それぞれの自己紹介と館紹介

八杉 本日の催しは、「道の国・近江」をテーマにした県内博物館の連携などを考えようと、滋賀県博物館協議会が企画しました。会場となった草津宿の私が進行を務めさせていただきます。

 順に自己紹介を兼ねて、それぞれの館と宿場のご紹介いただきたいのですが、まず、草津宿は東海道で52番目の宿場にあたり、東海道と中山道が合流する宿場でもあります。JRの草津駅から歩いてきて旧草津川のトンネル※1をくぐったところが東海道と中山道の合流点です。今日の会場である本陣から250mほど南に行ったところにある草津宿街道交流館で、草津宿本陣も管理しています。

 草津宿本陣は平成8年(1996)に一般公開が始まり、草津市の歴史的な特性である「宿場」というものを紹介するために、街道交流館は平成11年に開館しました。

大⻆ 草津宿と石部宿(湖南市)の間、六地蔵村(栗東市)というところにあった梅木立場※2の本陣、旧和中散※3本舗を管理しております大⻆でございます。大名や天皇、いろいろな方がご休憩なさいました。表の方は、「和中散」という道中薬を売ることを本業としていました。

 父親が平成23年(2011)の暮れに突然亡くなったので急遽勤めていた会社を辞めて、家を任されました。不勉強な点もあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。

駒井 甲賀市土山歴史民俗資料館の駒井と申します。平成16年(2004)に近隣5町が合併した甲賀市は、土山と水口の2つの宿場町を持つことになりました。

 土山は東海道の49番目の宿場町で、難所として聞こえた鈴鹿峠をひかえているので泊まる旅人が多く、宿場としての規模は一般的でしたが、その規模としては多めの44軒の旅籠がありました。東海道の部分は落ち着いた色にカラー舗装されており、歩かれる方にも好評です。

 水口は、水口岡山城築城を契機に発展し、城下を兼ねた宿場町として賑わいました。将来的に土山、水口それぞれに合わせた町づくりを一体的に考えていかなければいけないと考えています。

谷口 柏原宿は中山道沿いにあり、隣はもう国境を越えた今須宿です。ですから、本当に近江の端っこからやってまいりました。

 当館の特徴は、宿場の資料がとてもよく残っていることです。これは彦根市にある滋賀大学経済学部の附属史料館にたまたま地元の方がお勤めになっていて、非常に早い時点で資料をまとめて寄託なさったおかげです。ただ、いちいち借用しないと展示ができないというのも困りもので、将来的には柏原におもどりいただいて、柏原宿の空いた建物を使って保存・展示用の分館をつくれないかと考えています。


※1 旧草津川トンネル 天井川として知られた旧草津川の左岸(南側)堤に火袋付きの石造道標が立っており、中山道と東海道の分岐点・合流点にあたる。

※2 立場 江戸時代、宿場と宿場の間で、人足・駕籠かきなどが休息した所。

※3 和中散 江戸時代、和中散本舗(大角家)が販売した腹痛などに効能のある粉薬。街道名物として知られた。


地元の人々と協力したさまざまな取り組み

八杉 来年(2019年)4月に「文化財保護法」が改正され、文化財をまちづくりに活用するという方向に動きつつあります。

 ご承知のように近江は、東西交通の非常に重要な場所です。西から東、東から西へ往来する際には必ず滋賀県を通らなければならず、江戸時代を通して起こった出来事や関わった人物にまつわるものが近江の宿場には残されました。

 まず、それぞれの施設で、どういった特色ある取り組みをされているかを、谷口さんから順に少しご紹介いただけますか。

谷口 柏原には古い民家がよく残っているので、土蔵の中に漆のものがたくさんあります。ところが、最近の方は漆器は扱いが難しいと感じてか、敬遠して使っておられない。そこで、当館で地元の方を対象に開いている「夜学」という講座で、漆器の取り扱いについてお話と実習をしていただきました。そうした個人のお宅に眠っているものも、街道筋の文化財だと思いますので、それが忘れ去られてしまっているのは大変もったいない。日常的に使うところまでいかなくても、床だとか違い棚に飾って目にしていただけるとよいのですが。

