アフガニスタン探検記 1975-76
| 判型 | A5 280ページ 並製 |
|---|---|
| ISBN | 978-4-88325-626-6 |
| 刊行年月日 | 2017年11月01日 |
| 書店発売日 | 2017年11月01日 |
| 本体価格 | 2,000円+税 |
| 税込価格 | 2,200円 |
1975年末、富山の青年がアフガニスタン訪れた。バーミヤンの仏教遺跡やシルクロードの面影を残した隊商の姿を目の当たりにし、近代化に突き進む国の人びとや世界から訪れる若者たちと出会う。ソ連侵攻前のアフガニスタンを縦横無尽に駆け抜ける体当たり旅行記。
プロローグ
一 日本出発まで
二 インドの夜
三 ムスタファホテル
四 バーミアンへの道
五 吹雪の谷からの脱出
六 泣いて笑ったカンダハル
七 ツヨタを買いにクウェートへ
八 古都ヘラートの日々
九 最悪のバス旅行─カーブルは遠かった!
十 シルクロード流れ者たちの宿
エピローグ
参考文献
増補版へのあとがき
付 失われた仏教遺跡─アフガニスタン・バーミアンの大仏破壊をめぐって─
プロローグ シルクロード――それは何というロマンチックな響きを与える言葉なのだろう。 果てしない砂丘を行く何十、何百頭ものラクダのキャラバン(隊商)。はるか彼方に望まれるモスク(回教寺院)のミナレット(尖塔)。なつかしいバザール(市場)の人混み。あたりに漂うチャイ(紅茶)の香り。哀調を帯びて流れてくる土地の音楽。そして、どこからともなくつぶやくように聞こえてくるコーランの祈り……。 そうしたシルクロードのイメージは、実際苛烈なまでに厳しいはずの現地の気候風土をいつしかもの悲しくも甘いロマンに包み込んでしまう。実に不思議な魅力がそこにはある。 「シルクロード」とは何か。それは、もともとドイツの地埋学者リヒトホーフェン(一八三三―一九〇五)の用いた「ザイデンシュトラーセン」(「絹の道」)に由来するという。 彼は、古代におけるシナとトランスオキシアナ及びシナとインドを結ぶ絹貿易を媒介した中央アジアの交通路をそう呼んだのである。しかし、その後このシルクロードの概念は大きく拡大されて、今ではユーラシア大陸北方の草原ルート、中央アジアのオアシスルート、また、南方の海上ルートなど、東洋と西洋を結んだ東西交通路の総称となるに至っている。 私が、そのシルクロードに初めて足を踏み入れたのは一九七一年のことである。四ヵ月にもわたる長いヨーロッパでの放浪生活に別れを告げ、トルコとシリアを半月ばかり巡り歩いたのだった。そこで、私は初めて欧米とはまったく異質の世界を知った。そこには、宗教と一体化したイスラムの世界があったのである。どろ臭く、人間臭さの充満したその世界は、当時仏教やキリスト教しか知らなかった私に鮮烈な衝撃を与えた。 イスタンブール、アンカラ、アンタキア、アレッポ、エルズルム、カルスと私の旅は続いていったが、そこで得た土地の人々との暖かい心のふれあいは、とりすましたヨーロッパ社会の中では絶対味わうことのできぬものだった。 「俺は、アジア人なんだ」私が、初めてそう自覚したのもこの時である。それは同時に、今まで欧米型社会を志向し、これに追髄することしか考えなかった日本とその中に住んでいた自分との訣別をも意味した。

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