お気軽にお問い合わせください

TEL.0749-22-0627

受付時間:平日8:30~17:30

FAX.0749-23-7720

サンライズ出版のブログ

たぶん社名の由来となった映画 その2

キシダ式

 過去の当ブログ「たぶん社名の由来となった映画」(2008.12.27)で、ムルナウ監督『サンライズ』(1927年)について書いたが、当社の創業者の娘にあたる現社長と専務は「そんな話は聞いたことがない」というので、真相は闇の中だった。
 その後、私もどうするでもなく特に進展はなかったのだが、2024年に刊行された陵水会編『陵水百年の記録 : 彦根高商創立百周年記念』が会社の本棚にあったので、パラパラとめくってみたところ、発見があった。陵水会とは、滋賀大学経済学部同窓会の名称で、前身の彦根高商時代からあわせて100年にあたる年につくられた記念誌である。編集・制作は出版文化社。
 「映画研究会による映画会」というキャプションがついた写真が目に留まった。映画館の後方から客席に座る観客とスクリーン(左手壇上には弁士にあたるのか、男性が立っている)を撮影したものだが、スクリーン部分には四角く映画の1コマがはめ込まれている。コートを着た大柄な白人男性とそれに抱えられるような格好の帽子をかぶった小柄な白人女性……『サンライズ』の主人公とその妻だなとひと目でわかった。写真のキャプションには、「出典:『LA MEMORIA 1933』彦根高等商業学校卒業アルバム、陵水会所蔵」とあるが、映写されている作品名まではない。掲載されている92ページは、見出しに「第3節 学生生活――戦時体制に組み込まれ」、「1 学友会の戦時協力」とあるので、ラテン語で「記憶」を意味する誌名の冊子に掲載されたアメリカ映画の上映会の写真というのは、本文内容と一致していないと感じずにはいられないが、それはここでは問題ではない。
 ネットで検索してみると、滋賀大学経済経営研究所の「収集資料&デジタルアーカイブ検索システム」というサイトがあり、陵水会所蔵の『LA MEMORIA』の全ページを見ることができた。ありがたい。校長、教官、生徒の肖像写真と集合写真、各建物、施設の写真、運動部・文化部の活動の様子、寮の生活の様子などの写真を贅沢に配置したアルバムで、1933年のものには、まったく戦時色は感じられない。
しかし、肝心の「映画研究会による映画会」にあたる写真がない。すべての年度が所蔵されているわけではなく、1933年の前は1930年のものになる。『LA MEMORIA 1930』、昭和5年3月卒業生(本科第5回)のアルバムを見ると、資料53に先の写真をふくむページ(左下にあるノンブルは44)があった。つまり、『陵水百年の記憶』のキャプションにある「1933」は誤りで、正しくは「1930」である。
 原本の掲載ページでのキャプションには「映画アーベント」とある。「アーベント(Abend)」とは、夕方から始まる音楽会・映画会・講演会などの催しを意味するドイツ語。『陵水百年の記憶』の写真はトリミングされており、原本写真ではスクリーンの右手の壁に「サンライズ」と書かれた貼り紙がある。その下にもう1行あるが判読できない。さらに同ページの下に掲載されている写真は、学生と教授総勢30人ほどが壇上に並んだ集合写真で、「映画研究会委員」とキャプションがついている。背後の白いスクリーンには、上の写真で右手の壁にあった紙が貼られている。『サンライズ』上映時の記念写真なのだろう。
 また、『陵水百年の記憶』の掲載ページの本文で映画上映会関連の記述は、「1938年8月、映画研究会が『日支提携』の文化映画『東洋平和の道』を彦根市の映画館である帝国館で上映し」とあるだけなので、最初、帝国館での上映の様子かと思っていたが、やけに立派である。調べると、大正13年(1924)築で現存し、登録有形文化財になっている滋賀大学経済学部の講堂だ。他の年の「映画アーベント」の写真を見ると、柱に「女子席」と書いた貼り紙があり、客席に着物姿の女性も写っている。夕方から市民の鑑賞できる映画上映会を開催していたわけだろう。
 『陵水百年の記録』の60ページ注に、「映画研究会の活動は、滋賀大学経済学部附属資料館の「令和2年度企画展「地域とともに歩む彦根高商」」で紹介された」とあるので、同企画展の名称でネット検索をかけると、チラシのPDFが見つかる。「滋賀大学講堂改修竣工記念」と銘打たれたそれを見ると、左上の写真が先の『LA MEMORIA 1930』に掲載されていた「映画アーベント」の写真でトリミングが違うので、右手壁の「サンライズ」と書かれた貼り紙も確認できる。
 先の60ページ注によると、クラブ活動の様子は、文芸部が発行した新聞形式の『時報』、新聞と雑誌の折衷形式に改装された『学報』に掲載されており、やはり滋賀大学経済経営研究所デジタルアーカイブで一部は見ることができるというので、そちらも確認してみた。
すると、『彦根高商学報』第18号(昭和4年5月30日)の5ページ中段中央に以下のお知らせが掲載されていた。