駒井 土山町の南東部にあたる山内地域(旧甲賀郡山内村)の6字のうち、猪鼻と山中の2集落に東海道が通っています。

 これに関連して、地域の高齢者の記憶を絵にする「山内ふるさと絵屛風」※4の取り組みを紹介します。草津市では渋川や矢倉などでもなさっており、通常は小学校の学区で1枚の絵地図を仕上げるのですが、山内地域では、6集落それぞれが1枚ずつ制作されました。

 私は、絵屛風を作成するための聞き取りにも参加したのですが、猪鼻・山中の住民からは、やはり街道筋ならではのお話を聞かせていただくことができました。ちょうど山中は鈴鹿峠からゆるゆると下っていく地域で、その次に猪鼻という立場がありました。そこにも大⻆さんのお宅と同じように明治天皇がご休憩された場所もあって、賑わった場所です。

 かつて三重県の亀山で牛の市があった頃には、水口の方に売りにくる牛の仲買人が東海道をぞろぞろと牛を連れて歩いてきたそうです。当時、牛には蹄を保護するために草鞋を履かせました。道ばたで草鞋を取り換えている光景を覚えているとお話しになった方もいました。

 あと、土山には厄除けで有名な田村神社※5という大きな神社があります。そこへも関の方からたくさん参拝客がいらっしゃいました。みんな、徒歩で鈴鹿峠を越えてくるので、草鞋がぼろぼろになる。そのため街道沿いの各家は、庭先に草鞋を引っ掛けておくと飛ぶように売れたそうです。

大⻆ 私の所は個人所有の家ですので、拝観の方はご予約制というかたちでさせてもらっています。以前は月1回土曜日に開放していた時期もあったのですが。

 現在は、「大⻆氏庭園」として国指定名勝になっている小堀遠州作とも伝わる庭園で、カキツバタやサツキが咲く5月下旬から6月上旬の土曜・日曜を、栗東の観光物産協会と調整したうえで開放しています(2019年は5月18・19・25・26日)。

 他にも最近では、秋のお彼岸の中日に、予約なしで拝観していただけるようにしました。対応は、栗東ボランティアガイドの皆さんにもお手伝いしてもらっています。

谷口 米原市にも観光ボランティア協会があって、派遣されてこられます。すべてのお客さんについてこられるわけではなく、大人数の団体の予約があったときに随行されるという形です。

駒井 土山歴史民俗資料館は街道沿いではなく、ちょっと小高い文化公園の方にあるので、街道沿いに東海道伝馬館という、昔の伝馬所を模した建物があり、そこが観光ボランティアの方の拠点施設として使われています。

 観光ボランティアは甲賀市観光協会が申込などを受け付けているので、私たちの属する歴史文化財課とは、行政の仕組み上、分かれてしまっているのですが、やはり歴史的な内容を観光していただくために歴史文化財課にお問い合わせいただくこともあります。

 ただし現状は、土山も水口も観光ボランティアガイドをやってくださる方が減り、後継者育成が課題となっています。

八杉 大きな博物館では、館に所属する案内ボランティアがいらっしゃるところもあり、そういう人たちの力が、資料館や博物館に欠かせないものになってきていると思います。非常に熱心に勉強されている方もおられますので、そういう方と連携していくことも必要でしょう。


※4 山内ふるさと絵屛風 「新撰 淡海木間攫」其の74参照

※5 田村神社 甲賀市土山町北土山にある神社。鈴鹿峠の悪鬼を平定した坂上田村麻呂を祀る。


ウオーキングの街道歩きツアーは急増

八杉 続いては、街道沿いの施設であるため、それを「強み」とした取り組みが考えられるものがあればお願いします。

駒井 どこもそうですが、公共施設の職員の数が減らされたなかで、市民と連携しなければ立ち行かないようになっています。先ほどお話しした「ふるさと絵屛風」は、「山内エコクラブ」という団体との協働事業です。他に甲賀市内では水口の「みなくち自治振興会」が、再び街道筋に賑わいを取り戻すために東海道水口宿盛り上げ事業に取り組まれ、そこに歴史文化財課も関わらせていただいています。

