2007年 11月 22日

昭和30年代の記憶の写真展開催中

と き 平成19年11月29日(金)~12月7日(金)

ところ 東近江市立八日市図書館 2階集会室
 

 

このほど、東近江市の野村しづかずさんが『写真で綴る湖国の原風景-昭和三十年代の記憶-』を出版された。
本書に寄稿されている画家成瀬国晴さんが「この写真集を手にしている間、涙が頬を伝い止らなかった」と記しているように、この時代をすごした人にとっては、思いっきり郷愁を誘う写真が詰まっている。さらにご自身の克明な調査と資料をもとに丹念に書き上げられた時代の背景が、タイムスリップしたような気持ちになる。

大阪から疎開して、近江湖東地域で少年時代を過ごした成瀬さんにとっては真実の言葉であろう。

昭和三十年代に撮影されたと同じ場所に再度出かけてその変遷のようすが収まっているだけに、時の流れと時代の変化が良くわかる。
本日の中日新聞朝刊には野村さんの晴れやかな笑顔が掲載された。写真集発行を記念した写真展が11月29日から東近江市八日市図書館で始まるが、書籍とは異なった感激となることが今から楽しみである。野村さんおめでとうございます。

2007年 10月 27日

初体験「番方講」

 ご町内会からの要請を受けて、はじめて「番方講(ばんがたこう)」なるものに参加。車で迎えにきてくださったベテランのIさんは、番方講用の輪袈裟を準備してくださり、本日の行事内容を簡単にご説明いただいた。
 浄土真宗の門徒としての最大の行事が報恩講であり、宗祖親鸞聖人の命日である11月28日の前後に、その遺徳を偲ぶ法会が報恩講であるが、当地ではとくに番方講という組織があり、当番寺院の回り持ちで開催され、周辺から数十人が参加する。講は、各地にさまざまあるらしいのだが、この番方講は本山でも一目置かれている存在であるという。
 なんでも弾圧から逃れた蓮如がもち出し、大津三井寺の近松坊に移した親鸞の遺影を7年間にわたってお守りしたことが番方講の始めであるらしく、この講が今に続く。
 現在、滋賀県内の蒲生・神崎・愛知・犬上・坂田五郡の3500戸で構成され、現在は形式は大きく変わってきているが、戦国時代からの歴史ある行事なのであった。
 郷土料理の中には「お講汁」と呼ばれる報恩講に否んだメニューがあるが、この日のための特別メニューだったのであろう。本日も、簡素になったとはいえ、味噌汁や、手作りらしい漬物が用意されていた。
 ほとんど知識なく参加したが、連綿と続く近江の歴史の奥深いことを再認識するとともに、凛とした雰囲気の本堂で、お経を唱え、法話を拝聴し、そして心づくりのオトギおいただき、身も心もすがすがしい気分になった。
 それにしても、戸数20数戸という小さな集落で寺院の維持も大変だろうと人事ながら心配する。番方講にはご本尊があり、このご本尊をお迎えしたときの報恩講はそれは大変だと、帰りがけにIさんから教えていただいた。

2007年 10月 26日

信楽汽車土瓶

汽車で旅した時代、「旅の友 お茶」は陶器の土瓶であった。
この汽車土瓶の大半が、日本の六古窯のひとつ信楽で作られ、その製法にもとことんこだわり続けていたという。

知的障害児をあずかる信楽学園では、開所当時より、地域の暖かい支援の中で、汽車土瓶の生産を行い、彼らの生産技術習得と自立への道を切り開いていった。

今では、土瓶型のポリエチレン製、あるいはペットボトルのお茶が主流になったが、このたび発行した『信楽焼 汽車土瓶』では信楽汽車土瓶の歴史をたどるとともに、作り手たちにも目を向けている。

編者は、『信楽焼の考古学的研究』を著した畑中英二さん。
仕事上のお仲間の協力で、このほど完成。現在、甲賀市土山歴史民俗資料館では、本書に掲載された汽車土瓶の展示が行われ、27日には畑中さんの記念講演会が開催される。
日本の近代化とともに始まった鉄道の旅は、弁当とともにお茶を販売するという日本独自の駅弁文化を生み出し、その中で多くの汽車土瓶が信楽で作られたことを著書では詳述されている。

引き込まれるように読み進む中、青春時代に、中央線に乗ると必ず塩尻で釜飯を求めたことが思い出されてきた。

2007年 10月 23日

老舗学

NPO法人三方よし研究所の主たる事業として「なるほど三方よし講座」を1年に3回程度開催している。今年は「老舗に学ぶ」をテーマとしている。しなやかにしたたかに長年、営々と事業を継続してきた背景を探ろうという趣向である。

