ロケ地はどこなのか?――三宅唱監督『長浜』

以下、3年ちょっと前の未発表文章に一部加筆修正。
なお、今年3月に谷口未央監督・脚本の『長浜』という、いわゆるご当地映画も公開されているが、それとは無関係である。
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「三宅唱」特集の『ユリイカ』(2022年12月号、青土社)をアマゾンで購入。長浜市と彦根市の書店に置かれなくなっているので〈その後、アルプラザ長浜内に出店したくまざわ書店には置いてある〉。
特集冒頭の蓮實重彦との対談で、三宅監督が『Playback』(2012年)に登場するオープンセットが佐藤純彌監督『桜田門外ノ変』(2010年)のために建てられたものだと話している。2014年8月13日の当ブログ「夏の夜の 夢で逢えたら 硫黄島」に書いたとおりだ。
本書で『きみの鳥はうたえる』(2018年)の前に三宅監督が石橋静河を撮った『長浜』(2016年)という短編があることを知る。ワンカット17分の短編で出演は石橋のみ、ストーリーはなく、彼女が踊っている姿を撮影・編集したものだという。主人公(柄本佑)とその彼女(石橋静河)、主人公の友人(染谷将太)の三角関係を描いた『きみの鳥はうたえる』を薦めたら観てくれた会社の同僚(女性)が、昼休みに開口一番、「(クラブで)あんな踊りされたら、そりゃ惚れる」と言ったので笑ったことがある。
同号巻末の「三宅唱主要作品解題」(執筆:原田麻衣)の『長浜』部分には、「海岸に腰を下ろす石橋が」「海、砂浜、そして紺の服を纏った石橋の身体が青を基調とする世界を構成している」とある。原田の経歴をネットで調べると、京都大学大学院、東映太秦映画村映画図書室非常勤職員と出てくるので、京都在住の可能性が高い。となると、琵琶湖と海の区別くらいつきそうだから、滋賀県の長浜ではないのか。
しかし、ネット検索すると、「sayseiの京都日記」というブログの2018年10月21日付けに、京都の出町座が組んだ『きみの鳥はうたえる』公開記念特集プログラムで『NAGAHAMA』(同作はローマ字表記が用いられている場合もある)を見たとのことで、「『NAGAHAMA』というのは、たぶん実際に滋賀県の長浜で撮ったんでしょうけれど、そうすると湖畔ということかな、岩のある湖畔の波打ち際のあたりで」とある。
ロケ地はどこなのか? トレーラーの動画かスチール写真でもあればと思うのだが、ネット上にはこれがない。検索で出てくる画像は、石橋が体育座りしている膝の上に組んだ手に顔を口元まで埋めている1枚のみ。背後は暗闇でまったく情報がない。
映画情報サイト「フィルマークス」にあがっている感想・評価から撮影場所にかかわる文章を拾うと、「石橋静河さんが海で踊るだけの短編」「終盤、途中で海の色が変わるのがすごい」「湖畔で石橋静河が踊る」「タイトルからして、きっと長浜で撮影したのだろう」「石橋静河の美しさが海と風と炎と一体化していた」「黒に近い紺の海」「湖岸を漂い踊り出す石橋静河」「石橋静河さんの海辺での舞」「海辺の”舞踊”」
「湖畔」「湖岸」として長浜市の琵琶湖岸を撮影地と判断した人と、「海」「海辺」としている人が混在しているのである。海だとしている人で具体的な地名をあげている人はいない。
「黒い岩陰、黒い砂浜、黒に近い紺の海」という表現にあてはまりそうな琵琶湖岸として見当をつけた場所(家から直線距離だと約4km)に、2025年9月に妻との散歩がてら行ってみた。あげた写真が、その時に撮影した長浜市内の琵琶湖岸である。晴れていたが、かなり波が打ち寄せる時もあり、湖岸に50cmぐらいはあるイワトコナマズの死体が打ち上げられていた。残念なのは、その辺りは砂より大きい礫(れき)と呼ばれるような小石が広がっている湖岸であることで、「砂浜」ではない。
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いまだに私は『長浜』を観ていないので、ロケ地は不明なままである。困ったことに三宅監督の現時点の最新作『旅と日々』(2025年11月公開)も観ていない。11月はMTJJ監督『羅小黒戦記2』が公開されて、公開初週、翌週も見にいき、10月から配信が始まっていたテレビアニメ版も更新ごとに12月末の最終話まで楽しんだ。2019年公開の第1作字幕版、翌年の吹替版も観に行き、DVDも買った私は、再び羅小黒(ロシャオヘイ)三昧だったのである。年が明けて(2026年)元日、Eテレでの映画1の5分割版放送もその時間帯は地元の寺の修正会があったので、ほろ酔いで(寺で酒が出るため)帰宅してから録画を再生し始めたら2話の頭で寝てしまい、しばらくして起きて続きを見たわけだが、4回目でもやはりおもしろい。
