体験的国際比較調査論

体験的国際比較調査論 儒教文化圏の若者意識調査

大橋 松行
A5判 319ページ 上製
ISBN978-4-88325-369-2 C1036
奥付の初版発行年月:2008年09月
書店発売日:2008年10月05日
品切
3000円+税

内容紹介

日本・韓国・中国の三国における若者の社会・生活意識調査を行うにあたり、調査問題の選択からデータ整理、共同研究報告書作成までのプロセスを紹介するとともに、各国青年の家族観を比較分析。

目次

第1章 国際比較調査の概要
第2章 調査問題の選択と定式化
第3章 問題の決定と作業仮説の形成
第4章 調査設計と調査方法の決定
第5章 標本抽出の設計
第6章 質問紙
第7章 質問紙作成のプロセス
第8章 調査の実施
第9章 調査データの整理と分析
第10章 調査報告書の作成と刊行
第11章 東アジアにおける近代化と儒教倫理
第12章 現代青年の家族観 ―日・韓・中三国の比較分析―
補 章 中国北京での体験・観察ノート

資料編

前書きなど

はしがき

 今から10年以上も前の1996年12月に,私は初めてアジアの国々を訪れた。訪れた国は韓国と中国である。これまでにヨーロッパ(イギリス,フランス,イタリア)へは行ったことがあるが,それは観光を目的としたものであった。今回は,1997年1月に予定されていた韓国への在外研修(短期)の下準備のために韓国を訪れ,そのついでに中国を訪れたのである。日本にとって両国は「近くて遠い国」といわれてきたし,今でも基本的には変わらない。両国にとっても日本は,また,同じように「近くて遠い国」のままなのである。第二次世界大戦における日本のアジア侵略という歴史的出来事が,アジアの国々と「不幸な関係」を築いてしまったのである。
 私の在外研修の主な目的は,日・韓両国の大学生の社会意識を比較研究することにあった。在外研修では釜山市にある東亜大学校社会科学大学社会学科教授の沈貞宅先生のご指導を受けることになっていたので,前もって沈先生と金哲秀・大邱発展研究院責任研究員にお会いして,韓国で行う大学生の意識調査について検討させていただいた。沈先生は,私の院生時代(修士課程)の指導教授であった野村博先生と懇意にしておられたので,その関係でご指導を受けることになったのである。
 ここで,少し沈先生のことについて述べておきたい。沈先生と野村先生とは,沈先生が野村先生のことを「兄のような人だと思っています」と,常々おっしゃっているほどの間柄である。沈先生は小学校3年生まで日本の教育を受けておられたので,日本語は堪能であるし,日本統治時代は日本名を名乗っていたとのことであった。先生ご自身は,儒教を重んじられ,日本の大学で研究生活を送られた経験をもっておられたので,どちらかといえば「親日派」に近い立場におられると思うのだが,統治政策としての創氏改名には極めて批判的であった。朝鮮人にとって名前は命と同じくらい重いのだ,と在外研修のときに何度か先生の口から直接お聞きしたことがある。
 現地に滞在中,韓国は「儒教の国」だということを実感したことが幾度となくある。いくつか実例をあげておこう。沈先生と喫茶店でお茶を飲みながら談話をしていたときのことであるが,私が沈先生の写真を撮ろうとすると,先生は隣のテーブルにいた見ず知らずの学生に,突然,私のカメラで私たちを撮るよう「命じた」のである。これがもし,日本の学生だったならば,目を白黒させて驚いたことであろうが,名指しされたその学生は黙って先生の「命令」に従ったのである。私は,後で先生に「そんなことしてよろしいのですか」とお聞きしたら,先生は平然として,「学生が教師のいうことを聞くのは当然です」,というようなことをおっしゃったのである。これには私も驚いた。またあるとき,私がかなり混んでいる地下鉄に乗って立っていると,目の前に座っていた2人の学生風の若者が,すぐさま私に席を譲ってくれたのである。当時私は,若者から席を譲られるほどの年齢ではなかったのだが,このような行為も儒教精神の発露のひとつだったのではないかと思われる。日本では考えられないことである。