先月には、五個荘出身の近江商人、京都の塚喜商事社長の塚本喜左衛門さんのお話を伺い、そして塚喜さんの社会貢献事業に一端を見学させていただいた。
その感動覚めやらぬうちに、今回の「赤福問題」が浮上。
 おかげ横丁の事業展開を見学した折には、随分と感激した印象が残るだけに、残念な気持ちで一杯だ。

来月には、老舗学研究会代表の前川洋一郎先生から「今 なぜ老舗が話題か」をテーマのお話を聞く予定になっている。前川先生からは業態変革を続けながら、暖簾を守ってきたその底力を聞こうとするものである。今回の問題を、どのような見解でお話いただけるのであろうか。

2007年 10月 15日

藍は青より出でて・・・

サンライズ出版が加盟する日本グラフィックサービス工業会(通称ジャグラ)の組織の中の任意団体の一つに藍友会という組織がある。表題のとおり、子どもが親を追い越し成長することを願い命名された。ちなみに全印工連(全国印刷工業会連合)には同様のグループが緑友会という。後継者問題解決の手段としての設立でもあった。

業界の時代を担う若者らがともに悩みを打ち明け研鑽し、輝かしい企業と業界を目指そうと1967年に設立。いまから40年も前のことである。

設立当時の思惑のとおり、藍友会からは業界リーダーが多く誕生し、今も業界を牽引しているが多い。
40年も経過すると紅顔の美少年もダンディなシニア世代となった。すでに次代にバトンタッチをした人もあり、残念ながら鬼籍に入った人もいる。それでも長年、互いに膝と突合せ問題解決を求めてきた仲間同士はお互いに心が通い合い、毎年1度各地で出会う機会を作っている。

今年は有馬温泉に集い、六甲、明石、灘で遊んだ。

総勢30数名の中、チャーターメンバーは数えるほどだが、私もそのひとり、まだ学生だった時、仕事のことはほとんど理解のないまま、この会で多くのご教示いただき、必死で追いつこうとした時機があった。

次に逢うまでには必ずや、という目標設定を作って1年業務の励んでいた頃を懐かしく思う。現在と大きく違った情報環境の中、都市と地方の、また最先端企業と零細企業の格差は大きく、話題についていけえないことも多かった。しかし、ここで学んだ一番大きなことは、独自色を強化するということであったと今思う。

かつて業界団体は護送船団のようにみんな一緒に夢を追っていた。しかし今は違う。今年も出会ったそれぞれが、各地で独自色を強化している。40年を節目に今後は親睦を中心の集いとなることと決定。

来年は四国での開催が決まった。口にすることはなくとも、また新たな目標に向かう第一歩が始まった。楽しかった2日間の別れと告げた新大阪駅。この日は一番の人気商品「赤福」が姿を消していた。

2007年 10月 11日

応募してみました一夜城の幟

彦根商工会議所青年部のみなさんからのお知らせで、先月華々しく開催された佐和山一夜城イベントの幟をお分けしますとのこと。
佐和山が目の前のサンライズにとっては必需品だとばかりに、「ほしい」と手を挙げたのでした。
ただし応募者多数の場合は抽選らしく、しばらくは情勢を静観という状況。

今年一夜城ができた清凉寺側の反対、鳥居本内町町内会でも、新幹線から見えるところに是非とも「佐和山城」の大きな看板を立てたいとの意向があるらしい。

国宝彦根城は素晴らしいが、佐和山城ファンも多い。早く大きな表示ができることを希望するものだ。

2007年 10月 4日

京都 美山に魅せられた山崎昌伸さん

京都美山のかやぶきの里の風景や芦生の自然に魅了されて絵を描くことを決意された山崎昌伸さんの詩画集『心の詩(うた)』が完成した。

繊維会社を退職後スペイン各地を旅し、その後に訪れた美山に大きな感動を受けたといわれ、野山の植物を描き続け、知人らに送った絵手紙は2600通に及ぶといわれる。

そして、『里山百花』を通じて作者の江南和幸さんとの出会いがあり、このたびの発行となった。

自然に風情が漂う植物に添えられた温かいメッセージが全体にやさしい雰囲気になり、作品展会場で、お願いすれば、好きな植物を描いてもらえることも多くのファンに支えられている原因のようである。

10月12日から美山かやぶき交流館で、作品展が始まり、ここで発売される。
ようやく秋めいてきた今日この頃、さぞかし美山の秋は美しいことだろう。

2007年 9月 25日

琵琶湖文化館閉館か

屋根の上のトンボが象徴的な琵琶湖文化館が閉館されるらしいという。
滋賀県で最も古くまた収蔵品(寄託が多いらしいのだが)も多く、残念なことである。

国宝、重要文化財、県指定文化財など合わせて70件以上を越え(『淡海の博物館』より)、近江の文化の特質を知ることが出来る有数の施設である。

ただし、エレベーターがなく、職員のみなさんの負担は大きいという。それでも、毎年、素晴らしい企画展が開催される。しかし、入場者はいつも多くはない。

かつて、写真家の壽福滋さんが、水族館跡のギャラリーで「杉原千畝」の写真展を開催されたが、会場の特質を旨く利用された素晴らしい写真展であった。この施設でこんなに感動的な構成ができるのかと目を見張ったものである。

