2012年 1月 6日

お城本を2本、シリーズにしてくださったお二人

新年おめでとうございます。 
 
    
  
さて、タイトルを見れば「ハハーン」とおわかりの方は、もうお城大好き人。 
そうです。このお二人は中井均・加藤理文両先生。  
    

 
元々、中井先生は『近江の城』を書いていただいた後、国指定史跡になった城跡のことを報告書で終わるのではなく、広く一般読者にも気軽に購入できる本にということで、敏満寺城、上平寺城、鎌刃城の出版を続けてきたとき、「滋賀県の山城の本を作りたいなぁ」とつぶやかれて、
「ホナ、作りましょ」ということで出来たのが『近江の山城ベスト50を歩く』でした。 
    
   

  
で、その本ができるかできないかのとき、また「ポケットサイズの彦根城の案内本を作りたい」とつぶやかれて、出来たのが『彦根城を極める』でした。ちょうど、彦根城築城400年祭が始まる1カ月前に発刊しました。  
    

  
その2年後、『信長の城・秀吉の城』で原稿を書いていただいた加藤先生が愛知県で講演をされることを聞き、本の販売に行ったとき、「静岡の山城なら50城まとめられるよ」とつぶやかれ、「ワア、是非お願いします」ということで、『静岡の山城ベスト50を歩く』がシリーズ化したのでした。    
    

  
そして、極めるシリーズは、彦根城の増刷をどうしようかと思案していたとき、「シリーズにするなら、やっぱり大坂城や」と中井先生。「僕はまず、熊本城」と加藤先生。ということで、彦根城から4年後、めでたく『熊本城を極める』、『大坂城を極める』がシリーズ本となりました。   
    

 
近江の城ばかり扱っていたとき、初めて静岡の城本を作るにあたり、東京ブックフェアで中井先生にご講演いただきましたが、今回は強力お城コンビによるトークセッション第1弾を谷島屋書店浜松本店で開催します。   
    

   
また第2弾は2月にジュンク堂大阪店で開催します。お近くの方は是非ご来場の程を!!

2011年 12月 31日

おせんのこの一年

平成23年も余すところ本日1日。 
いつもならば、仕事の片付けや掃除に追われているところですが、
今年は結構のんびり……、ということは、仕事が少ないことなのか(トホホ)。 
 

    

   
さて、今年一年私が関わった本の総括です。
お城本5冊に加え、全部で9冊の本に携わりました。  
 

 

    
1   『無辜の人たち―被差別の蒼氓から』
内容はとても重いのですが、著者・山村先生の力量で
それを読者にじわーっと伝えてくれる一冊です。  
 

 
 
  
2    『宿場町つちやま―つちやま宿を歴史する』
長年ボランティアガイドとして活躍されている
著者が、土山の歴史や句碑、歌碑を解説。
歩きながら読めるように地図も収録。   
 

 
  

3    『彦根城の諸研究―海津榮太郎著作集』
故・海津氏の論考を長年交流のあった森山氏を中心に
再編したもの。城郭研究の草分けとして原典にあたり、
研究を続けた姿勢が伝わる本です。  
  

 
  

4   『戦国時代の静岡の山城』
2010年に開催された静岡のシンポジウムの内容を新たに
書き起こし、新たな調査結果により、城の変遷を論じています。  
  

 
  

5   『静岡の城―研究成果が解き明かす城の県史』  
静岡の城に関する4冊目の本。静岡は城取り合戦のメッカ、
様々なお城の構造、変遷がわかる必読書。1月8日は
浜松でトークセッション開催。  
  

 
  
 
  
6   『熊本城を極める』
7  『大坂城を極める』  
  
2007年に発刊した『彦根城を極める』をシリーズ化しました。
中井均・加藤理文の両氏で全8冊を書いていただきます。
本を片手に極めていただけるよう2月には大阪でトークセッション
開催します。  
  

 
  
  
8   『彦根ことば―翻刻版』
昭和27年に発刊された彦根・湖東地域の方言集の翻刻。
全部で約4000語、今はほとんど聞くことのない方言も
収録されています。 
  

 
  

9    『彦根ことばとその周辺』
中国語の翻訳をしている著者が、郷里の方言を共通語に
置き換えればという視点からまとめた一冊。ことばの背景と
共通語の置き換えを紹介しています。  
  

 
   

以上、来年も何卒よろしくお願い申し上げます。

2011年 11月 15日

「大阪城」と「大坂城」、そして旧大阪市立博物館の話

当初の予定から約1カ月遅れで11月末日に『大坂城を極める』を刊行できることとなりました。長らくお待ちいただいた皆様には大変ご迷惑をおかけいたしましたことお詫び申し上げます。 
 
