インタビュー
編集部(▽)はレポート用紙に鉛筆で文字を書き、杉田さん(▼)はそれを見て口話で答える形で進められた。

▽今日はお忙しいところ、ありがとうございます。まず、お名前(雅号)についてですが、静山と書いて「じょうざん」とお読みしてよろしいのですか?

▼はい。そうです。

▽これは、ご自分でおつけになられた?

▼はい。竹芸の世界では「斎」の字を使う、「○○斎」となる名が多いのですが、そのまねはしたくなかった。私は耳が聞こえなくなって以来そのことを負の面として意識してきましたが、逆に隠すのではなく自分は静かな世界に住んでいる、と主張したかったのです。

▽「静」という字を、プラスの価値として用いたかったわけですね?

▼ そのとおりです。(思い出したように笑いながら)ある日、妻といっしょにデパートで生け花の展覧会を見ていました。作品の横についていた札の名に「静山」というのがありました。「じょうざん」とフリガナがついていました。「これだ!」と思って失敬したのです。後で知ったことですが、高名な家元らしい。

▽聾話学校(註1)の先生を定年退職されたのは、いつになりますか?

▼平成2年です。定年まではまだ年ありました。

▽それはなぜ?

▼とにかく時間がほしかった。

▽現在は竹工芸に没頭しておられる?

▼そのとおりです。

▽お弟子さんなどはおられない?

▼とりません。趣味で教えてほしいと言ってくる人はいらっしゃいますが、それは嫌です。自分でおやりになっていて、ここの部分がわからないと尋ねられれば、お教えはしますが。

▽やりたいことがたくさんある、というのは、具体的に作りたい作品のイメージがたくさんあるということですか?

▼そうであればいいんですが…。私の仕事の場合、2歩も3歩も前を見ているわけではないのです。

▽そうしますと、作る手順として、まず設計図のようなものをお作りになるわけではない?

▼実際に編む段になって、試行錯誤しながらです。同じ作品を繰り返し作るのであれば、道に迷うこともないのですが。もちろん作家によっていろいろなやり方があります。

▽作品を拝見させていただいて、バラエティに富んでいる、いろいろなものがあって楽しいと感じました。

▼レパートリーは浅いと、自分では思っています。

▽素人の場合、まず作品に接する際に困るのでお聞きしますが、見る場合、ポイントとなるのは編み方ですか? それとも全体のフォルムですか?

▼ それは難しい問題です。絵の場合にいろいろな見方があるように。伝統工芸としては本当に使えるものであることが前提であるでしょうし。一般に日展の工芸部門では、抽象的なテーマを設定してそれを大胆なフォルムに表したものが多く、その時代の私の作品にもそうした傾向が見てとれます。しかし、実際には作家も鑑賞する人もみんな個性的なものさしがあって、これこれが規準とは決めつけられません。

 私の場合には、初めて見る方が「これは美しい」と思ってくれるものであればいい。それを規準にしたいと思ってやっています。

▽世代的に、ふだん竹細工に接することがあまりなかったせいでしょうか、中国か東南アジアの国の匂いがするという印象を受けてしまいました。そうした国々との交流みたいなものもあるのでしょうか?

▼ 先日、ある方から2000年昔の遺跡から籠が見つかったという話もうかがいました。日本には『竹取物語』のおじいさんが「竹取の翁」であったように、籠づくりという職業が古くからありました。室町時代には中国の竹細工が入ってきました。これは「唐物籠」と呼ばれてとても珍重されたそうです。一つで家1軒分の価値があったとか。その時代に技法が移ってきたのでしょう。その後、茶華道の影響で竹工芸が発達していきます。現在は技術的には、日本が最高水準にあります。ぬきんでています。

▽勉強になりました。

 話を変えますが。もうすぐ草津文化芸術会館で個展がおこなわれるわけですが、そのチラシの昨年、NHK教育テレビの番組(『聴覚障害者のみなさんへ』)に出演された際の杉田さんの言葉が使われています。「竹を見ていると、竹が『きれいなかごを作ってほしい』と言っているように見えます。そのような話を聞きながら…仕事をすすめてきました」とあります。

 私としては、この言葉は誤解を生むように思えるのです。取材資料として、以前ろうあ者を対象とした刊行物に発表された文章を読ませていただきましたが、そこには杉田さんが独学であったせいもあって非常に研究熱心であられたこと、できる限り過去の他人の作品などをご覧になったり、関係の本を収集なさったりしたことが書かれていました。そうした知識や技術の蓄積があってこその杉田さんの作品だと思うのです。チラシの言葉は、何か悪い意味での蕫芸術家﨟の言葉に思えて私には納得が行かないのです。

 それとも、やはり現在ではそうした境地に立たれた、ということなのでしょうか?