 先に日・韓両国は「不幸な関係」にあると述べた。過去の歴史的事実が,今でも韓国の人びとに暗い影を落としているのである。これについてもいくつか体験例をあげておこう。研修期間中に,私は沈先生に連れられて同僚のある教授にお会いした。その教授は,ロッテ財閥の一族であった。その教授が,「私は,日本という国が大嫌いです。特に日本の政治家は嫌いです」と,私にいわれたのである。続けて,「しかし,私は個々の日本人は好きです。日本人は礼儀正しいです」とも,つけ加えられた。国家としての日本,その日本を統治している政治家には嫌悪の念を抱いているが,日本人そのものに対しては好感をもっている,という錯綜した感情を,この教授は抱いていたのである。また,1998年8月に,日・韓・中三国共同研究で大邱市の日本語学校生徒に対してインタビュー調査を行ったときのことであるが,インタビューに答えてくれたある生徒が,次のようなことをいったのである。「私は日本の大学に留学して勉強したいのだが,両親が日本を非常に嫌っているので難しい」。しかし,その生徒を含め,インタビューに応じてくれた生徒たちは,日本や日本人に対して非常に好感をもっていたのが印象的だった。
 韓国との間に築かれてしまった「不幸な関係」を構成している主な要因は,第二次世界大戦における日本の朝鮮半島支配だけでなく,明治期における日韓併合や豊臣秀吉の朝鮮半島侵略(壬辰倭乱)など,これまでの日本の対朝鮮半島政策にある,といえるであろう。私が在外研修中に滞在していたホテルの近くに金剛公園があった。その公園の中に壬辰東莱城義塚があり,案内板の説明書に「秀吉軍が侵入した東莱城を守るために壮烈に戦って殉死した軍,官,民の遺骨を納め祭った所である」,と日本語で記されていた。韓国および韓国の人びとにとって16世紀のこの出来事は,「遠い過去の歴史的事実」ではなく,今なお連綿と語り継がれ,受け継がれている「現実そのもの」なのである。
 韓国には反日的・嫌日的な人たちばかりでなく,親日的な人びともいる。特に高齢者の中には,私が日本人だとわかると,日本語で話しかけてくるのである。ソウルのあるデパートで買い物をしていたとき,私はほとんどハングルが話せないので,店員に拙い英語で話したら全く通用しなかった。その一部始終を見ていたと思われるある老人が,困っている私の傍に来て日本語で話しかけてきたのである。そして,私に代わって,私が買い求めようとしている商品について店員にハングルで説明してくれた。お陰で,私は求めていた商品を買うことができたので,その老人にお礼を述べると,彼は長年,滋賀県の高島郡(現在の高島市)に住んでいたという。私も滋賀県人なので,懐かしさがこみ上げ,しばらくその老人と立ち話をした。今でもそのときのことはよく覚えている。また,沈・金両先生と私の3人で慶尚北道慶州市の郊外にある新羅時代に創建された佛國寺へ行ったときのことであるが,私たちが寺院を見学していると,参拝していた老人が,私たちに日本語でいろいろと説明してくれたのである。
 先にも述べたが,私の在外研修の主な目的は,日・韓両国の大学生の社会意識を比較研究することにあった。そこで,「日本・韓国の大学生の生活と社会意識に関する比較調査」と銘打った質問紙調査をすることになった。韓国での調査は沈先生が,また日本での調査は私がそれぞれ行った。国際比較調査というにはあまりにも小規模で,内容的にも決して十分なものではなかったが,この調査に対しては,その後に実施した日本・韓国・中国三国の共同研究(1998年度~2000年度)にとって「先行研究的なもの」との位置づけが与えられたのである。
 日・韓両国の比較研究および日・韓・中三国の共同研究では,実に多くの人びとのご協力を得た。とりわけ,沈先生,金先生,宋正基先生(当時,全北大学校教授),呉魯平先生(当時,中国青年政治学院副教授),羅紅光先生(当時,中国社会科学院副研究員)には大変お世話になった。ここに深く感謝する次第である。また,私をこの共同研究にお誘いいただいた佛教大学社会学部教授の君塚大学先生(当時,研究班主任)はじめ,研究班メンバーの星明先生(佛教大学社会学部教授),張萍先生(佛教大学社会学部教授),黄當時先生(佛教大学文学部教授),近藤敏夫先生(佛教大学社会学部准教授),山口洋先生(佛教大学社会学部准教授),大束貢生先生(佛教大学社会学部准教授)に対しても心より感謝する次第である。そして,何よりも質問紙調査やインタビュー調査にご協力いただいた日本・韓国・中国三国の多くの人びと(被調査者および研究者等)や関係機関に対して深甚なる感謝の意を表するものである。(続く)

   

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