行きたかったのだが、平日の6月29日(金)夜の上映だったので、私はネットでDVD(今度の公開にあわせて発売されたニュープリントの廉価版)を購入した(交通費を含めると、こちらの方が安いし)。
 というわけで、3本のうちでもとくに楽しめた『生贄夫人』について書きたいのだが、滋賀県関係の話題について書くという「縛り」を設けてきたつもりなので、遠回りながら、この作品の成り立ちに深く関わっている滋賀生まれで、昨年世を去った官能小説家のことにふれておく。
 団鬼六(本名黒岩幸彦)は、昭和6年(1931)に滋賀県彦根市で生まれた。祖母と義理の祖父(宮崎辰雄)は、同市土橋町(現、銀座町)で金城館という映画館を経営していた。
 弊社サイトにある情報誌Duet104号「ノムラ文具店の120年」のインタビュー記事を下へスクロールしてもらうと、「マルビシ百貨店のこと」という見出しの下に「昭和10年頃の彦根繁華街」という地図がある。小さすぎて見づらいと思うが、左の方の縦に走る道に「土橋町」とある。その「土」の字の左にある「いさみや」、「菓子店」、無記名の建物の区画の、細い縦の道をはさんだ向かいに端っこだけ見えている建物、これが「金城館」である(原図とした『新修彦根市史 景観編』掲載の復元マップは一回り範囲が広いので、切れずに描かれている)。
 ここでインタビューしているノムラ文具店3代目と団鬼六は、ほぼ同世代(団が2歳年下)。戦前彦根の思い出が綴られた自伝的小説『湖国の春』には、野村文具店(当時の店名は漢字)の店主(2代目)にかわいがってもらったことも記されている。
 「マルビシ百貨店とこの映画館の中に入り浸って」過ぎていった小学校時代を回想するうち、団は小学校2、3年生頃、「不思議な性衝動が生じたのを自覚」したことに思い至る。時代劇映画において悪漢に拉致された武家女や小町娘の姿に興奮したことは確かで、「私の書くSMエロチズムの源泉は金城館のチャンバラ映画からきたものと思われる」。
 つまり、現在は駐車場になっている金城館跡(観光客向けに大正時代風の町並みに改修された商業施設、四番町スクエアの東端あたり)は、“日本SM胚胎の地”なのだ。
 彦根で芽吹いた彼の資質は、1960年代、神奈川県内の中学で英語教師をしながら執筆した小説『花と蛇』で開花、自らSM雑誌や写真集の発行、ピンク映画(これは日活ロマンポルノとは別物。谷ナオミはもともとこっちで女優として活躍しており、団とも懇意だった)の製作なども手がけるようになる。
 昭和49年(1974)、日活でも団鬼六のSM小説『花と蛇』を映画化することになり、小沼勝が監督に起用される(監督作としては11作目)。この作品の宣伝用写真が『わが人生・・・』のカバー写真に使われているもので、同書には交渉の席での団の芝居がかった(サービス精神旺盛というべきか)応対についても記されている。
 団の承諾を得て、同作の製作はスタートしたが、SMを解さない(と、本の中でも公言している)小沼監督と脚本家の手によって作品はコメディ仕立てのものとなった。観客には大受けで映画はヒットしたが、団鬼六には不評。「試写会の後、食堂で皆でコーヒーを飲んだ時、団さんの手はガチガチ音をたてる位、怒りで震えていた」といい、「その後団鬼六と田中陽造(脚本家)との対立は雑誌の誌上論争にまで」発展する。
 その汚名返上の意味で、ハードなオリジナルSM作として製作されたのが、『生贄夫人』である。団も今作は絶賛し、以後、日活への原作提供を再び承諾。その名を冠した作品が人気シリーズとなっていった。
 ようやく、ここから本題の映画『生贄夫人』について。