▼ 「竹を見ていると…」というのは、少し飛躍しています。綿密な計算なしにはできないものでもあります。周囲の長さを設定して、それを編み目の数で割って間隔を決めるために、計算機をかたわらに置いて作業をすることもありますし。ただ、竹にもそれぞれいろいろなクセがあります。節と節の間隔が長ければ長いほど大きな籠が作れる、よい竹です。節が高すぎるのもよくありません。籠の寸法を決めてから、それに合う材料を探す、というのでは難しい。まず材料としての竹があるのであって、その逆ではありません。そういうような意味です。確かに少し甘い言葉だとは自分でも思います。

▽それでは、作品の方を拝見させていただいてよろしいですか?

▼どうぞ、ご自由に。位置を移動させてもけっこうです。

▽これは、手に持つとびっくりします。体積に比べて驚くほど軽い、それでいて硬くしっかりしている。それと、見る角度によって編み目の具合が変わる。

▼ 先ほどの見るためのポイントの話に続けさせてもらいますと、籠を編む時、平面や円柱の形なら編み組みは簡単です。しかし、壺のような曲線は難しくなります。狭い口では編み目を締め、ふくらんだ胴ではゆるめたり、寝かせたり工夫します。例えば、この籠(花籃「さざなみ」)の表面の模様ですが、普通の網代編み(5ページの図を参照)では、このような曲線はできません。ふくらみの大きいところでは編み目をゆるめ、片方のヒゴを大きく寝かせ、次第に編み方を変えていくのです。それは編みながら考えました。そのことによって、つまり製作上の必要から生まれた曲線なのです。

▽なるほど。ところで、この竹はどこから入手しておられるのですか?

▼ 昔は竹屋さんから購入していました。種類でいえばマダケです。今、野洲川は改修工事の真っ最中ですが、堤防の辺りにはまだまだよい竹が生えた竹薮がたくさんあります。もちろん薮の所有者に許可を得なければいけませんが。しかし、そうした薮も近年は手入れができていないなあと感じています。そう、実際、竹を探しながら「この竹で、あの籠を作ってみよう」といったイメージがわくことがあります。先ほどの言葉はそういう意味もあります。

▽一つの作品の完成までに、どれぐらいかかるのですか?

▼2~3カ月です。教員だった頃はもっとかかっていました。その半分は材料ごしらえです。私の場合、すべての工程を自分一人でやっているものですから。つまり、竹の表面の緑色をした皮をはぐ、割る、半分に半分に細く割く、面を取る、といった作業をして、均等の長さのヒゴを準備するのに、かなりの時間を費やします。

 その後の編む段階でも、長い時間が、考えを重ね、工夫をし、失敗すればやりなおすという経過があります。(箱に入っている作品を出して)お見せしますが、これはカメラで撮らないでください。日本伝統工芸展への出品作品です。あさって持っていきます。未発表の作品ですから、大きな声では言えないのですが、この作品は、内籠と外籠が重ねてあり、曲面に編んだ2つの籠に微妙な力の差があって重ねる時に苦労しました。私の今後の課題です。狭い編み組みも、もう一段詰めてみよう、さらにもう一段という気持ちが起こるのです。編んでいると疲れますね。

▽それでは、この辺で失礼させていただきます。楽しいお話、ありがとうございました。

(1998・8・8)

註1:滋賀県立聾話学校。大正時代末、近江八幡の西川吉之助が聴力障害の三女浜子のために、アメリカの口話法を研究する場として「西川聾口話研究所」を設立。1928年(昭和3)、同研究所を県立に移管する形で草津市大路井に設けられた。引き続き口話法を重視する方針をとり、聾学校ではなく、聾話学校と称した(現在は、生徒の残聴を活かした聴能教育、手話の併用も取り入れられている)。小・中・高等部があり、自立のための工芸・機械などの職業訓練もおこなわれている。1969年(昭和44)栗東町川辺に校舎を移転。

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