  映画アーベント
   サンライズ 10巻
        ジヨウジ,オブライエン氏
        ヂヤネツト,ゲイナー嬢
   解説者 里見義郎氏
   日時  5月25日(土)
   場所  本校大講堂
   主催  本校映画研究会

 「10巻」はフィルムの巻数で、1巻あたり10分程度なので、95分の本作の場合、この数になる。片仮名は主演男優と主演女優の名前、里見義郎は検索すると戦前の人気活動弁士あるいは実演家として名前があがってくる。日時の項に開始時刻の記載はない。5月25日というのは、本誌の印刷日(発行日は30日)にあたるので、これは予告しようとして間に合わずにそのまま掲載したのか、実際の発行日は現在の雑誌と同じく記載の月日よりも前倒しで、告知の役目を果たしたのかはわからない。
 国立国会図書館デジタルコレクションで読むことができる陵水三十五年編纂会編『陵水三十五年』(1958年)で、「映画研究会」を検索すると「各種文化団体の活動」という見出しで紹介されている。設立は昭和2年(1927)4月。サイレント映画の上映会では「当時の名解説者」里見義郎による『ボージェスト』や『ロビンフッド』、トーキー映画では『間諜X二七』など多数の海外名画を上映し、「講堂はその都度満員の盛況を呈した」とある。顧問は本田玄雄教授。専攻は英語、在職中の昭和15年(1940)に急逝。本書には在職経験のある教授による回想記も収録されているのだが、本田教授のものがないのが残念である。
 ムルナウ監督『サンライズ』(1927年)の日本公開は昭和3年(1928)で、同年度のキネマ旬報ベストテンで第1位に選ばれた。その翌年の昭和4年5月25日に彦根高商の映画研究会が「映画アーベント」で上映。昭和5年、岩根豊秀が当社の前身にあたる「サンライズスタヂオ」を創業。時期的にぴったりであることまではわかった。状況証拠にすぎないわけであるけれども。
 上の画像は、YouTubeにアップされている「Sunrise: A Song of Two Humans | F.W. Murnau (1927).」から『LA MEMORIA 1930』に掲載されていた写真のコマ部分を探してスクリーンショットで撮ったものである。同作はすでに著作権切れなので、YouTubeに全編動画が複数アップされている。
 サイレント映画の名作の場合、映像だけでストーリーは追えるし、95分の本作も2倍速の設定にすれば50分ほど。以前のブログを書いた際、私が持っているDVDを同僚に貸したが、半年以上借りたまま結局観ずに返却された。サイレント映画を観るというのは、結構ハードルが高く、私も観ながら寝てしまった経験がある。試しに観てみるかという方は2倍速でもよいと思うので、どうぞ。