 7月28日から大阪のテアトル梅田、8月25日(?)から京都みなみ会館でも、「生きつづけるロマンポルノ」の上映が決まっているそう。ネタばれが嫌な方は、以下ご遠慮ください。
 猥褻事件を起こして姿をくらましていた元高校教師・国貞(坂本長利)が再び妻・秋子(谷ナオミ)の前に現れ、彼女を山の中の廃屋へと連れ去る。墓場の石段での拘束シーンが最初の見どころ。国貞の秋子に対する話し方はつねに丁寧で穏やか、暴力的になることはほぼない。
 廃屋では、×××シーンや×××シーン、×××シーンもあるが、私が笑うと同時に感心したのは以下の場面。
 秋子を監禁したまま、国貞はかつて知ったる彼女の家(国貞は婿養子だった)へと向かう。
 「ごめん」と声をかけ、すたすた廊下を歩いて桐箪笥の置かれた部屋へ。
 取り出した着物を畳の上に広げて物色していると、秋子が使っていた鏡台が目にとまる。
 かけられている布をめくって、鏡に顔を映す国貞(前日、逃げようとする秋子にカミソリで切りつけられたので、額には絆創膏)。
 鏡の中の国貞の顔が右に動いて、口元に笑みが浮かぶ。「やあ」と国貞。
 カットが変わって、国貞を見つけて立ちすくむ年かさの女中の姿。
 女中「旦那さま」
 国貞「しばらくだねぇ」
 女中「はぁ、はい・・・」
 秋子の家でのシーンはここでプツンと終わり、次に映し出された国貞は、風呂敷包みを手に機嫌よく山道を登っている。
 そして、次の次のカットぐらいでは、白無垢の花嫁衣裳を着て角隠しまでかぶった姿で縛られ、廃屋の天井から吊るされている秋子が映る。
 たいへん手際がよい。
 リアルタイムでロマンポルノを観ていた写真家でエッセイストの武田花(1951年生まれ)は、10年ほど前に出た『小沼勝の華麗なる映像世界』(キネマ旬報社)に寄せた文章で、「この監督の映画の良さは、しつこくないところ。(中略)何をやってもケロッとしている」と書いている。
 「難病物が大嫌いだった」「過去のトラウマや持病に苦しむハナシなんて、全く興味もないし、病気で苦しむ演技など見たくもないからである」と書く監督の手にかかると、逃亡中の国貞に誘拐されていた幼女にしても悲惨なだけの存在にならない。変態とそれ以外の違いを利用して、尾行する刑事2人を手玉にとるぐらいのことは軽々とやってしまう。
 「生きつづける・・・」の上映リストにある、もう1本の小沼作品『さすらいの恋人―眩暈(めまい)―』もDVDを買って観た。
 仲間と貯めていた金を持ち逃げ(競馬ですってしまう)して、追われる身となった大学生の男が、偶然知り合ったスーパー店員の女とともに、稼ぎのよい仕事として他人に性行為を見せる「白黒ショー」を生業とするようになる。
 あらすじを書くと、暗くて救いのない話だ。実際そうなのだが、2人が引っ越し先のアパートで新生活を築いていく過程が、中島みゆきの曲にのせて、セリフなしのミュージックビデオ風に編集されており、これが何とも明るい。パジャマ姿で白黒ショー用にアクロバティックな体位の練習をしているらしい2人が映る。苦しい姿勢を強いられた彼女が起き上がって、反撃に出ると彼にプロレス技をかけているみたいになる。
 全体では、主役男女それぞれの葛藤も描かれ、脚本を尊重して悲恋として終わるのだが、私としては、わずか数秒のカットの楽しそうにじゃれあっている2人の姿が忘れがたく、監督の本領のように思える。
 『生贄夫人』でも、谷ナオミがよいのは、着物姿に後ろ手で縄をかけられた秋子が、散歩に連れ出される子犬のような笑みを浮かべて、率先して吊り橋の上を駆けていく一瞬のカットだった。
 あと、エンドロールに続いて、「終」の字とともに映し出されるカットは、例えばタランティーノあたりが観ていればきっとマネしただろうセンスなので、早めに席を立ったりはしないように。