 11月4日に、水口の曳山保有町の有志主催により、点検簿を活用して曳山を保護管理する研修会を開きます。歴史文化財課が曳山の文化財としての価値についてお話しし、そのあとに実際の曳山と点検簿を使って、具体的な維持管理の方法を検討することになっています。

谷口 まず「強み」としては、最近の健康志向から、旧街道をウオーキングする人が増加しました。つまり、館の前を通る人の数は確実に増えましたが、実際に入館料を払って中に入ってくる人は少ない。なぜかというと、皆さん歩くことが主目的ですから、足にしっかりした靴を履いて、何だかややこしい留め方をしておられるんですね。

 当館は、街道沿いに大正時代に建てられた商家を改装した建物で、畳敷きの座敷なども売りなのですが、多くの方は靴を脱いで中に入られず、Uターンされてしまうんです。「弱み」みたいな話になりましたが。

大⻆ 大⻆家住宅も、靴を脱いで上がっていただく建物ですから、ウオーキングの方は二の足を踏む方が多いです。まれには、集団のお一人が「私は電車を1本遅らせて、お金を払って入る」と言われたら、皆さん一気に入られたということもありましたが。

八杉 ここ数年、旅行会社がウオーキング、街道歩きのツアーを非常にたくさん企画なさっています。それも何十人という単位ではなく、草津の場合ですと、何百人単位で連れてこられる。実際、宿場のなかを大勢が歩かれるんですが、残念ながら施設の入館料はその旅行料金のなかに入っていないので、なかなか入館者の増加には結びついていません。それから、やはりトレッキングシューズを履いておられると、脱ぐのが厄介でもある。外から興味深そうにじっくり見ておられても、なかなか(苦笑)。

谷口 足を止めてもらうために、やったこともあるんです。柏原はご存じのようにもぐさ※6を売る店が最盛期には10軒以上ありました。それになぞらえて、併設している喫茶「柏」で「やいとうどん」という定食をつくったんです。「やいと」をすえているような姿のうどんで、お昼に注文いただければ、登録文化財の建物からお庭を見ながらお食事をしていただけますよと宣伝しています。

八杉 せかせか通り過ぎずに、腰を下ろしてゆっくり時間を過ごしていただきたいという気持ちはありますね。

駒井 先ほども申し上げましたが、土山で街道沿いの施設として東海道伝馬館があるのですが、土山宿本陣がある昔の宿場町の中心にあり、ここの館長は解説のお話がすごく上手な名物館長です。そういう人に助けられている部分はすごく大きいなと思っています。

 取り組みとしては土山宿本陣に残されていた江戸時代から明治初期までの宿帳(市指定文化財)の調査がすでに完了しています。土山宿本陣には、現在も当主がお住まいで、現代風に少し手を入れられている部分もあるのですが、かなり昔の雰囲気をとどめている建物です。調度品や古文書もたくさん残っているので、草津宿本陣の調査結果なども参考にさせていただきながら、それらの調査も進めたいと思っています。

八杉 大⻆さんのところも非常に多くの美術品や資料をお持ちですが、いかがですか。

大⻆ 祖母がまだいた昭和60年(1985)頃、皆さんに見てもらったらいいと思って、『過去帳』をテーブルの上に置いておいたら破られたことがあって、これではいけないということで、栗東歴史民俗博物館に預かっていただくことになりました。

 難しいのは住環境が変わってしまって、襖のある家に暮らしたことのある子どもが少なく、襖にさわったり走って回ったりされると、「ちょっと待って」と注意しなければいけない。子どもさんたちにも見学してもらいたいけれど、そこは難しいですね。

八杉 歴史資料や美術品の公開と活用とともに、その裏側に課題として残されるのが保存というものだろうと思います。見ていただいて活用するというのが昨今の動向にはなってきていますけれども、おっしゃったように、保存と活用の両立は難しい。

 谷口さんは柏原の前には彦根城博物館にもお勤めでしたが、そのあたりどうですか。

谷口 年とともにだんだん頭が柔らかくなると言いますかね、脳軟化症なのかもしれませんが(笑)、考え方が変わってきまして。以前はすべてきちっとガラスケースに納めて保存することが第一という考えだったのが、最近は物によっては触れてもらえばいいのではないかと考えるようになりました。

