インタビュー:観音正寺管長 岡村潤應さん

観音正寺管長 岡村潤應さん

▽まず、焼けてしまったという大事件があったわけですが、その際のご心境というと…。

▼それは、住職であれば、死に値することでね。本堂、仏像全てが預かりものやから。ここに住んでいるというても自分の物て一つもあらへん。それが祈祷寺のあり方なんや。山を下りる時には「唐傘一本で下りるんやで」と、親父に言われてた。
 その責任は自覚しておったから、焼けて半年ほどは死に場所を探してるみたいな状態やったが、ある僧に「このまま死んだところで何が残る。これは一つの試練だから乗り越えなあかん」と言われてな。死ぬのは簡単やが、与えられた試練を全うせんならんから、もうちょっと寿命をもろて……という思いに変わったんやな。
 何よりもありがたかったのは、早々に参拝に来られる方、信徒さんたちが復興のためにと次々に寄進や励ましのことばをかけてくださったことや。

▽ああ、境内への入口近くに金額と住所、氏名を書いた札が並んでいますね。

▼そう、みんな寄進してくださった方。札は1万円以上の方のみ書かせてもらってるが、1000円、5000円と、この不況の時代にもかかわらず、寺の復興を願うてくださる方が本当に大勢いてくださる。

▽見てると、東京、神戸など全国各地にわたってますね。

o02.jpg▼それは1400年の歴史が続く西国札所やからなあ。そうなるとわしもじっとしてては始まらんと、托鉢に出たのや。一方では寺にじっとしている辛さから、逃げだしたいという気持ちもあったわなあ(笑)。けどなあ、いっぺん外気に出て頭を切り換えてみるというのはよいことや。若い頃を思い出しながら、長いこと御無沙汰やった托鉢に回っているとき、おぼろげながら新しい観音さんのお姿が頭に浮かんできた。そうや、こんな観音さんにしようとな。

▽ご本尊を造る場合、決まりみたいなものはあるんですか?

▼この寺であれば、ご本尊は千手観音というのは決まっているわけやが、作るには元の像を忠実に復刻するというのと、全く別の形のご本尊を造るという二通りの選択があるわなあ。

▽そこで前とは別の形のご本尊を考えられた…。

▼焼失されたご本尊は西国一の観音さんやと今でも思うてる。けど悲しいかな、どんなに腕のたつ仏師に復刻してもろうたところで、前の観音さんには及ばんわなあ。それなら前とは別の、おこがましいけど前よりもっとよいものを作らなあかんと思うた。よいものでないと、前の観音さんに対しても失礼にあたる。

▽像の形などについては、どなたかに相談なさった?

▼してない。これを言うと何か変な話になるけど、夢を見たんや。ふぁーっとした中に手をクジャクみたいに広げた観音さんがおられる。それで、大きな大きなほんまに1000の手がある観音さんにしようとなった。製作をお頼みした仏師の松本明慶さんにも、こちらからの希望として、その点だけ伝えた。

▽それにしても、とても大きなご本尊になるのですね。

▼観音さんの大小で功徳を計るわけではないが、この不穏な今の時代に人々を救えるご本尊として大きな力のある観音さんが必要やと思うた。大仏さんというのは「丈六」いうて寸法が決まってるんや。座って八尺(約2m40cm)、立って一丈六尺(約4m85cm)、これが眉間までの高さで、その上にある化仏などを含めるともっと高くなるわなあ。

 次に素材や。素材はいろいろあるけど、何か宗教的意義のあるものをと考えていたとき、経文を思い出した。「観音像は白檀にて像形を作るべし。されば種々の罪障を除滅し、一切の不吉祥は吉祥に転ずるなり」と言うて、白檀は心を清めてまっさらな状態に戻す「浄化」という功徳があるんやね。

▽なるほど。

白檀を求めてインドの地へ

▼ところが、この白檀で大変な苦労に遇うんやなあ。まずは東京にあるインド大使館に行ったところが、原木の輸出はワシントン条約で禁止品目となってると言われてな。
 まあ普通やったらここであきらめるところやが、どうしてもあきらめきれん。「前よりもっと良いものを」と観音さんと約束したことが果たせんやないか。それなら、いっぺんお釈迦さんの母なる国、インドへ行って直接お願いしよう。何かあって帰って来れんかっても、ええ死に場所や(笑)。そういう気持ちで、焼けた年の暮れから動き出し、まず使者がインドの日本大使館へ行ったけど断られた。それなら直接インド政府と交渉しようということで平成6年7月に『輸出特別許可申請書』を提出したわけや。

▽直談判ですね。

▼息子たちと交代しながら渡航したんやが、合計すれば20回以上行ったね。最初は「まず無理でしょう」と言われたが、インド滞在中に一人の日本人布教師と知り合ってね。彼はうちとは別の宗派やったが、本当に親身になってくれて、なんとか外務省との交渉にこぎつけられたわけや。最初は半分死ぬ気やったのが、好転してくると希望がわいてくるね(笑)。
 木の伐採は環境庁、輸出については商務省の管轄になるんやが、商務省の長にあたるドクター・レディーがなんと、ラオー首相の無二の親友で、大の日本贔屓やった。それに通訳のゴパールさんという老婦人がよくしてくれた。日本人の心を理解して、インド政府に伝えてもらえたんや。それで「真剣な気持ちがわかったので何とか考えてみよう」という返事をもらえた。もし彼女の通訳がなかったら、この特別許可は実現しなかったかもしれん。
 ところが、環境庁から営林署、さらに木の管理をしている公社へと連絡が行ったけど、インド国内でも仏像を造るような太い白檀はなかなかない。集めるのにも同行したけど、大変やった。

▽ないというのは、大きく育つまでに切っちゃうんですか?

