杉原千畝と命のビザ

杉原千畝と命のビザ −シベリアを越えて−

寿福 滋 写真, 寿福 滋 文
AB 82ページ 上製
ISBN978-4-88325-333-3 C0072
奥付の初版発行年月:2007年07月
書店発売日:2007年08月10日
在庫僅少
1500円+税

内容紹介

 アウシュビッツでの大量殺戮が行われるわずか1年半前、多くのユダヤ人を収容所行きから救った1人の日本人外交官がいた。彼の名前は杉原千畝、元リトアニア領事代理である。彼が発給した日本通過ビザは約2,000枚。死神の魔の手から逃れられた人は6,000人にも及ぶという。
 10年前にアウシュビッツを訪れ収容所跡をカメラに収めた著者は、ユダヤ人排斥の嵐が吹き荒れるポーランドを逃れた人々がリトアニアから、シベリア鉄道、ウラジボストーク、日本へと生への逃避行を続けたのと同じ経路を辿る旅を続けた。
 そして、行く先々で千畝の行為を称え顕彰する人々との出会いがあった。ニューヨークでは〝Do the Right Thing〝というエッセイ・コンテストをしているシルビア・スモーラ博士に出会った。彼女は日本からアメリカへと逃れたのだが、当時は杉原の存在を知らなかったという。
 本書は約80点の写真を収録し、日本文・英文の両方で書かれている。

目次

1.アウシュビッツ(ポーランド)
2.ワルシャワ(ポーランド)
3.カウナス(リトアニア)
4.モスクワ(ロシア)Moscow(Russia)
5.シベリア鉄道(ロシア)The Siberian Railroad(Russia)
6. ウラジボストークから敦賀まで
7.神戸から上海まで
8.エルサレム(イスラエル)
9.ニューヨーク・岐阜県八百津町

前書きなど

ポーランドの首都ワルシャワから列車で3時間、歴史的遺産が数多く残るクラコフから西へ60㎞、ドイツ名アウシュビッツとして知られるオシフィエンチムという町がある。ここは第二次世界大戦中、ナチスによって最大の絶滅収容所が築かれた。現在、この虐殺の場は、国立博物館として保存されている。
 この場所を数年前に訪れた私は、言葉を失うホロコーストの実態をカメラにおさめ、私の地元の図書館や公民館で展示を繰り返していた。その中で、大量殺戮が行われる、わずか一年半前に6,000人ものユダヤ人を収容所行きから救った一人の日本人、杉原千畝氏の存在を知った。杉原氏の行為に感銘を受けた私は杉原氏の発給したビザにより、生への逃避行を続けたユダヤ人と同じ経路を辿る旅を数回に分けて行った。リトアニア、シベリア鉄道、ウラジボストークへ。船でも日本海を渡った。切迫した大戦下の状況とは違う撮影の旅だが、私も杉原ビザに導かれるように、そして杉原氏の行為を称え広く伝える人々との出会いがあった。
 2001年、杉原氏の生誕100年を記念してリトアニアの首都ビリニュスのネリス川河畔に150本の桜が植樹された。9・11テロの衝撃から、やがて世界はテロとの戦いのもとに、アフガニスタン空爆、イラク戦争へと突き進んでいった。
「アウシュビッツ収容所」と「グラウンドゼロ」共に抗議することもなく一瞬にして多くの命が失われた場所である。
 人の命を見殺しにできないという強い信条に導かれた杉原氏の行いは、この混沌とした世界の中で一つの指標になりはしないか。 
 2003年、リトアニアの桜は、まだ脆弱ではあるが可憐な花を数輪咲かせていた。だがやがていつか満開な桜の花が、平和を模索する私たちの道しるべとなって咲き誇る日が来ると信じたい。

著者プロフィール

寿福 滋(ジュフク シゲル)

1953年、神戸市生まれ。関西を中心に美術・文化財を専門に撮影するフリーカメラマン。アウシュビッツを訪れて以来10年、ライフワークとして命のビザを手にしたユダヤ人の旅路を取材。

   

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