 柏原の歴史館は、撮影室を部屋として確保するのも難しく、よくいえば全部がオープンスペースになっているので、私なんかは居直りまして、展示の動線(来館者が通るルート)のなかで写真を撮影したり、あるいは漆器をクリーニングする作業をしたりしています。

 そうすると、これは一種の逆転の発想だと思うんですが、「へえ、こういうお仕事があるんですね。普段はダベっておられるだけだと思ってました」と感心していただけたり(笑)。作業を見ていただくことで、会話や収蔵品に興味を持っていただくきっかけにもなると思いますし。

八杉 かつての谷口さんからは、思いもよらない発言でございました。確かに、普段の仕事を知ってもらうことも非常に重要で、今回のシンポジウムも、そうした館それぞれの活動を広く知ってもらうという目的もございます。

 ここで、草津宿本陣のお話をさせていただきますと、本日は皆さん椅子に座っていただいていますが、本来和室ではあり得ないことです。けれど、畳の上に座布団を敷いて、1時間半座り続けていただくとなると、なかなか参加していただけない。かつてはこの屋敷のなかで落語会や能、狂言を催していたこともあるのですが、私自身が年を取ってくると、なかなか畳の上に長時間座っているのがしんどいということもあって、だんだん変わりつつあります。

 また、子供を対象としたワークショップをやったりもしています。冬場であればかるた大会とかですね。先ほど、大⻆さんがおっしゃったように、広い畳敷きの部屋というのが最近の子たちにはとても珍しいもので、やっぱり走り回ります。どうしても傷むことも前提に考えていかなければならない。


※6 もぐさ ヨモギの葉を干して、臼でついて綿状にしたもの。火をつけて灸をすえる。


まだまだ整理できていない宿場の資料

八杉 少し話を戻しますが、先ほど駒井さんが土山宿本陣に残された古文書などの調査の話をなさったように、まだまだ近江の街道筋の宿場については整理できていない資料が多く残されており、わかっていない部分も多いんです。谷口さんの柏原宿にも膨大な宿場の資料が残されており、そのデータ化や活用というのも課題かと思います。

谷口 『萬留帳』と言いまして、宿場の問屋場※7を務めた家が代々よろずのことを書きとめた資料です。それが数百年分、大変な量があるわけです。

 その翻刻、つまり活字化する作業を始めて、今年で2年目になります。いろんな切り口で読むことができるものになると思います。江戸時代というのは記録の時代で、非常にたくさんの資料が残っています。

 それと同時に、古文書を読むための勉強会も定期的にやっていただいています。

八杉 柏原宿の『萬留帳』は問屋場の記録で、近江の宿場では残っているものが非常に少ない資料です。これによって、近江の宿場全体の解明にもつながるのでないかと思います。駒井さんのところには、土山宿本陣の宿帳がありますね。

駒井 土山宿には本陣が2軒あったのですが、そのうちの土山家本陣には、計17冊の分厚い宿帳が伝わってきました。昔は紙が大事だったからでしょう、びっちりと細かく文字が記されています。誰が泊まった、誰が休憩した、いくら拝領した、何を食べた、といったことが記載されています。そのデータをエクセルの表にしたところ、休泊者数は約1万6000件を超えることがわかりました。特に幕末になると、勝海舟、篤姫といった有名人の名前が現れます。

 また、土山家は肥後(熊本県)の細川家とのゆかりが大変深く、細川家だけを別に記した宿帳もあります。細川家の記事はすごく細かいので、それをもとに、ある日の食事のレプリカをつくったこともあります。

 これからもいろいろな角度で見ると、さまざまなことがわかってくるかなと思います。平成21年(2009)に『東海道土山宿本陣土山家文書宿帳調査報告書』として刊行したのですが、大変人気があり、在庫はございません。興味がある方は、県内の図書館で探していただければと思います。

八杉 草津の本陣にも元禄年間からの大福帳が181冊が残されていますので、終了後の見学で見ていただければと思います。

 駒井さんのところと同じで、草津でも今年度から文化庁の補助をもらい、本陣文書の調査を始めました。当初の予想以上に多くの資料が新たに出てきており、本陣の経営なり運営に関する認識をくつがえすような資料ではないと思いますが、欠けていたピースがどんどん埋まっていくのではないかと思っています。