1作目に輪をかけた密度の2作目は、プロローグにあたる人間の部隊による妖精の会館襲撃シーンが完璧で、鳥肌が立つ。1回観ただけでは咀嚼しきれなかったので、翌週もう一度観た。1回目見た段階では王道の展開の1とは異なり、変則的な終幕に思えて、構成的には1に劣るかなと思ったのだが、2回目だと、もう中盤に置かれた鹿野(ルーイエ)の回想シーンで泣けてしまって、どうでもよくなる。Xに流れてくるファンアートやレビューも役に立つ。回想シーンに出てくる「お猿さんみたいな子」が成長して弟子のあの人にというのはわかってなかったよ。池年(チーネン)が人間の基地を攻撃する時に右手しか使っていない理由も、1回目見た後、Xに流れてきて、「わかるか―!」と思ったけれど、2回目に意識して見ると、示唆する動作が一瞬入っていることに気づく。いわゆる「考察」とかいうものではなく、画面を観ればわかることで、私が追いつけなかっただけである。1作目でいえば、冒頭の路地裏で小黒を追い詰める人間たちのぎこちない動きが意図的なものだと初見ではわからなかった(作画に手が回らなかったのかと思ってしまった)のと同じ。
日本アニメの影響とともにアメリカのSF映画やマーベル映画の影響も感じた。映画1の設定資料集にあたる『羅小黒戦記大電影設定集』(浙江工商大学出版社)に掲載されているイメージボードや舞台設定のCGなどを見ても、ハリウッド的な制作方法が、全体の統一感を与えているのだろう。SNSではストーリー上の『Xメン』シリーズとの類似の指摘も見たが、無限(ムゲン)の対人無敵シーンを見て私が最初に連想したのは『スーパーマン』だった。妖精を殺す武器になる神木である若木(ルオムー)=クリプトナイトだし。
ちなみに、ジェームズ・ガン監督版『スーパーマン』(2025年)は、ガン風味が強すぎて私はダメだった(トレーラーでは丁寧に排除されていたので期待したのに、本編を見て、がっかり)。U-NEXTで『ピースメイカー』シーズン2も観ていて、こちらはそういうものとして楽しめたけれど、『スーパーマン』にガン風味はいらない。
『羅小黒戦記』テレビ版のほうも12話と13話がそれまでの回とは別もののように終始アクションシーンが続いて驚かされる。映画版よりもさらに簡略な、それこそ4コマ漫画程度の絵なので、動きというより、テンポよいカットの切り替わりと音楽や効果音で乗せられているだけとも言えるのだが、ただただおもしろいし、感情を動かされる。暗闇の中で剣を細く削いで針をつくっている小黒の怖いことといったら!
そんなわけで、『旅と日々』を見ていない。
ただ、監督したNetflixのドラマ『呪怨 呪いの家』(2020年)を最近になってようやく観たので、そのことも書いておこう。ホラー映画というのは、コメディタッチのものを除いて、心理的に耐えがたい惨劇が最初にあったりするので、私は積極的に見ようとしないジャンルなのだが、「こわい話」好きの娘が、2025年8月に公開された白石晃士監督『近畿地方のある場所について』を「いっしょに観にいってくれる友達がいない」と誘ってきた。父は喜んで同行したわけだが、途中からSF味が入って、ホラーならではのイヤーな怖さがなくなってしまい不満。会話も弾まないまま帰宅すると、娘はテレビをつけてサブスクで同じ白石晃士監督の『ノロイ』(2005年)を再生し始め、「モキュメンタリ―の名作である」と言うので鑑賞。娘よ。
こちらの方が『近畿地方……』よりはおもしろかった。テレビ番組の雑に見せた映像の中でも女性タレントの顔がちゃんと美しく見える一瞬もあるのがよい(単に偶然なのか、そこはわからないわけだが)。そこから、以前1話だけ観てやめてしまった三宅唱監督の『呪怨 呪いの家』を6話の最後まで観ることにした。夏だったので。
普通に演出がうまい。女子高生と男子高生の立場が逆転するあたりとか。仙道敦子が演じた霊能者もよい。なるほどと恐れ入ったのは、最終話のクライマックスが以前から三宅監督がマイ・フェイバリットにあげていたトニー・スコット監督『デジャヴ』(2006年)になっていたこと。あとからネットで検索したらNetflixの公式noteにある『呪怨 呪いの家』監督インタビューでも、「史上最多視聴作品」に『デジャヴ』をあげている。
デンゼル・ワシントン演じる主人公がタイム・ウィンドウ(一種のタイムマシン)を使ってテロ事件の解決を図るSFサスペンス映画で、彼がラボの壁面に大きく映し出された4日と数時間前の映像を見て、すでに死体となっている女性に恋をする。ただし、『呪いの家』で参照されているのは、主人公の過去改変(もちろんよかれと思ってやった)によって、同僚がまだ息があるうちに犯人に焼き殺されてしまうシーン、というか画面ではそれ自体は見えずにタイム・ウィンドウの技術者たちが小さく悲鳴をあげて顔をそむけることで表現されるシーンなのである。そう、過去の惨殺シーンが、『呪いの家』の主人公たちの目の前では次々展開される。『呪怨』がもともとそういうシリーズだから、三宅監督は引き受けたのかもしれないが、『デジャヴ』の参照先がヒロインとのロマンス的なシーンではないことがおもしろかった。