 ▼あれは一種の財産で個人で所有してるという場合が多いせいもある。初め、どれだけほしいと聞かれて「50t」と答えたんだけども、それは無理だ。ガンジー首相やネール首相を荼毘に付すに際しても2tしか使わなかったと。

▽そういう時にも使われるものなんですね。

▼そう、木自体が仏さんというか神聖なものとされてるから、手を合わせて拝んでから切るらしい。それで、ドクター・レディーが「23tでどうだ?」と。そして正式に日本の外務省に連絡が入ったんやね。

▽それでインドから白檀が届いた。

▼船で名古屋港にね。コンテナでトラックに積んで運んできて、ここまで上げてくるのがまた大事業やった(笑)。 ▽届いたのは、いつ頃ですか?

▼仮輸出許可がおりたのが平成7年8月で、翌年の1月にまず2tが届いた。そこでその年の8月にご本尊のノミ入れ式と仮ご本尊の開眼法要をした。最終の便が届いたのは9年の12月やった。

千の手を寄進していただく

▽面白いと思うのは、観音像の手を1本ずつ、大勢の人が奉納するという形をとられた。手に奉納者の名前が書き込むそうですね。貴族や豪族に限らず、大勢の一般庶民が「結縁」の一つとして仏像建立に際してお金を出した例は古くからあったようですが、千手観音像でそういうことは?

▼この1000の手というのは、ご本尊の光背になる部分の手のことやが、こういうやり方はこれまでになかったかもしれんな。ご本尊の手1本ずつ、1000人に奉納してもらうというのはなあ。

▽どういった方が寄進されるのですか?

▼参拝に来られる方や信徒さん以外にも、チラシを作って托鉢に回っては配ってる。
 月々アルバイトして5万円ずつ貯まったら送ってくれる大学生は、たまたまハイキングでここへ来て「これは!」と思い立ってくれたそうや。また「落慶までにお迎えが来るやろうが、孫子のために」と言うて寄進してくださったおばあさんもおられる。
 実は、勧進を始めて間もなく、ある人が大金を持って来られて何百本もの手を買うといわれたことがあった。けど、それはご丁重にお断りした。

 ▽どうしてですか? もったいない。

▼そりゃ、本堂・ご本尊と、一から造らなければならないときにありがたいことではあるけど、多くの人とご縁を結んでこそ、観音さん彫像の意味があるわけやからな。

▽仏像といえば、昔に造られたものについてのみ美術品とか文化財という見方をしてしまいますが…。

▼そう。そういうのに、わしは腹が立つんやな。そんなもんじゃない。仏さまはあくまでも信仰の対象であって、心を癒すもの、魂を込めたものなわけや。そして仏像を彫るということは魂を込めて彫ることやからな。必ずしも古いものが良うて新しいものが悪いといえるわけではないわな。もっとも、文化財指定は「保護」という観点では良いことやが……。

▽もっと個人的なものに感じますね。

▼そう、人の心の救済やわな。ある個人と本尊さんの対話やわな。何か大きなものに包まれて語りかける。返答はないかもしれんけど、自分のなかで反省するなり、答えを得るわけやな。「悔過の場所」いうて、反省する場所が本堂なんやな。その本堂の中心にくるのがご本尊さんやから。
 自分が死んでも末代残っていくものやからね。おばあちゃんが信仰に一生懸命になったということを子々孫々に対して示すもんでもあるし。そうした信仰心がなくなってきたツケが今廻ってきたんやろうな。

再建で世の中を変える

▽先日、京都の松本さんの工房にお伺いして、途中のものを見せてもらったんですが。

▼5分の1の雛型があったやろ。次はそれを基に1分の1、つまり原寸のものを仮りの木で造る。そしてようやく白檀の材を使っての本番になる。完成するのは平成13年の末頃かなあ。

▽じゃ、これからまだ長丁場ですね。

▼ご本尊の他に、本堂の工事もあるからな。夏には立柱式やが完成には数年かかる。大変やけど、とにかく今度の再建で世の中が変わると思うてる。なぜかというと、実に不思議なぐらい、できないと思うてたことができた。大勢の人のご縁があり、そのご縁はやっぱ観音さんのご慈悲であったと思うてる。
 ドクター・レディーが調印式の時「ヒンズーの神さんと観音正寺の千手観音さんが話し合いをして、許可することを決められました」とスピーチされとき、どんなにうれしかったことか……。形は変わっても信仰の心は世界共通やと思う。インド政府は日本を救うためにと許可してくれた。また親日家の彼は「昔、我々は日本を見本にしてきた。昔の日本人は偉い人が多かった」とも言われてね、その期待に今の日本人も応えんとあかん。ご本尊ができた頃には世の中が治まり始まるだろうという自負を持って造っているんや。

▽それにしても山の上の寺って大変ですね。

▼若い頃は寺を継ぐのが嫌で、卒業後、しばらく土木の会社に就職していたものな。何せ電気が通じたのが昭和37年頃。難所といわれる山の寺で、一番大変なのは物を運ぶことやった。今でもそれは同じやが……。

▽でも、高いから見晴らしはいいですね。

▼そう、初めはこんなとこ、かなんて思うてばっかりいたけど、町中の雑踏も聞こえないし、落ち着くわなあ。昔の寺はみな山の上にあったんやから。

▽お忙しいところをお話ありがとうございました。無事完成されることをお祈りします。
(1999年12月18日)

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