閉館となった過程の中では、建物の老朽化というだけではなく、利用の仕方や運営面にも大きな問題があったのではないかとも思える。

閉館となれば、ここの多くの文化財はどこに行くのだろうか、心配なことである。

水族館施設が琵琶湖博物館に移ったことも入場者減に結びついているのかもしれないが、ここに至るまでになんらかの方策がなかったのであろうか。
全国で有数の文化財を保持する滋賀県に文化博物館も文書館もないというのは、あまりにもお粗末なことである。

幸いにも、近年、県内には民間の優れた博物館施設が誕生し、積極的な企画展の開催や設備拡充で、大きな成果を見せている。そしてこれら施設に訪ねた人が周辺観光地に立ち寄り近江の文化の奥深さに惹かれる人が多い。先だって取材のお手伝いをしたTさんもその一人。

「白州正子の世界展」で初めて近江に来て、大きな感動を受け、そしてご自身が担当する雑誌に近江特集を組んだのであった。
昨日、出来上がった雑誌[ACT40]が届いたが、「日本の憧憬を往く、近江」と題した近江特集は素晴らしい近江の文化を紙面一杯に構成されていた。

今までに見たどの近江特集よりも素晴らしく、おそらくTさんのあふれんばかりの感動がこのような形になったと思う。女性が読者だというが、この反響は楽しみである。

琵琶湖文化館の行く末も心配ではあるが、何よりも多くの文化財のこれからの行く末が気がかりである。

2007年 9月 21日

にゃんこと社会貢献事業に取り組む

学生のみなさんに中小企業の実態を学んでもらうことを目的に始まった彦根商工会議所のインターンシップ事業に本年はサンライズ出版も参加。

面接の結果5名の学生が当社で課題に取り組むこととなった。

テーマが「ひこにゃんを活用した地方出版社の社会貢献事業」
本日その最終プレゼンテーションが行われた。

生憎と中間発表に立ち会えなかったので、結果が大変心配だった。
彼らとの連絡調整役のKさんが途中、頭を抱えていただけに、結果が不安でもあった。

サンライズ出版で体験することを希望した学生の多くが、なんとなくひこにゃんに惹かれたようで、思いのほか苦戦していたらしい。

それでも、きょうのプレゼンテーションは、よくまとまり、新鮮な企画が誕生し、とにかくよかった。

自分の思いを言葉で伝えることの難しさ
求められているものに対して的確に対応する判断力
何よりも足で情報を収集することの重要性
などなど

おそらく、はじめての体験であったと思うが、彼らにとってなにかのお役に立てれば幸いである。
お疲れ様 そしてありがとう。

それにしても、なにか明るさ、元気さが乏しく感じられた

今どきの若い人って自分を傷つけないのだろうか、お行儀よすぎるばかりで、肩透かしされた印象が残る。

もっともっとガンガンおしゃべりがしたかったのだが・・・。

2007年 8月 2日

ほんとによいにゃんこ

7月は、展覧会と図録の発行、京都で自費出版フェスティバルの開催、城下町検定本の発行などなど

とにかく、毎日時間に追われながら作業を消化する日々が続いた。

そんな中にも例年の行事ともいえる「ジャグラ作品展」の応募だけは手を抜くことなく、ぎりぎり6月30日の締め切りに間に合うように応募できた。

長年、創業者「豊秀」が欠かすことなく応募続けていただけに、大変ではあるが、その慣習を続けている。作品展は、営業的にいい作品との出会いや社内のチームワークの結晶ともいえ、まさにその年度の作品と仕事の評価の場であると認識している。

社内で、各人が思い入れのある作品を選出するが、その中から最終的には私の判断で、応募部門と作品を決定している。1

プレゼンテーションには特に念を入れる。
いい作品をよりよく見せることはとても大事なことである。

7月の審査の結果が本日届いた。

3回目の労働大臣賞受賞、そして各部門すべてで1点づつ入賞。

労働大臣賞に輝いたのは、なんと「『ひこねのよいにゃんこのおはなし』とその展開」という企画重視の作品であった。

人気が高まるひこにゃん。
ここでも優等生であった。

印刷から出版へそして今年はグッズ作成を始めた。
可愛いキャラクターが相手だけにみんなが楽しんで仕事をしている。

出版はコンテンツビジネスといわれるが、その一端にふれた感がする今回の「にゃんこ」事情、
さてさてポスト400年祭をどうするか?

社員のみなさまお疲れ様でした。そしてありがとうございます。
来年に向けの決意を固めた次第。

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