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以上の文章を1月のうちにアップしようと思っていたら、濱口竜介・三宅唱・三浦哲也の3人で行われた「映画勉強会」を記録した『演出を探して 映画の勉強会』(フィルムアート社)という本が昨年12月に出ていたことを知って、アマゾンで購入した。
第3章がトニー・スコット監督作品にあてられていて、他の監督作品と同様に読者の側も『デジャヴ』を観ながらでないとついていけないぐらい、シーンごとに3人による詳細な解説がなされている。
ただ、過去視認ゴーグルとでも呼べばよいようなメカを頭部につけた主人公が車で犯人の車を追跡する場面を三宅監督が「最高に面白くて」と言っている箇所については疑問だ。シーン中のクライマックスにあたる正面から車同士で主人公と犯人が対峙する場面(犯人の側からは見えていない)はよいとして、そこに至るまでが「わかりにくい」と初見時に感じたからである。『デジャヴ』自体は好きで、DVDを買ったので、収録されている特典のメイキング映像の音声解説でトニー・スコット監督自身が、「ここは失敗だった。うまくできなかった」という意味のことを言うのを字幕で見て、「正直な監督だなぁ」と思った記憶がある。
DVDで確認したところ、トニー・スコットは次のように言っている。「チェイスシーンは平凡だな。正直、私の撮影がよくない」「フレームは合ってる。でもゴーグルの場面がよくない」「観客にうまく伝わるように祈るばかりだ」「もっとゴーグルの映像を、デンゼルの目に映る光景を使いたかった。時間がたりなかった。だから洗練されてないし研究不足も敗因だろう」。やはり、あそこのシーンは失敗だと思う。
『演出をさがして』には、三宅監督自身の『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)についての解説もあるので、3年前の時点で書いて、今回削除しかけていた同作に関する以下を復活させることにした。
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〔2022年〕12月24日(土)、名古屋市のセンチュリーシネマで『ケイコ 目を澄ませて』を鑑賞。劇中で主人公が日記を記すノートに似せた仕様のパンフレットは表紙に「SMALL, SLOW BUT STEADY」と海外向けタイトルが記されているだけ、パッと見て同作のパンフレットとはわからなかったので、上映前は置かれていた見本を手にも取らず素通りしていた。上映終了後に「パンフレット発売中です!」と声かけしていた館スタッフさんに感謝。今の若い人はパンフレットを買わないから、列もできないのである。掲載されているスチールはデジタルカメラによる撮影だから、本編の16mmフィルムを使った映像と質感が違いすぎて軽くショックを受けた。そのぐらい、聴覚障害をもつ女性がボクシングに取り組む姿をとてもストイックに描いた本作には16mmフィルムの質感がマッチしていた。「小さく、ゆっくり、でも着実に」は本編で、主人公とは別の練習生がパンチングボールを打っている最中にトレーナーからかけられた言葉だったはず。主人公もかつてかけられたものなのだろう。主人公のケイコは、音が聞こえないために至る場所で行き違いを生んでいる。ボクシングの試合中に生まれた自身の誤解が、ラストで解消されて、ケイコはまた少しだけ前に動き出す。
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『演出をさがして』では、三浦が「僕はこの映画のラストが本当に好きでして」と称賛しており、うれしい。『ケイコ…』の作品評では最後の試合の勝敗に言及したものが多かったのだが、私はそれよりこちらのラストが最高と思っていたので。主人公が一瞬「はっ?」という表情になるオチは、第1作の『Playback』と同じで、三宅監督らしい作劇ではないだろうか。
ところが、読み進めると、三宅監督によって、モデルになった女性の実人生をもとに、別のラストにする案もあったことが明かされている。ここには書かないが、この案に驚いた。三浦は「すごい飛躍だ(笑)」と応じ、三宅は「これには誰もついてきてくれなかった(笑)」という。確かにこの別案は、「人生」であればOKだが、「映画」では使えない。