 また、草津宿本陣の宿帳だけではわからなかったことが、土山の宿帳や石部の本陣の宿帳などを合わせてみることで、わかることもあるでしょう。翌日、翌々日なりに別の宿場の宿帳に名前が現れるわけですから、有名無名を問わず、ある旅行者の旅程を詳細に追うことでわかってくるものもあるのではないかと思います。


※7 問屋場 江戸時代、街道の宿場で、人馬の継立などを取り仕切り、賃銭の帳付などを行った所。


課題解決に複数館の連携を

八杉 続いては、それぞれの館で抱えておられる課題についておうかがいします。駒井さん、いかがですか。

駒井 やはり近年は来館者数のことをいろいろ言われるんですね。ですが、土山歴史民俗資料館の場合、街道をはずれた小高い場所にあり、なかなかぶらっと入っていただくというわけにはいかない。待っていても仕方がないので、こちらからも出向こうという動きをしています。

 10月4日に開催された「あいの土山宿場まつり」では、土山出身の安井小弥太※8さんという乗り物絵本作家の原画展が街道沿いの土山中央公民館で行われ、そのお手伝いをしました。資料館では、2010年に安井小弥太さんの特集展示をしたのですが、今回、初公開の資料が出てきたということで。

 もう一つの課題は、担当職員が少ないことですね。私自身も兼務している状態で。それならそれで、谷口さんが先ほどおっしゃったような逆転の発想で、こことここをつなげるといった地域をまたいだ企画は考えやすいのかもしれません。複数の地域を巻き込んだ取り組みができないかなと、いまは考えています。

谷口 駒井さんがあげられた土山出身の絵本作家の方のように、地域出身の人物といえば、柏原宿からは吉村公三郎※9という映画監督が出ており、彼が子ども時代にすごした家やゆかりの資料があります。

 また、宿場には共通点と同時に、それぞれ固有のものがあるんですね。地場産業として柏原だったらもぐさです。やはり当時は歩くのが基本ですから足が疲れます。やいとをすえて、リフレッシュしたんですね。柏原の近くにはヨモギが豊富だったので、それをもぐさに加工して大々的に宣伝し、広く知られるようになりました。

 そうすると、宿場内の他の建物などを分館にして、それぞれのテーマを展示するかたちで、宿場をめぐりながら長く滞在していただくという構想も可能かと思います。将来的にも、一つの館で全部こなすというのはちょっと無理があるだろうと思っていますので。

八杉 街並み全体が博物館のようになっていくというのも一つの方法ですね。

 草津で私どもが常に課題と思っているのは、先ほど駒井さんもおっしゃった入館者数の問題です。今日ここにお座りのどちらかといえば年齢層の高い皆さんを前に言うのも気が引けますが、次代を担う子どもたちに、もっと興味を持ってもらう取り組みも必要なのではないかと思っています。そのための仕掛けをしたりもしているのですが、なかなか今の子どもたちは休日でも塾やスポーツクラブで忙しいのか、興味を持ってもらえない状況です。当館の職員はそういう部分ですごい努力をしていますが、なかなか反応がありません。

 街道や宿場の魅力をどうやって発信していったらいいのか、何かアイデアはお持ちですか。

谷口 館どうしの連携は今後やっていかなければならないでしょうね。共通点のある資料を貸し借りして比較した展示にすると、興味が湧く部分も出てくるかもしれない。

駒井 私も、やはり館同士の連携はすごく大事だと思います。先ほども八杉さんがおっしゃったように、それぞれの宿場の資料は比べるものが多ければ多いほど、いろいろなことがわかってくると思います。

 残念ながら水口の本陣の資料は残っていないのですが、そうした県内の本陣関係の資料を一堂に展示する巡回展を催すとか、もっと小さなテーマでもよいので連携を進めていけたらよいと思っています。