さてタイトルのように、秀吉と家康が建立した城は「大坂城」で、現在のお城は「大阪城」ということは、私も仕事をするうちに知ったことなのですが、本日は「大阪城」のお話です。 
  
今年は「復興大阪城天守閣80周年」というわけで、今私たちが見ている大阪城は昭和6年に大阪市民の寄付によって建てられた天守閣です。昭和3年に議会で決議されるや否や約半年で目標額が集まり、大阪城天守閣と陸軍第4師団司令部庁舎が昭和6年に建てられたのです。 
  
本日11月15日から20日まで、大阪城天守閣の横にある、旧陸軍第4師団司令部庁舎・旧大阪市立博物館が特別公開されています。もうすぐ発刊する『大坂城を極める』にも書かれていますが、実は復興大阪城よりも旧陸軍第4司令部庁舎のほうが、建築費が高かったそうです。私は一度もこの建物の中に入ったことがないのですが、朝日新聞で見る限り、天井やシャンデリア、とてもおしゃれです。恐らく取り壊すなどせずに、有効活用されると思うのですが、入場無料、お時間のある方は是非見学にいかれることをおすすめします。 
 
今NHKの朝ドラ「カーネーション」でコシノアヤコさんがセッセと修業しておられる時って丁度この頃なんですね。本当に昭和の初めから12年頃までの日本は、都会も田舎もめまぐるしく生活様式が変わった時代だったのです。

2011年 10月 9日

アケビ見~つけた!!

近くの湧き井へクレソン摘みに行った後、ムカゴ採りに自転車で出かけたのだが、
昨年ムカゴを採ったところで、アケビを見つけた。
数年前、ここで一度アケビを見たことがあったのだが、昨年は出かけた時期が
晩かったのかお目にかからなかった。
  

  
パックリと実が割れていて、もう「早く食べてね」と言っているかのよう。
1個だけ、ツルを引っ張ってようやく採って食べたのだが、
もっと高いところには鈴なりになっている。
これは、脚立に登らないと、とても採れない。
すぐさま家に戻り、車に脚立を積み、剪定鋏を持って、再びアケビの発見地へ!!
お向かいさんには「脚立から落ちんように気をつけいやー」と言われていたから、
そこは慎重に、イバラをかき分け、足場を固めて、「食べてね」と言ってる
アケビさんだけ採ってあげた。
なんせこの辺はサルがしょっちゅう出没しているので、
「サルに盗られぬうちに、私がいただくのだ」という具合。
  
 
 
さあ、アケビはこれくらいにして、ムカゴを採ろうと探したのだが、実はあたり一面の木々にはアケビのツルが巻きついていて、脚立なしでも充分採れるところにもアケビが成っていた。
なあんだ、わざわざ帰らなくても採れたんだ。 
収穫物はご近所さんと、中山道を歩いておられた旅人の御夫妻にもおすそ分け。
   

さて、アケビは実だけでなく皮も食べられると聞いていたので、早速調べてみた。
フライパンで味噌炒め、ひき肉やキノコを詰めて焼いたり、揚げ物にする、アケビ酒にする……。 
ウーンいろいろあるのね。お店で買うと150円とか300円とかしていて、 
高級料理店で旬の食材として使われているらしい。
さあ、明日は早速アケビ酒とアケビ料理に挑戦だ~。
 

2011年 9月 19日

「神仏います近江」瀬田会場「祈りの国、近江の仏像」を観に行きました。

「神仏います近江」展の第2ステージ瀬田会場が9月17日から始まり、
早速滋賀県立近代美術館へ出かけてきました。
     
 

同じ仏師や作風の似た仏像を対比できるように
展示されているのが見どころのひとつのようで、
『近江の祈りと美』の解説にも書かれていた、
金剛輪寺と常照庵(金剛輪寺山内)の阿弥陀さまが
しっかり見比べることができるように並んでおられました。
そしてその先には、昨年愛荘町の博物館でお目にかかった
仏心寺の矢取り地蔵さんと聖観音さまがおられ、
仏師・経円さんの仏像が同じフロアにご登場という感じです。
       

     
 
 
私が勝手に「百済寺の観音シスターズ」と命名している
聖観音さんと如意輪観音さんはお初にお目にかかりました。
母とは「聖観音さんが1歳上のお姉さんやわ」と言ってましたが、
観音さんって実は男でも女でもないのでしたっけ。
  
  

