インタビュー:歴史的にも深い関わりのある湖北の地で、地域との一体感が生まれることを期待します。


小林文博 小林文博(こばやし・ふみひろ)
1975年、ヤンマーディーゼル株式会社(現ヤンマー)入社。船舶の開発部門に配属された後、木之本工場の農業用トラクターの開発部門へ。1990年から新商品開発(ゴルフカートなど)を担当。1997年、建機部門(福岡県筑後市)に異動。開発部長、事業部長を経て、2004年、同部門が分社化、ヤンマー建機となったのにともない、同社社長に就任。2013年、ヤンマーミュージアム開館にともない初代館長に就任。

──企業博物館は、本社の隣の一画に設けるようなことが多く、ヤンマーの場合なら、大阪本社の近くに開館なさるのが普通だと思いますが、それが長浜にできた。これは非常に珍しいケースでは?

ヤンマーグローバル研修センター

(1)ヤンマーミュージアムと隣接して、今年2月に竣工したヤンマーグローバル研修センター。海外もふくむヤンマーグループ社員の教育の場となる

ヤンマーは昨年3月に100周年を迎え、今年は101年目にあたります。そこでグローバルな人材育成をめざし、長浜工場の南に研修センター(1)の建築が計画されました。そこには、社員に当社の歴史を学んでもらう、創業者の想いを伝える場として展示コーナーを設ける必要がある。それなら、「一般の方にも当社のことを伝える場ができないか」と現社長が考えたのが、当館の始まりです。実際完成してみると、当初の研修センターよりも、こちらの博物館の方が派手になってしまいましたが(笑)。

おっしゃったように、大阪本社の近くでもよかったでしょうし、尼崎(兵庫県)の工場には小さいものですが資料館があるので、それを拡大するという選択肢もありました。けれど、満足いただけるものをお見せするにはある程度の面積が必要なため、もともと長浜工場の敷地内で研修所のあったこの地が選ばれたということです。

創業者である山岡孫吉生誕の地ということで、工場群も多いですし、従業員をふくめ関わっている方が多い地でもあります。長浜工場設置が昭和17年(1942)ですから、ヤンマーのモノづくりの現場に3代続けて携わっているといった方もおられます。歴史的にもトータルで深い関わりがある湖北の地の方が、都会よりも館と地域の一体感が生まれるのではないか、という期待もあります。

──もとは入社当初に来る研修所があった場所で、社員の方には非常に懐かしい地だそうですね。

そうです。だいたいここで「刷り込み」をされたんです(笑)。まず、文化系・理科系の区別なく全員が、エンジンをばらして、組んで、基本を学ぶということをやるんですね。数人のチームで1台をあてがわれるんですが、あんがい理系だから速いというわけでもなくて、おもしろかったです。

──「ヤンマー」と聞いて多くの人がイメージするのは農業機械だと思うのですが、やはり基本はディーゼルエンジン、発動機ということですか。

社内を見てもそういう雰囲気はありますね。100周年を迎えましたが、明治45年(1912)の山岡発動機工作所設立から50年間、前半はエンジンメーカーでした。半世紀たった昭和36年(1961)に、本格的に農業機械丸ごとをつくるヤンマー農機を設立しています

──「ディーゼルエンジンとは何か?」からお尋ねしてよろしいですか。

あの玄関にドンとある大きなMAN社のディーゼルエンジンから説明し始めると時間がたりませんね(笑)。ガソリンエンジンとの違いは、一言でいえば、「点火プラグがない」ということでしょうか。ディーゼルの場合、空気を圧縮して、かなり高温になったところに霧状にした燃料を吹き込み、自然に燃やします。ガソリンの場合は空気と混ぜてタイミングを合わせなければいけないので、質が悪いとノッキング(異常燃焼で金属性の打撃音と振動を生じること)を起こしたりします。一方、ディーゼルは、重油や軽油など、質の悪い油でも燃料にできます。コールタールに近いようなものでも、暖めて少しゆるくできれば使えます。大型船の場合は、経済性からそういう低質油を使っています。

──創業者の山岡孫吉さんは、燃料費が安くすむ点でユーザーのためになると目をおつけになったわけですね。

湖北の農村(2)に生まれ育った山岡は、農業分野での需要があることがわかっていました。最初は石油エンジンを製造販売していたのですが、昭和7年(1932)に視察で訪れたドイツ・ライプチヒの見本市でディーゼルエンジンに出会い、国内用にその小型化に取り組みます。翌年、世界初の小型ディーゼルエンジンHB型(3)を完成させ、昭和11年(1936)に尼崎に設立した山岡内燃機でディーゼルエンジンの生産を開始しました。

ヤンマー会館と小型横型水冷ディーゼルエンジンHB型

左=(2)山岡孫吉のふるさと、長浜市高月町東阿閉。中央にそびえるドイツ・ゴシック様式の塔をもつ建物は、1958年に山岡が私費で寄贈した東阿閉公民館。通称「ヤンマー会館」(写真提供/長浜市)。右=(3)1933年に完成した世界初の小型横型水冷ディーゼルエンジンHB型(山岡孫吉記念室に展示)。2009年には経済産業省より「近代化産業遺産」に認定された

戦前は、エンジンと、それぞれの作業をする機械は別売りで、両者を平ベルトでつないで動かすというかたち(4)だったわけです。そのエンジンで籾摺機を動かしたり、水を田にあげる揚水ポンプを動かしたりして、農業現場の機械化が始まったんです。コンバイン、トラクター、田植機などの一体化した状態の機械が商品として流通するようになったのは、昭和30年代ぐらいからです。展示しているものでいえば、昭和40年前後の耕うん機(5)が1台ありますね。

NK2型ディーゼルと耕うん機PM型

左=(4)平ベルトでつないで籾摺機の動力として用いられているヤンマーのNK2型ディーゼル(昭和30年、『農穣無限─ヤンマー農機20年のあゆみ』より)。右=(5)1階に展示されている耕うん機PM型。ヤンマー農機が発足したばかりの頃の製品で、まだベルト部分にカバーもない

──農業機械の特徴として、田植機であれば泥の中のように厳しい環境で動かす点があると思いますが?