2012年 6月 3日

シカ喰う人々――阪本順治監督『大鹿村騒動記』ほか

 
 「ディア・イーターって、なんだ?」
と幼なじみのオサムちゃん(岸部一徳)に尋ねられて、主人公のゼンちゃん(原田芳雄)が答える。
 「『シカ喰う人々』だよ。んな、英語もわかんねえのかよ」
 「ディア・イーター」というのは、ゼンちゃんが営むシカ肉料理屋の名前。大きな文字でそう書かれた看板が店頭に掲げてある。
 「シカ牧場、どうしちゃったんだよ」とオサムちゃん。
 「よく言うな。おりゃ、3人でやりたかったんだよ」
 18年前、オサムちゃんは、ゼンちゃんの妻タカコ(大楠道代)を連れて村から消えた。再び目の前に現れた2人を仕方なく店に泊めることになる。タカコが寝た後、酒を酌み交わす初老の男2人。互いを「ちゃんづけ」で呼び合う会話が始まる。
 
 確認用に、もう一度DVDをレンタルして、自分の記憶の誤りに気づいた。
 ゼンちゃんの「『シカ喰う人々』だよ」のセリフは、このシーンより前、アルバイト募集の広告を見て訪ねてきた若者に聞かれて、答えたものだと思い込んでいた。看板自体は、その時点で映っていたせいもある。ついでに、「昔、『ディア・ハンター』って映画があっただろ。って、若い奴は知らねえか」と、ゼンちゃんが呑み込んだ言葉まで原田芳雄口調で創作していた。
 
 店でつまみに出されたシカ肉ジャーキーが歯のすき間にはさまってオサムちゃんは難儀し、昼食に店のシカ肉カレーを食べている最中に、タカコは認知症の一種で物の名前すら思い出せなくなっていることがわかる。
 実際にシカ肉を特産品化している長野県下伊那郡大鹿村ですべてのシーンが撮影された映画『大鹿村騒動記』(阪本順治監督、2011年)は、老年にさしかかった男二人と女一人の三角関係を描いた喜劇。
 
 自分のいい加減な記憶力を棚に上げて、たまたま気づいたので指摘しておくと、wikipediaの「大鹿村騒動記」の項にある「あらすじ」には、「3人でディアイーターの営業を始めようとした矢先、治と貴子は東京へ駆け落ちしたのであった」(2012年6月1日現在)とあるが、上記の2人のやり取りからもわかるように誤り(店名にナカグロがないのも誤り)。
 3人で始めようとしていたのは、「(食用にシカを飼う)シカ牧場」であり、ゼンちゃんが北海道のエゾジカ牧場へ研修に行っていた時に向こうに女をつくったと、オサムちゃんはタカコを言いくるめたのだと語られる。
 
 さて、登場する店の名から連想される『ディア・ハンター』(マイケル・チミノ監督、1978年)も、主人公たちがベトナム戦争で捕虜となって強要されるロシアンルーレットの場面が有名すぎて「戦争映画」にジャンル分けされがちだが、オーディオ・コメンタリー収録のDVDでチミノ監督が「ベトナムのシーンは20分ほどしかないのに・・・」とぼやいているように、普通に見たら田舎町の男二人と女一人の三角関係がメインの「青春ドラマ」である。
 舞台はアメリカの山間地にあるロシア系移民で形成された小さな町。製鉄工場の同僚、マイケル(ロバート・デ・ニーロ)とニック(クリストファー・ウォーケン)は親友なのだが、ニックの恋人リンダ(メリル・ストリープ)にマイケルは横恋慕している。同僚のスティーブンの結婚式披露宴(ベトナムへ赴く3人の壮行会も兼ねている)で、友人らが踊るダンスの輪にもマイケルは加わらず、一人離れた位置からグラス片手にリンダを見つめる。翌日、男たちは車に乗り込みシカ狩りへと向かう。
 
 はい、次の映画。
 17歳の少女リー(ジェニファー・ローレンス)の家へ保安官が訪ねてくる。
 隣家の夫婦は、軒下につるしたシカをナイフでさばいている。
 家は父親の保釈金の担保になっているから、裁判に彼が現れなければ土地を手放してもらうことになると保安官に告げられ、リーの父親探しが始まる。
 その晩、隣家の妻が箱に入れたシカ肉とジャガイモを持ってきてくれる。
 礼を言ったリーが振り返り、「シカのシチューでいい?」と尋ねると、彼女が養っている幼い弟と妹がうなずく。
 リーも自ら猟銃で野生動物を狩る。シーンとしてあるのは、弟と妹に猟銃の使い方を教える場面で、仕留めたリスの皮はぎを弟に手伝わせる。
 昨年日本で公開されたアメリカ映画『ウィンターズ・ボーン』(デブラ・グラニク監督、2010年)は、西部劇ではない。舞台は現代のアメリカ。ミズーリ州南部オザーク山脈にあるその村は畜産を産業としているが、貧しい家庭は食料も燃料(リーは薪割りが日課)もほぼ自給自足の状態にある。
 バックミラーにシカの角をぶらさげた車に乗っている、リーの伯父ティアドロップ(ジョン・ホークス)は、彼女たちに子供の玩具として作ったものとわかる木彫りのシカを見せながら、「弟は手先が器用だった」と語る。
 