石山寺の快慶作の大日如来さんの横には西明寺三重塔にお住まいの
大日如来さん、そのお二方の斜め向こうには、
敏満寺の小さな銅像の大日如来さんがケースに収まっておられ、
こちらはさしずめ大日ファミリー。
   

  

地蔵ストリートでは、醒井の居醒の水をいただきに行ったとき、
いつもお参りする尻冷やし地蔵さんと同じような半跏像や、
足を前に出したお地蔵さんなどバラエティそのもの。
   
   
 
それから、ちょっと気になったのが、西明寺の魍魎鬼人像です。
魑魅魍魎(ちみもうりょう)の魍魎さんということは、
魑魅鬼人像もおられたのでしょうか?
赤ら顔に赤い目、赤いパンツをはいて、大きな錫杖を持ったお姿は
怖いというよりは、むしろ愛嬌があり、塑像というのも
気になる方です。
   

   

そして今回のビッグな方といえば三井寺の仁王さんですが、
ほんとーに大きくて、筋骨隆々、眼は血走っていて圧巻です。
元々は近江西国一番札所の常楽寺さんにおられ、
豊臣秀吉が伏見の舟入に持って行き、
その後徳川家康が三井寺へ移したというお二人。
   
 

  
 
今回、約400年ぶりに移動されたわけで、移動には10人以上の人が
関わったそうですが、湖南市から伏見、そして大津へと
あちこち移られたときは、あの大きな仁王さんを
果たしてどうやって運ばれたのだろうと考えると
当時の天下人の力の凄さを思い知らされることしきりでした。
  

   
 
普段仏さまがおわすお寺へも足を運んでいただけるようにと、
各寺院の紹介やお堂や塔の写真が展示されており、
その心遣いの細やかさにも感心した展覧会でした。

2011年 9月 6日

MIHOMUSEUMの「神仏います近江」展、始まりました。

今年の1月に開催した「『近江の祈りと美』出版記念講演会」の時、
秋に滋賀県で最大級の展覧会が企画されていると聞いたのが、
「神仏います近江」展のことでした。
私立と県立と市立の3館が、それぞれテーマを分担して一堂に会する
という趣向といい、その出品点数といい、まぁ今回を逃したら、
次は10年後かどうかというぐらい、おびただしい神さま仏さまが
お出ましになる展覧会ということで、ずっと心待ちにしていました。

そして先陣を切って9月3日(土)から信楽のMIHOMUSEUM
「天台仏教への道」が開幕し、早速でかけました。
時折美術品の図録や書籍の仕事をしているとき、写真をお預かりして、
尊像や屏風、絵図を編集・校正作業などで見ているものの、
やはりこの目で本物を拝観するというのは、大きさや質感に驚くことが
しはしばあります。
書籍では寸法明記をしているはずでも、
実物を見ると「えー、こんなに小さかったのかぁ」とか、
その反対にあまりの巨大さに驚くということがしばしばあります。
 
今回の展覧会では、最初の「釈迦入滅」のコーナーで、
ずっとお出会いしたかった荒神山の中腹、
千手寺の僧形坐像さまに初めてお出会いしました。
38センチの小さなお方だとは存じていたのですが、
柔和なお顔と鼻筋の通った異国のお坊さまに、見とれてしまいました。
 
最初にボーッと見とれてしまうと、他の作品を見るのが
ついついおろそかになってしまうのですが、
次にくぎ付けになったのがMIHOMUSEUM所蔵の持国天立像さま。
どうしてもお顔に目がいくというか、整っておられるのです。
また細かな彩色も残っていて、アッチコッチから拝見。
元は興福寺に安置されていたとする説もあるとかというお方で、要チェックです。
 
パンフレットに掲載されていた栗東市善勝寺の千手観音さまは
1998年に「近江路の観音さま」でお出会いしたのですが、
左右に大きなお顔があるという三面千手さまです。
様々なバリエーションの仏さまがおられるというのも
近江のおもしろいところなのかもしれません。
 
そして、伊東先生が解説されていたのですが、
園城寺の不動明王さまが今回の「目玉」というか、
要チェックのお方だそうです。
実は後補の玉眼が全体の作風と合わないとのことで、
今回は紙を貼って当初の雰囲気を損なわないように
されたそうです。
また、2年前だったかの国宝三井寺展のときにはお顔が
正面を向いていたのだそうですが、
今回は少し右にお顔を振られたとのことです。

