2006年 12月 21日

彦根歴史散歩発売

11月発売予定が大変遅れたものの 彦根歴史散歩がようやく完成。
深い城下町の歴史を刻む城下町彦根の本格的なガイドブックとなり、興奮気味。

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NPO法人彦根景観フォーラムのみなさんが、原稿執筆いただいた成果でもある。

彦根城ができるまでの彦根山には、信仰を集めた観音様がおられた。そして彦根城築城前には、三成の居城としていられる佐和山城が勇姿を誇っていた。そして300年、城下町彦根の繁栄の時代が続く、そして明治、・・・・だめだめこれ以上は本を読んでください。

過去から未来をつむぐというサブタイトルどおり、歴史に学びながら現在の町を確認し新たな展望を考えようとする景観フォーラムの皆さんの熱意が伝わってくる。
地元出版社ならではの視点で、城下町の新しい発見が満載。
今月末には書店に出る予定。
今少しお待ちください。
そして予習のうえ、400年祭には是非彦根>においでください。

12月22日中日新聞で報道されました

2006年 12月 15日

ひこねのよいにゃんこのおはなし

今朝の滋賀県の新聞は一斉に、「ひこにゃんが彦根城をすすはらい」の記事が写真と共に掲載。ひとめ其姿を見ようと大阪からわざわざやって来た人もいる。昨日は彦根城天守周辺はヘリコプターが飛び交い、報道陣や見物の人でごった返したそうだ。

大人気のひこにゃん絵本がいよいよ1月の完成。明日から予約注文を受付が始まる。12月27日まで絵本を予約すると特製のオリジナルシールのプレゼントがある。

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「待ってたのよ」という嬉しい声がかかり、どうやら絵本にも人気が集まりそう。作者の初の絵本、どんな展開になるかあと少しお待ちください。

2006年 12月 9日

乾憲雄さんおめでとうございます

淡海文庫①『淡海の芭蕉句碑』の著者の乾憲雄さんが、中日社会功労賞を受賞され、今朝の新聞にはにこやかな乾先生の受賞談話が掲載されていた。
やさしいお話しには定評があり、先生が主宰される歴史散歩はいつも盛況である。それがなんと300回以上も継続開催されていたという。
こよなく芭蕉さんを愛し、自坊を芭蕉さんの寺と自認されるほどのほれ込みようである。
平成3年、滋賀県人会発行の「全滋蓮」という機関紙の創刊と同時に乾先生にご執筆いただいた「淡海の芭蕉句碑を歩く」が、芭蕉没後300年の年、淡海文庫の創刊を飾っていただいた。

先生の熱心なご推挙と乾先生のファンの温かいご指示で、淡海文庫の存在が世間に知れるところとなり、おかげさまでシリーズ36号まで発行が続いている。
ますますお元気で楽しいお話をお聞かせいただきたいものである。

2006年 11月 16日

浅見素石さんを偲んで

本年5月にお亡くなりになった浅見素石さんを偲ぶ会が催された。
「葬式は不用」「戒名もいらない」「納骨をしないで散骨して欲しい」ただし「残した作品の展覧会だけは開催してもらいたい」というご遺志によって、「びわこ疏水とさざなみの会」の皆さんのご尽力で15日から23日まで、大津市歴史博物館で「浅見素石遺作展」が開催されている。
昨日夕刻にはNHKですでに遺作展の様子が伝わり、今朝の朝刊にも報道されていた。

博学、博識な方で、物欲は少なく、探求心が旺盛、そしてこよなくお酒を楽しまれた浅見先生にふさわしく和やかな「偲ぶ会」であった。昨年には、びわ疏水とさざなみの会の設立20周年を記念して発行された『よもやまばなし琵琶湖疏水』が最後の著作となった。

すでに当時腰痛に悩まされおられたが、とにかく話を始めるととめどなくお続けになる方だけに、出版までの間の期間、先生のお話を伺うことができる多くの時間をいただいたことを心から嬉しく感謝している次第である。

以前に『近江の玩具』でも大変お世話になったが、10数年前に取材に伺ったことが始めての御出会いである。大津市が北緯35度線上にあることから35度線上の都市を訪問しようという企画がもとあがっていた当時である。そして淡海文庫が誕生したときでもあった。「淡海文庫」生みの親のお一人である池内順一郎さんがこの時の取材に同行されていた。つい先日のように思える野田が池内先生も彼岸の人、ちちのようなやさしさと厳しさでご教示いただいた方を失ったことの寂しさと同時に、過ぎ去った時間を懐かし区感じたものである。

言葉に表しようのない画然かつ稜々とした浅見先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

2006年 10月 16日

紅白の芙蓉

咲き始めが遅れ、気をもんでいたが、気温が低くなったこと、日差しが柔らかなことが影響したのか、今年の酔芙蓉は、長い時間楽しむことができる。
夕刻には、赤く染まるのが、朝になってから赤くなり、毎日紅白の2種の芙蓉のコントラストが美しい。
しかし、毎日2日酔いをしているようで、少々気が引けそうな感じもするのではあるが。