 少し前になるが、『イントゥ・ザ・ワイルド』(ショーン・ペン監督、2007年)もあった。
 一流大学を優秀な成績で卒業しながら、金を必要としない世界で生きることに決めた主人公クリス(エミール・ハーシュ)は、アラスカの原野へと赴く。ライフルで仕留めたヘラジカは大きすぎて一人では手早くさばくことができず、燻(いぶ)して保存食にしようとする途中でウジがわいてしまう。廃棄せざるをえず、クリスは「ヘラジカなんか撃たなければよかった」と手帳に書き記す。
 
 弊社サイトにもアップしてある情報誌「Duet」の最新号(106号)は、特集「シカ肉を食べる」。担当に同行して取材先の一つにうかがうと、長野県大鹿村の観光協会が販売しているシカ肉入りレトルトカレー(正式名は「大鹿村ジビエカリー」)があった。
 ので、そこから思いつくままあげてきたシカ肉映画。
 とりあえずまとめてみよう。
 
1)趣味としてシカを狩る映画『ディア・ハンター』・・・・・・仕留めたシカを車のボンネットに載せて山から下りてくるシーンがあるが、シカ肉を食べたのかは不明。
 
2)シカを狩って食べようとするが食べられなかった映画『イントゥ・ザ・ワイルド』・・・・・・主人公は肉の処理の仕方を事前に調べてきていたが、ヘラジカは一人では無理。オオカミとハクトウワシのエサに。
 
3)シカを狩って家族で食べ、隣近所でも互いに分け合う映画『ウィンターズ・ボーン』・・・・・・ちゃんと血抜き処理した後で解体や皮はぎをしているので、スプラッターが苦手な私でも大丈夫。
 
4)シカ肉料理を観光客に提供する映画『大鹿村騒動記』・・・・・・主人公は新メニューとして「馬鹿鍋」を考案する。
 
 おお、製作年順に並べてみると、シカ肉の扱いが進歩しているよう(にたまたま見える)ではないか。
 そうなると次のシカ肉映画は、
5)シカ肉はどこでも普通に食べることができ、いちいちシカ肉だと示されない映画
 私たちは新作映画に肉料理が出てくるたびに、「あれはシカ肉かも・・・」と目を凝らすしかない。

2012年 3月 14日

反魂の法―金井美恵子著『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』

 例によって「滋賀県」がらみの本。1月末に出た金井美恵子の長編小説『ピース・オブ・ケーキとトゥワイス・トールド・テールズ』(新潮社)をいってみよう。
 21篇のそれぞれタイトルをもつ連作短編から成っているのだが、全体を通したあらすじをいうのが難しい。
 昭和20年代後半、突然父が失踪し、母と小学校へあがる前の「私」は、海に面した城下町のはずれで洋裁店を営む伯母・祖母の家に引っ越して暮らすようになる。
 その後(たぶん昭和50年代)、小説家になった「私」の元に、父と暮らしていた女から彼の死を知らせる手紙が届く。この手紙と父を奪った女に関する記憶が、「私」自身が逢い引きを重ねていた人妻との日々と別れ際に彼女が残した手紙の記憶と交錯する。両者の接点となる「私」の小説集に収められている一篇を、「私」は再読し……。
 1回読んだだけでは上記のあらすじが把握できないぐらい、母・伯母・祖母が語る、伯母のロマンス(その後、独身のまま他界)、近所の噂話、読んだ小説や観た映画などの物語と断片的な場面の描写が無数に差しはさまれており、ひと言でいえば「古今東西メロドラマづくし」。
                                                     
 挿入されるメロドラマの一つが、祖母が幼い「私」に語り聞かせた近松門左衛門の浄瑠璃作品「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」
 同じく近松の浄瑠璃「大経師昔暦(だいきょうじむかしごよみ)」を下敷きにした映画『近松物語』〔監督:溝口健二。小説の中では出てこないが、入水するために、堅田の浮御堂のそばから漕ぎ出した小舟の上で、おさん(香川京子)がタスキで両足を縛ってもらっている最中に「とうから、あなたをお慕い申しておりました」と茂兵衛(長谷川一夫)に告白され、「お前の今のひと言で死ねんようになった」と心変わりする琵琶湖が舞台の名シーンがある〕を見にいき、不義密通のかどで捕えられた茂兵衛とおさんが人だかりの中を刑場へ向かうラストシーンでは、母・伯母とともにむせび泣いた祖母だったが、「こっちの話し(『傾城反魂香』)のほうが有名ではないけれどケレンがあって面白い」という感想をもらす。
                                                     