MIHOMUSEUMの会期は12月11日(日)と最も会期が長いのですが、
たとえば金剛輪寺の強面の大黒さまや(この方のことは
20年ほど前にご住職からお話を伺ったので、馴染み深いのですが)、
長く展示すると負荷のかかる絵図などは適宜展示替えされるので、
できれば複数回行かれることをお勧めします。

展覧会の図録は500頁以上の分厚いものですが、
でもこれで近江の神仏を網羅していると思ったら大間違いです。
滋賀県には国宝・重文・県指定の彫像だけで400以上もあるのですから……。

ということで、最後に宣伝させてくださいね。
滋賀県の秘仏や指定文化財一覧など、もっと深く知りたいと思われる方は
『近江の祈りと美』を是非御覧ください。
彫像200点以上と高梨純次氏の論考、滋賀県の指定文化財一覧表も
掲載していますので、仏像ファンには必携の一冊です。
MIHOMUSEUMのSHOPでもお買い求めいただけますので、
是非ご覧ください。

2011年 9月 1日

織豊期城郭研究会とは?

9月11日(日)、織豊期城郭研究会2011年度彦根研究集会が開催されます。
私は「織豊期城郭研究会」のメンバーの幾人かの方は知っているのですが、
実はいつ発足したとか詳しいことについては、ついぞ知らないままでした。

小一時間前に姉と毎晩のように、夜の会議?
(実は夕食後、ウィスキーを飲みながらのグダ話)をしていた時、
サークルや団体は世代交代するのが難しく、
だいたい10年が区切りかなぁという話をしていていたのですが、
その後「織豊期城郭研究会」についてネット検索したら「主旨説明」を見つけました。
なるほど2002年に10年の区切りということで一旦休会宣言をしたのですか。

あれっ、ちょっと待てよ。休会宣言をした翌年に『京極氏の城・まち・寺』『敏満寺の謎を探る』を発刊していたなあ。
そうか、会は一旦休止した間、成果報告を巷に広めるお手伝いをしていたのが
サンライズだったのかしら?

先ほどの主旨によれば、平成19年に再開し、
今回事務局を若手に変えたというくだり、今回の若手メンバー諸氏が
ちょうど高校や大学の頃にそれらの本に出会ったのかもしれません。

出版業界は年々下降を続けており、まして零細版元は1000冊を売るのに
四苦八苦という現状ですが、どことも難題である
世代交代については少し寄与できたかなぁと思っています。

というわけで、来る9月11日の研究集会には、書籍販売に行きますので、
どうぞよろしくお願い申し上げます。

2011年 8月 29日

静岡のお城本、3冊目です。

「近江」と「遠江」はどうやらご縁がいろいろあるようで、2年前のブログ「近江と遠江」「静岡のお城もおもしろい!!」で書いたことがあるのですが、このほど『戦国時代の静岡の山城』が出来上がりました。
あっ、もちろん「駿河」もしっかとテリトリーです。
「近江」と「駿河」のご縁と言えば、日本一の「琵琶湖」と「富士山」(山梨県も富士山と言われる御仁、申し訳ない。でも関西から見ると、電車から見る風景が脳裏に映り、富士山というと静岡をイメージしてしまうのです)。その昔、琵琶湖の土をセッセと東の国に積んだところ、富士山なったという近江の昔ばなしがあり、本当はきれいな円錐形の山にしようとしたところ、時間切れであと1回分の土が残ったのでテッペンはギザギザになったそうです。ちなみに、そのあと1回分の土は、現在長浜市と米原市の境にある「ひともっこ山」との事。
雑談はこの位にして本題に入ります。
昨年2月に静岡で開催された静岡県考古学会2009年度シンポジウム「静岡県における戦国山城」の内容を元に、講演者が新たに書き起こしたもので、山城ファンにとっては、城郭地図はもちろんのこと、出土遺物の分析など最新情報も掲載されており、城の変遷がよくわかる内容です。
「城取り合戦」で今ある城の形状ではなく、どのように改修されていったかという問題を考古学的検地から解明していこうという意気込みがジンジン伝わってくる本です。
明日、取次発送、書店に並ぶのは9月の第2週初めとなります。しばし、お待ちください。

2011年 8月 22日

ジンジャーウイスキーとジビエ


昨日の続きです。 
昨夜の晩御飯、写真は撮っていませんでしたが、鶏肉とピーマンとタマネギの中華風炒め物にジンジャーシロップの残り物のショウガを使いました。
角切りにした鶏肉に刻んだ甘めのショウガと醤油、テンメンジャン、酒をまぶして下味をつけておいたものに片栗粉をつけて、フライパンで炒める。タマネギ、ピーマンをよく炒めて、さっきの鶏肉を入れて炒め、鶏がらスープを入れて、ジャッジャッジャッでおしまい。 
つけあわせはナムルもどきサラダでした。
 