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2006年 10月 12日

本当の近江商人

視察研修の同窓会お集まりの余興として「近江商人」の話をせよとのことで長浜に出かけた。
少人数のお集まりだったので、テーブルを囲んで、和やかであったが、開口一番「みかたよしさん」といわれてしまった。
「三方よし」はまだまだ定着していないらしく、「さんぽうよし」と読んでもらえないことは多い。

さらに続けて「近江商人といえば西武の堤氏がそうなんだね」またまたパンチ攻撃が続く。
すぐさま「いいえ、近江のご出身ですが」と言葉をさえぎってしまった。

お客様に対して自尊心を傷つけた態度であったことを反省はしたが、そのままではすまなかった。そしてすぐさま本題に入り、近江商人の経営理念が今見直されていることを話した。

琵琶湖が滋賀県にあることの認識が薄いと同じぐらい、まだまだ近江商人に対する認識は浸透していない。当然ながら「三方よし」の経営理念は言うに及ばない。
こうした現状を打破したい思いから出版したのが、まもなく、発売となる『近江商人ものしり帖』である。

わかりやすく、親切な構成、さらにはお手軽な価格設定にしたので是非多くの方に読んででもらいたいと願うばかりである。

2006年 9月 22日

てくてく中山道

中山道をテレビカメラが踏破するという企画「てくてく中山道」が今週から始まった。そして本日は高宮宿から鳥居本へ。
夕刻に旅人 勅使河原郁恵さんをはじめスタッフが合羽所に到着。鳥居本名物の合羽の取材があった。
江戸時代、人々が徒歩で旅した時代、雨の多い木曽路を目前にここ鳥居本宿で雨具の準備をしたのである。
盛時には20軒余の合羽所がこの宿場にあり、鳥居本宿名物は赤玉神教丸とともに鳥居本の三赤といわれた。赤玉神教丸は今も400年の歴史を伝えて製造されているが合羽は戦前にその生産が終焉し、歴史を伝える人も殆どなくなった。という私も、実際のことは何も知らないが、遺された仕掛品や版木、さまざまな情報でその概略が少しずつ判明し、わずかながらも人に伝えることが出来るようになっ次第。
合羽製造に従事していた方のお話を聞いていたことや遺された遺物からの推測以上のことは説明できないが、次第に状況が解き明かされることが今の楽しみである。
先日新たに、合羽の仕様書が出てきた。思い切って再現するというのもいいかなと思うこの頃である。
本日の取材のようすは25日に放映されるらしい。

2006年 9月 7日

信長の楽市楽座令と近江商人

三方よし研究所恒例のなるほど三方よし講座がいよいよ10月から始まる。今年は、近江商人が誕生した近江の歴史的背景に迫る企画となっている。10月7日には安土城下町散策と講演の集いを行う。
滋賀県がAKINDO委員会を解散後、三方よし研究所を設立し、小さな力ではあるが、近江商人の経営姿勢を広く全国に伝えよることを目的としている。興味のある方は是非ご参加を。

2006年 9月 5日

近江の発信力

このところ三方よしに関する取材が多い。本日は『近江の商人屋敷と旧街道』を携えてご来社された。三方よし研究所発行、サンライズ発売の近江旅の本シリーズである。情報を確実に発信できていると思うと嬉しい限り。

このAさん、滋賀は今まで通過していたばかりだったが、「やってきて始めて感じたのが、なんとも興味が多いことか。」とおっしゃる。当然でしょう。古くからの歴史の宝庫であり、自然環境が多彩、しかも現在も確実に前進しているのだから、とつい胸をはってしまった。

7月以来、滋賀での取材が続き、まだ少しかかるらしい。はてさて、今日の取材の結果がどのように料理されるか楽しみである。

それにしても、滋賀県が格好の発信源であるAKINDO委員会を終息してしまったことは惜しいと何度も言われた。AKINDO委員会が目指していたものは「近江商人の理念を新しいまちづくりや産業おこしに生かす」ことであったが、現在の経済社会状況の中、企業の社会的責任は、当時の目的をはるかに超えて重大な問題になっている。いまこそ近江商人をアピールできる大きなチャンスであり、滋賀の発信力を増大するべき時であるはず。

行政が事務的に10年を経過した事業の見直しということを繰り返していては、この先本当にしなければならないことが見えてはこないのではないだろうか。とはいえ、弱小NPO法人三方よし研究所が行政と同様の事業展開は困難である。
しかしながら、私たちらしい展開を発揮しなければ、それこそご先祖様に顔向けできないではないか。済んだことを悔やむことなく、それこそ進取の気性で歩みたいものだ。

2006年 9月 4日

江州刀工の研究

出版のお話が出てから、実際本が完成するまでには相当の時間がかかることはたびたび起こる。
原稿が未着という場合が最も多いが、原稿が揃ってからもさまざまな事情で遅れることが、かなり頻繁に発生すると、周辺事情にこれまた被害が及ぶ。

このたび、ようやく発行できた『江州刀工の研究』も足掛け3年にわたり、つらい思いをしていたが、中日新聞紙上の著者岡田孝夫さんのにこやかなお顔がを拝見して安堵した次第。長期間、お待たせしましたこと本当に申し訳ありませんでした。

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