大⻆ 極力皆さんのご要望にお応えできるようにやっていこうとは思っています。

八杉 街道文化の振興に取り組んでいる全国街道交流会議という組織が、街道資料ネットワークの構築をし始めています。これは、街道関係の資料をあまり面倒な手続きを経ずにお互い貸し借りをして街道をアピールしていくために立ち上げられた組織で、東京や埼玉など遠方の館とも連携して、お互いに情報交換や提案をしながらやっています。

 一つの館で知恵を出すより、二つ、三つ、四つの館で知恵を出し合えば、もっとよいアイデアが出てくるんだろうと思いますし、そういう助け合いも、道でつながった資料館だからこその特徴であると思います。


※8 安井小弥太 (1905〜1985)昭和初期から児童雑誌『コドモノクニ』や『少年倶楽部』に挿絵を掲載。『はしれ機関車』『世界の乗物』などの絵本で人気を博す。

※9 吉村公三郎 (1911〜2000)大津生まれだが、実家は柏原宿の庄屋。『安城家の舞踏会』(1947)、『偽れる盛装』(1951)などが高い評価を受ける。


博物館は人がいないと「怖い」

八杉 それでは、ここから来場者の方との質疑応答に移ります。

質問者A 大津に住んで1年半の者です。大津の周辺で生まれた近江八景に非常に興味を持っています。草津宿については、近江八景を描いた歌川広重が東海道五十三次の浮世絵も描いているのを見たり、有吉佐和子の小説『和宮様御留』に中山道を通る道中で草津宿で昼食をとったことも書かれていたので、「そうなのか」と認識しました。

 お城でも日本城郭協会監修の『日本100名城』という本には、スタンプ帳がついていて回りながら押していきます。西国33カ所の御朱印を押していくのと同じ感覚です。私はまだ三つほどの宿場町に行っただけですが、スタンプ帳みたいなものがあれば、あちこちの宿場町を回ってみたいと、いろいろな世代の人を、引きつけられるのではないかと思います。

八杉 ありがとうございます。何年か前に県の博物館協議会でもスタンプラリーをやりましたが、継続的にそうした取り組みを考えていければなと思います。

谷口 子ども世代向けとしては、以前街道関係の言葉を入れた数え歌をつくっていただいたことがあります。「一番初めは一里塚」とかいって。うちの息子も30歳になりましたけれども、子どもの頃、その数え歌を盛んに歌うので、ついつい親まで覚えてしまったということがあります。最近、地元の史跡保存会でカルタ作りを始めているのですが、手法としては、そういう歌でなじんでもらうというのもあると思います。

質問者B 新選組の山南敬助は京都から江戸へ向かおうとして、大津の宿で沖田総司に捕らえられるわけですけど、一歩進んで草津宿まで来ていれば、中山道と東海道とに分かれる場所ですし、沖田は山南を連れ戻せなかっただろうという話もあったりして、草津宿はおもしろいところだと思うのですが、それは置いておいて。

 私は博物館によく行く方なのですが、例えば大津市歴史博物館などでも「あれ? 私一人」というようなこともあって、はっきり言って博物館はあまり人がいないと「怖い」感じがします。そのせいで、ササッと見て出てしまおうという感じになる。

 栗東歴史民俗博物館では、ちょうど学芸員の方がいらっしゃり、「一人で怖いから」とお頼みしたら、各コーナーごとに解説してくださって、とても勉強になりました。いつも学芸員の方につきそっていただくのも難しいと思うので、一人でも長くいられるような工夫があったらよいと思います。

八杉 そういう時は、貸し切りだと思ってくつろいでいただければ(笑)。受付や事務所にお声掛けいただければ、学芸員なりがつきそうことも可能だと思います。

 それではそろそろお時間です。本日は4館の担当者が集まりましたが、他にも街道沿いの資料館・博物館が数多くあります。複数の館が連携し、近江の歴史を発信できればと思っています。本日はありがとうございました。 (2018.10.28)


編集後記

座談会が行われた10月28日、草津駅前周辺は「クサツハロウィン2018」が催され、草津宿本陣前の旧東海道も延々と仮装した人の列。2ページの外観写真を撮影したカメラマンもひと苦労。その前の昼時間には、京都橘高校マーチングブラスバンドの行進を旧草津川の公園から鑑賞。独特のガニ股振り付けは、高速の奴振りに見えなくもありませんでした。(キ)


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