さて、主役のジンジャーシロップはウイスキーの水割りにプラスして、庭のミントを浮かべてあげました。
ミントがあるだけで、ちょっとお洒落~!!
都会へ行けば、これで800円かな?
レシピにはレモンを記していたけど、実はなかったので省略。
でも、おいしい!
今回は姉の意見を取り入れて、上白糖を三温糖にしたことと、ハチミツをプラスしたので、甘さもちょうど良い加減でした。

 
で、昨夜は晩御飯に取り掛かる前に、近所のSさんが、珍味を持ってきてくださいました。
これ、何だと思われますか?

あっ、ジビエって書いたからわかるかなぁ?

実は鹿の燻製!!
昨夜は睡魔に襲われ、早々と寝てしまったけど、
本日はしっかりといただきました。
鹿肉といえば、今から15年ほど前、
「鹿肉を食べられる」ということで、食事文化の会だったかの
催しに出かけたことを思い出しました。
250ccのバイクにシュラフを積んで、野宿できる体制で臨み、鹿の心臓の刺身や
鮒ずし、旭日の大嘗祭用の濁り酒などを
シコタマいただいた記憶がよみがえってきました。
 
で、この燻製、実はあんまり美味しいので、今水割り3杯目です。

2011年 8月 21日

クリームブリュレとジンジャーシロップ


先日作ったクリームブリュレはオーブンを使わないものだったのですが、今回はオーブンを使ったバージョンです。  
 

<材料>
卵黄2個
グラニュー糖25g
牛乳100cc
生クリーム200cc
バニラエッセンス少々
ウィスキー少々
 
卵黄とグラニュー糖をもったりするまで泡たて、人肌に温めた牛乳と生クリームを混ぜて、バニラエッセンスとウィスキーを入れて、ココットに入れる。オーブン皿に水を張り、130度で40分。
焦げ目は出来上がったココットの上にグラニュー糖を振りかけて、オーブントースターにちょこっと入れてみました。 
前回、熱したスプーンで焦げ目をつけたところ、スプーンのお尻が焦げ焦げになったので、今回はこれで間に合わせることに。これだけのためにバーナーを買うのはもったいないものね。 
あっ、近所の鉄工所さんに頼めば、バーナーでジャーッとしてもらえるかもね。
 
 
 
さて、お次はジンジャーシロップです。
昨年はウイスキーをジンジャーエールで割って飲んでいたのですが、
新ショウガで作れるのではと、一度挑戦した別バージョンです。
前回はショウガをおろし金ですりおろし、砂糖、水、香辛料を入れて10分ほど煮て作りました。
でも、すりおろしたショウガのカスを捨ててしまうのってモッタイナイよねぇと思っていたところ、
薄く切ったショウガなら、再利用ができるということを知り、作ってみたのがこちらです。
 
<材料>
新ショウガ400g
三温糖 400g
水    400cc
香辛料少々
レモン 1/2個
 
香辛料はお好みなのですが、今回は粒胡椒と粒クローブを5-6粒と庭のロリエを5枚、鷹の爪1個は種を取って入れました。シナモンスティックがなかったので、粉のシナモン入れたので、出来上がりはちょっと黒くなりました。
作り方は簡単。スライスしたショウガと砂糖を鍋に入れて20分ほど置いておき、香辛料と水を加えて煮ます。煮立ったら中火にして20分。少し冷めたら濾して瓶に入れて出来上がり。
料理の本などを読むと、濾すときにペーバータオルとかコーヒーフィルターなどを使うという記述が多いのですが、私は昔ながらの晒(サラシ)を使います。
お醤油屋さんからは毎年晒の布巾をいただくのですが、でも最近は晒の手ぬぐいからタオルという時代なので、滅多にお目にかかりません。 
そんな訳で、呉服売り場で綿の晒を買って、常備しています。約10mで1300円位、必要な分だけ切って使い、汚れたら、レンジの掃除などに使ってから、お役御免にしています。
 
さて、この残ったショウガは鍋に入れて、少し砂糖を加えて、再度火にかけ、水分を飛ばしてあげました。
そして、ザルに広げて乾燥。乾けば生姜糖になるはずですが……。
この続きは次回のお楽しみです。
 
あっ、残りのショウガ少々は、今夜の晩御飯「鶏肉とタマネギとピーマンの炒め物」に
参加してもらうことにしました。
さあ、これから食事の用意をしようっと。

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