先輩方の苦労はあったかと思います。泥の中の場合だけでなく、土の性質は千差万別なんですね。作物の生育状態によっても変わりますし、台風で倒れたあとの刈り取りなんてことも起こります。温暖な地域と寒冷な地域の違いもあります。国内だけでも千差万別のそれらの諸条件に対応できる、懐の深さというのが要求されます。

──もう一つ、農業機械の特徴として、年1回しか動かさない。この点は、メーカーとしてどう対応なさってきたのでしょうか。

その面でも、ディーゼルエンジンであることが有効だったと思います。ガソリンエンジンの場合は、燃料が残っていると揮発分、着火しやすい部分が全部飛んでしまい、それ以外のガム状のものが残って、キャブレター(燃料を吹く霧吹機にあたるもの)がつまってしまうんです。燃料を抜かないでいると、翌年は動きません。

ディーゼルの場合は燃料の性質上、その心配はありません。もちろんバッテリーは充電する必要がありますが。

──館内には農業機械以外に、船や建設機械なども展示されています。これらの分野との関わりはいつからになるのでしょうか。

戦後まもなくは食糧難を克服するために漁業が奨励されたので、漁船用エンジンが稼ぎ頭だった時期がありました。戦後、海軍の技術将校だった人々を多数ヤンマーに招いて、艦船の技術を漁船の技術として使い、信頼性の高いエンジンにしたという経緯もあります。以来、小型漁船エンジンは高いシェアを誇っています。

時期的には、その次に地方の農機メーカー向け農業用エンジンの需要が増加する時代が訪れ、やがて提携して農機製造の道が開かれていきました。

一方で、東京オリンピック以降、交通網や上下水道の整備が進む中で、土木建設業界向けに人力作業を省力化する小型建設機械を開発していきました。

──21世紀に入ってからはどんな変化が起こっていますか。

やはり、海外展開が活発になったということはいえるかもしれません。いまはちょうど東南アジアが数十年前の日本のような時期に来ていると思いますね。農村の男子が工場に勤めるために都会に出て行く。農業従事者が減ってくるので、機械化せざるをえない。農業機械の場合、これまでに蓄積されてきた技術が、東南アジアの水田で花開いてきたように感じます。

ただ、東南アジア向けで大変なのは、稼働時間の長さです。タイやインドネシアは地域によっては年3回コメが収穫できます。日本の場合、数十時間ですんでいた年間稼働時間が、1000時間、2000時間ということもありうるので。

──小型エンジン部門である長浜市内の工場でできたエンジンも多くが輸出されているのですか。

小型エンジンの中でも、私たちが新入社員研修で分解したようなシンプルな構造のものは、タイやインドネシアの工場でつくっています。長浜の工場でつくっているのは、高い技術力、高い精度が必要なものに特化しており、販売先は、国内と海外の建設機械や農業機械のメーカーです。国内メーカーでいえばコマツさんのショベルにはヤンマーのエンジンが積まれていて、製品の半分ぐらいはコマツさんのショベルとして海外に輸出されています。中国の機械メーカーさんでも、自社製品を外国に輸出する場合、エンジンだけは耐久性の高いヤンマー製です。価格面で高くても買っていただいています。

つまり、欧米や中国の機械メーカーに部品としてエンジン単体で買っていただく場合、国内のお取引メーカーで商品にまで仕上げられて輸出される場合とがあり、最終的に働いているのは海外が多いと思います。

──最後に、館の見所をお教えください。

一番はやはり本物にさわれるという点ですね。子どもさんに一番人気があるのは、ミニショベルカーの操縦(6)と船の操縦のコーナーです。日曜日には長い列ができてしまっていますが、本物にふれる機会、まして動かす機会というのはなかなかないですから、ぜひ体験していただきたいですね。

1階展示室

(6)1階展示室は、農業ゾーン、まちづくりゾーン、海洋ゾーンに分かれ、それぞれで用いられる農業機械、建設機械、船舶での試乗・操縦体験ができる


2階エンジンギャラリー

2階にあるエンジンギャラリーでは、各分野のエンジンが時代順に展示され、その技術進歩を学べる。写真は、小型船舶用のディーゼル船外機

──まだオープンしたばかりですが、入館者の傾向はいかがでしょうか。

いまは圧倒的に親子連れさんが多いです。現在(取材時)は春休みということもあるのでしょうが。若い親御さんとそのお子さんか、お孫さんとおじいさん、おばあさんの組み合わせがほとんどです。

他に、トラクターや田植機をお使いになっていた農家の方が、「昔、使ってたんだ」と言って、ガイドの者と話し込んでおられる光景もみられます。

ゆくゆくは、小学校や中学校の生徒さんに団体で来館いただき、ものづくり全般やエネルギー分野の学習の場となることを想定しています。(2013.4.4)

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