 主人公は実在の絵師、狩野四郎二郎元信。彼がやはり著名な絵師である土佐将監光信(『石山寺縁起絵巻』第四巻の作者)の女婿になったという伝承に、近江国六角家の御家騒動、大津絵師・又平の出世話などを加えて仕立てた時代物。大津絵を全国的に有名にした作品として、弊社の『大津絵こう話』(片桐修三編著)でもかなりページを割いて紹介されている。
 題名にある「傾城(けいせい)」とは遊女の別名で、天皇の怒りを買って閑居の身となった父・土佐光信のために遊女となった娘・遠山をさす。六角頼賢の命を受けて越前の名松を描きにきていた狩野元信と出会った遠山は、昨晩の天神のお告げにより元信に秘伝の筆法を教え、結婚の約束を交わす。
「反魂香(はんごんこう)」とは、死者の魂をこの世に呼びかえす香。漢の武帝が愛妃李夫人を失い、反魂香を焚くとその面影が現れたという故事にちなむ。
 遠山(のちに「みや」と改名)は、狩野元信との婚儀が整っていた六角家の姫・銀杏(いちょう)の前の許しを得て、つかの間夫婦として過ごすが、じつは急な病ですでに亡くなっており、反魂香の力で元信らの前に姿を現していたことがわかる……というのが、題名を説明するために思い切り端折ったストーリー。
                                                     
 祖母は子供向けの「猛虎現ずるの段」しか語らなかったので、ずっと続きが気になっていた「私」は、「古い本棚から近松の浄瑠璃集を取り出し」、そのページを開く。
 茶の間に寝そべって読んでいたその本を私が閉じると、母が、「食器棚によりかかって煙草を吸い、襖の開いている隣の部屋の仏壇の前の白い布の掛けられたお骨を置いた台の上でまたたいている二本のローソクの燃える匂いと伽羅香の入った線香の匂いが混りあい、薄暗い部屋の中に細い煙がゆっくりとうず巻く曲線をもやのようにくずしながら移動」する光景(祖母の葬儀の後)の中で、「あたしが死んだら、本当にあんた一人きりになっちゃうねぇ」とつぶやいた(のを「私」は思い出す)。
                                                     
 ここを読むと、『傾城反魂香』という作品は、まったくオカルト的ではない意味で、「反魂」としての「書くこと」という、この連作を貫く主題の一つから選択されたものだとわかる。反魂で現れた死者には必ず「常ならざるところがある」のは、正確な再現ではけっしてない人の記憶と言葉による記述にもあてはまることだ。
 ……というふうにもまとめられるが、こういう深刻ぶった感慨だけを読み取ればいいという小説でもない。
                                                     
 『傾城反魂香』で、狩野元信をめぐる遠山の恋のライバルにあたる六角家の姫・銀杏(いちょう)の前は、初登場シーンから腰元の一人に扮して元信をまんまと騙す。物語のラストでも、そのキャラクターを遺憾なく発揮。「かもじ入れずの二ツ櫛、鴨の羽なりの蓮葉袖」の遊女姿で皆の前に現れ、「なう父様母様今帰ったわいな」とあいさつ。土佐光信夫婦の娘・遠山として狩野元信に嫁入りするという離れ業を演じる。めでたしめでたし。まさかのハッピーエンド。
                                                     
 死んじまったものは仕方ない。素知らぬ顔で誰かが代わりを務めてしまえばよい。
 こっちの「よみがえり方」のほうが、金井美恵子的だもの。
                                                     
 なんにしても、知恵と人情とエロと経済力(持参金は「田上郡七百町」の領地。現在の大津市南部)を兼ね備えた銀杏の前。無敵。
 ただし、「近江の国の大名六角左京太夫頼賢(よりかた)」の「高島の館」に住まう姫という設定で、父「頼賢」からして、六角義賢と高島(朽木)頼綱を合成したのであろう、架空の人物。他でその姿を拝めないのが惜しい。

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